点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

『僕らが毎日やっている最強の読み方』について

 『僕らが毎日やっている最強の読み方』

ビジネス、リベラルアーツ、教養……この手のジャンルの2大スター、池上彰さんと佐藤優さんが、日常使っている情報の読み方を伝授してくれるらしい。タイトルを見る限り、新聞、雑誌、ネット、書籍から「知識と教養」が身につくという。

ビジネス本から足を洗ったような発言を過去にしておきながら、「買ってるじゃん!」というAchelouだが、買ってしまった。面白そうだったから……つい……。

世の中のできごとに対してコメントしている人たちが、普段どのように情報をインプットしているのかということについては純粋な疑問を持ったため、購入しちゃった。タイトルのキャッチーさがいいじゃないですか。The ビジネス本。

新聞の読み方がすごい。確かに最強かもしれない。両者とも新聞は定期購読をしているものが10紙以上ある。購読料にして最低でも¥25,000~¥30,000だ。更に雑誌、読書大合わせたら我々の生活費分は情報入手にお金を使っている可能性がある。これ普通にフルタイム勤務の人は真似出来ないよな。と思っていたら前書きにこうある。

池上 ただ、ここで紹介する方法をいっきにすべて実践しようとはしないほうがいいかもしれませんね。意気込みすぎて途中で挫折してしまうパターンは、意欲の高い人ほど陥りやすい罠です。 

(中略)

佐藤 特にこの本を手にとるような向上心のあるビジネスパーソンは日々忙しく、インプットのために使える時間も限られているでしょう。まず全体に目を通してから、自分に必要な部分を強化していってほしいですね。

書いてある内容結構すごすぎて、すぐに真似してみよう!と思えるところ、少ない気がする。

全体的な感想としては、彼らのような情報処理の仕方ができれば、間違いなく優秀なビジネスマン……ではなくジャーナリストとか作家になれそうだな、と思えました。

ジャーナリストになりたい人向け

情報の精査という能力は、確かにビジネスに使えるのかもしれない。前書きの佐藤さんの発言からもそうだけど、この本からどのテクニックを自分のものにするか、という行為自体がワークになっている。この本の中の使える部分を自分なりにピックアップして使ってみろや!この段階からリテラシー問われてるで!みたいなね。

ビジネスに興味がない人でも、この本を読んでみると面白い。本書はビジネスパーソンに向けられてた一冊といった体でマーケティングされていると思うが、どういう人に一番オススメかというと、職業作家やジャーナリストになりたいと思っている人だ。彼らの真似をすれば、彼らバリの情報処理能力と知的生産性が身につくだろう。

売れっ子ジャーナリストの1日のスケジュールから、サブタイトルにある新聞、雑誌、ネット、書籍という4つのメディアについての向き合い方がわかる。真似したら絶対に頭良くなるだろうな、というものばかりだ。逆にここまでやって何も身につかないはずがないというくらいだ。彼らの生活っぷりや情報との向き合い方がいかにストイックであるかわかる。

ベースを鍛えよ

本書ではあらゆる情報のインプットに必要なことは何かということに一つの解を出している。それはベースとなる基礎知識をしっかり持っておけということ。

佐藤 この本でも強調してきましたが、義務教育レベルの基礎知識に欠損があると、いくら新聞や雑誌、ネットニュースを見ても、その内容を「理解する」ことができません。本をたくさん読んでも、知識がきちんと積み上がっていかない。すべての知識の土台となる基礎知識をいかに身につけるか、それがインプットの技法において、実は最も重要なことなんですね。

池上 しっかりした土台の上に積み重ねてこそ「情報」は「知識」となり、それを繰り返すことで「使える知識」「教養」になる。(後略)

自動車普通免許を持っている人が、いきなりF1ドライバーになれない。英語を操れない人が、いきなり通訳にはなれない。そこまですごい対比でなくても、基本が備わっていないと応用の知識というものは入ってこないし、実践することもできない。そりゃそうだよな~。

もともと勉強が好きな人におすすめ

この本はインプットに焦点を絞った本なので、おそらく次辺りに「僕らが毎日やっている最強の書き方」みたいな形で、池上さん佐藤さんの両氏によるアウトプット本が出てくるんだと思う。

ビジネスマンにしろ、職業作家にしろ、ブログで時事問題扱いたいなーという人にしろ、共通することは「お勉強したいな」と思っている人であるということだ。そういうにとっては、いい刺激になる本だと思う。ただ、本書を読んだからといって、「勉強自体が好きになる」とは限らない。むしろこのレベルで日々情報を仕入れないと、2人のような知的生産性を手にすることができないのか!と愕然とするかもしれない。

自分から進んで「勉強したいな」と思っている人は、たかがビジネス本でしょと高をくくらず読んでみるといいかもしれない。

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

 

