点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

切れ痔の話

記事を読んでいただきありがとうございます。ただタイトルからお察しの通り汚い話をするので食事をしながらの閲覧に関しては一切の責任を取らない。

また切れ痔になった。

また、とはどういうことか?恥を偲ぶ必要が無いのにもかかわらず、自分勝手にカミングアウトするならば、僕は比較的切れ痔な人間である。2~3ヶ月に2~3日はお尻から出血をしている。初めて切れ痔になったのはおそらく中学生の頃で、「これが痔なのだな……」と感慨深くトイレでしんみりとしながら血を拭った記憶は忘れない。忘れたい。

痔に関して無知だった僕は、つい最近まで痔の恐ろしさについて知らなかった。痔をなめていたのだ。ボラギノー○のCMのせいでもある気がする。恥じらいを取ってくれるような演出をしてくれるならまだしも、むしろ痔の人をコミカルに描いているので、ボラギ○ールを使用するのですら恥ずかしくなってしまう。だがとある電子書籍を読んでしまったお陰で、今すぐにでも薬局にボラ○ノールを買いに行きたい気持ちで頭がいっぱいだ。

 

 最近、疑問に思ったことはAmazonの本カテゴリーで検索している。ググるではなくアマゾることで、自分の興味関心その他周辺知識が詰まっている本を検索できるのだ。そこで最近の習慣にのっとり、Kindleストアで「痔」と検索してみた。そして出てきたのがこの本だ。

名前のキャッチーさにさほど信憑性が無いビジネス本ライクな空気を感じるが、痔の主な症状や実際に肛門科にかかると、どのような手術をしてくれるのか、どうすれば恥ずかしくないように肛門科をにかかれるのかというテクニックを教えてくれる、痔を治したい!と考えている人のための本だ。本当にこの本を読んでよかったと思っている。その理由は、本書の「おわりに」を読んでみると分かる。

全国に大腸肛門科を標榜している医療機関はたくさんありますが、そこで診療を行っている医師の技術レベルには大きな差があるのが現状です。(中略)

大腸肛門科の専門施設で長年修行を積んだ、信頼のおける「心の専門家」がいるいっぽうで、大腸肛門科のトレーニングを受けたことがない医師が、「内科胃腸科」として開業するついでに肛門科を標榜し、おかしな治療を行っている例もあるのです。(中略)

切りすぎた肛門は元にもどりません。未熟な手術をうけることで、生涯取り返すのつかないダメージを残す可能性もあるのです。

信頼のおける肛門科医にかからなければ、いい加減な手術をされ、その結果うんち垂れ流しの危険性があるということである。本書は痔の手術方法も簡易的ではあるが概要を教えてくれるので、事前知識として持っておけば、医者の言っていることに対して「何かおかしいかもしれない」と気がつくことができるかもしれない。

この本をキッカケに、痔の本を何冊か読んでみようと思えた。医療の分野は一つの知識に固執すると危険だ。この記事を見ているあなたが痔で悩んでいるのだとしたら、別にこの本じゃなくてもいい。図書館やブックオフでもいい。痔についてしっかりとかかれた本を一度読んでほしい。手遅れになれば、洒落にならないのだ。

痔になる原因というのは、本当のトコロ、あまりわかっていないらしい。本書によれば、「運」によることが多いようだ。肛門の溝がたまたま深かったり、いきむ癖を持ってしまったばっかりに、細菌が溜まりやすい環境にたまたまなってしまった……という人が痔になるのではないか?という趣旨が痔の原因に言及している部分で書かれている。恨むなら自分の肛門の形を恨むしかないのだ。現代人たるもの、もし痔になってしまったらば、天から授かったものとして諦め、痔について勉強し、しっかりと対処しなければ、おちおちデスクワークも出来ない身体になってしまうかもしれないのだ……。

最新 大痔典:機能回復した「オシリ」は美しい

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痔の最新治療―可能な限り切らずに治す (よくわかる最新医学)

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平田雅彦の切らずに治す痔の本 (名医の最新治療)

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achelou.hatenablog.com

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Pha著『ニートの歩き方』──働かない方がいい理由を考える

 

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

 

 自分の心をふるいにかけられる本というのは少ない。『ニートの歩き方』は数少ないそういう本だなと思った。本書を読むことによって、自分が今、いかに「働きたくない」状態であるかというのが分かってしまったのだ。それはなぜか?『ニートの歩き方』の中に登場する彼らの生活が羨ましくって仕方がない、と感じたからだ。

ネコと一緒に1日戯れるというのだったり、ニートの1日として紹介されている時間の過ごし方を読むと、ハチャメチャに良いなと思ってしまう。しかし、ニートニートなりに大変なのだと知る。特に、ニートになるとき。どういうプロセスを経てニートと自称するまでに至ったのかを読