  

achelou.hatenablog.com

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「積読」について

積読」とは何か

買ってきた本を放置してしまう。読書が好きだという人だろうが、そんなに本を読まない人だろうが、誰でも一度は経験があるんじゃなかろうか。本を全く買ったことがないという人は別だろうけれど。

買ってきたものの、机の上に置かれたまま放置され、それがそのまま何冊にも増えていくことを「積読(つんどく)」と言うらしい。「積ん読」とも書かれることがあるらしい。要はダジャレです。

個人的には最近やたらと目につくようになった言葉なのだけれど、どうやら新しい言葉では無いらしい。1986年に発行された外山滋比古著『思考の生理学』を読んでみると、「つんどく法」という章がある。

本を積んで、これを読破するのだから、これをつんどく法と名付けてもよい。普通、つんどくというのは、本を積み重ねておくばかりで読まないのを意味するが、つんどく法は文字通り、積んで、そして読む勉強法である。そして、これがなかなか効果的である。

思考の整理学 (ちくま文庫)

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本を読まずに積み上がっている状態について、必ずしも悲観的に捉えることは無いんじゃないかという意見は、30年前からある。こうした意見がもっと広まっていれば、読書に対するハードルが下がっていた気がする。積読なんてしてなんぼ。本は積んでいこう。買った本を読まなかったとしても、捨ててさえしなければ決して無駄だというわけではないという考え方が広がればいいのに。広まってほしい。

 

 

積読」は無駄なのか

「そうは言っても積読ってなんか嫌だ……」という人も多いんじゃないかな。「そもそも、お金を出して買ってきた本を読まないということは、その本代をドブにすててしまうようなものだ」なんて思ってしまうのは仕方がない。安い新書であっても一冊700~800円する。だったら本なんかじゃなくて漫画でも良かったんじゃないかとか色々後悔してみたりすることもあるかもしれない。それか、この本を買わなかったらお弁当一食分だったなとか、あの外食したときにデザート頼めたなとか、そういう考えが巡ってきてしまいそうになる、こともある。僕もそんなことを思ったことがある。

ただ、「読まない=金の無駄」という考え方がそもそも間違っているような気がする。本は買うだけでしっかり意味があると主張したい。

本を買うことができなければ、その本は本屋で立ち読みをするしかない。立ち読みはマナー違反だし、本は本屋の商品だから好き勝手におることもできない。本を買うということは、本に記載されている情報に対してだけ金を払っているわけではないのです。その本をどこに持っていこうが、どのタイミングで読もうが、本棚のコレクションにしようが、コースターとして使おうが、煮ようが焼こうが好きにできる「所有権」がついてくる。これは大きい。破棄さえしなければいつでも読めるのです。どういうふうに扱っても何も文句言わない。図書館の本は気を使って大切に読まなければならないけれど、買った本なら線を引いたりページを折ったり破いてスクラップブックに追加したり、食べたりしても文句言われない。すごい。持っているだけでこんなにアドバンテージがあるのだ、と考えてみるのはどうかな。それだけで心持ち楽になりそうじゃない?そうでもない?

 

積ん読本棚 幅35×高さ130cm (シルバー)

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読破するという前提を捨てる

読書以前の話だけど、「読書をする自分」にある一定の期待のようなものを感じている人は、積読状態を嫌うんじゃないかな。「本は買ったら読まなければならん!」と思っている人とかもそうだよね。大体の人は読めそうな本や、読みたいなと思った本を買うから、本を買うときはその本を読破するという前提で本を買うと思う。

でも中には思った以上につまらない本だったり、何書いてあるかチンプンカンプンだったり、価値観に合わなくて「もう読んでいられるか!」というものもあるわけだ。でも本を読めないとなんだか、負けた気分になるという人もいるんじゃないだろうか。買ったんだから読まなきゃという思いに囚われすぎるのも、ちょっと真面目がすぎる。

これがゲームだったらどうだろう。「クソゲー」というものがある。クソゲーは「クソみたいなゲーム」の略で、つまらない、あるいはシステムの構造上問題があるなどして、完成度の低いゲーム作品一般に対して使われる言葉だ。ゲームの場合、それがクソゲーだとわかった瞬間にプレイすることをやめても、「俺はこんなゲームすらできないなんて……」と落ち込む人は少ないだろう。本が読めなかったときの悔しさに似た感情は沸かない。たとえ悔しいと思ったとしても、程度が低いか、あるいは「こんなクソゲー掴まされて悔しい!」という、ゲームを最後までプレイできなかったこととは別の悔しさが出て来る。

本もこれと同じでいいんじゃないのか。つまり「読めなかった」と悩むのをやめようということが言いたいのです。

クソ本やトンデモ本というのは存在する。読んでつまらないと思った本や、ちょっと何言ってるかわからないという本は、無理して読む必要無いし、買ってから1ページも読んでいない本だって、「表紙や帯を見てもみたい気持ちが湧いてこない」という風に本の責任にしてやることもできちゃうわけだ。「買った本は読破しなきゃ!」なんて気持ちはかんたんに捨てられると僕は思う。そうすることで、積読へのコンプレックスは無くなる。

もっともらしいことを言えば、積み上がった未読の本があるということは、それだけまだ見ぬ世界があるということだ。その状態だけでも、今その本たちが手元にないという状況よりは、100倍もマシなんじゃないかな。

以上『「積読」について』でした。

 

どんな本でも大量に読める「速読」の本 (だいわ文庫)

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『鑑定士と顔のない依頼人』について

『鑑定士と顔の無い依頼人

人に薦めたくなる作品ではありません。でも、一度はこういう映画を見ておいてもいいんない?損じゃないと思うよ?と言いたくなるような作品ではあります。お前の主張は矛盾しているじゃないか、一体どういうことだ。つまり後味の悪い映画というのは、じわじわと遅効性の毒のようなものを視聴者に植え付けるもんだと思いまして、こいつを少しでも発散したいのと、この映画のゲンナリ感について共有できる仲間を増やしたいという思いがあります。この記事はそんな矛盾で塗り固められた自己中心的なものであります。

あらすじ

主人公は孤独な壮年の鑑定士であるバージル。彼は鑑定士として成功をおさめ、その審美眼で美術品の競売人として活躍する毎日を送っていました。女性と接することが苦手なくせに、自宅のセキュリティルームの秘蔵コレクションには、女性が描かれたものばかりという変わった癖を持つ人物です。自身が開催するオークションで、価値ある美術品を安く競売にかけ、友人のビリーと共謀して不正に絵画を入手していました。

そんな彼に電話で依頼が入ります。クレアと名乗る女性からの電話で、両親が屋敷に残した美術品を鑑定してもらいたいとのこと。しかしクレアは待ち合わせをすっぽかしたり、事故にあって会う機会が伸びたりと、なかなか姿を見せません。しばらく屋敷に通うと、彼女が屋敷に閉じこもっている広場恐怖症であることがわかります。彼女は屋敷の部屋の奥にある隠し部屋に閉じこもっていたのです。

最初は顔の見えない依頼人の不安定で横柄な態度にイライラしていたバージルでしたが、次第に彼女に対して好奇心が芽生え始めます。広場恐怖症であることにも同情したのか、どんどん彼女に心を開くように。次第に彼女に、好奇心以外の感情を持った彼は、クレアの謎めいた存在感に翻弄されていくのです……。

 

鑑定士と顔のない依頼人

鑑定士と顔のない依頼人

 

 

自分の殻に篭もることへの怖さ

孤独な壮年の鑑定士バージル役はジェフリー・ラッシュ。ほぼすべてのシーンで彼が映されています。最初はいけ好かない横柄な老人であるという印象しか持てないのに、世界観に引き込まれれば引き込まれるほど、なかなかどうして感情移入できてくるから不思議です。なぜ、自分は主人公に感情移入できたのかなと考えると、特定の価値観に染まって、それで痛い目を見たからなのかなと思うわけです。

ここから少しネタバレ風味で感想を。申し訳ない、個人的に面白いなと思った部分を語るには、どうしても主人公がどうなってしまうのかについて軽く触れなければなりませんでした。

教訓めいた話はなるだけしたくは無かったんですが、自分の世界観や価値観に染まって、他の重要なことになかなか気が付かず、それゆえに主人公のバージルは大変な目に合うわけです。私はまだいわゆる意識高い系だったころ、一つの価値観に凝り固まっていたせいで、なんかもう色々失敗しました。そのせいで引っ越しを余儀なくされ、人を振り回し、お金も職も失ったわけですが、全て自分の未熟さによるもの、自己責任と受け入れて今は心の整理もついています。若い頃に経験できて良かったですが、バージルのような壮年男性になってから、あのようなことになったらもう立ち直れるかどうか。

バージルは未熟な大人ではないと見せかけて、女性との付き合いという点、人のアドバイスに耳を傾けようという点、人の気持を理解しようとする点において、未熟だったのかもしれません。因果応報という風に考えることもできますが、しかし、それにしても可哀想だなと同情してやりたくなるような破滅っぷり。同じような人が周囲にいたら、もうなんと声をかけてやったらいいか分からないです。ただその破滅っぷりでさえ、なんだか妙に色っぽい……なんて知ったような評価をしてみたくなるほどに、謎の魅力を感じたのです。メシウマなんて言ってられないくらい気の毒なんだけどね。ジェフリー・ラッシュ恐るべし、彼の演技力によってこの映画の評価はグッと上がっていると思う。

モヤモヤした気分になること間違い無しのおすすめ映画です。

 

La Migliore offerta (The Best Offer)

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 とにかくスタッフが豪華だから詳細はWikiみてください(Wikiはおもいっくそネタバレあらすじだから注意してください。)

鑑定士と顔のない依頼人 - Wikipedia

 

achelou.hatenablog.com

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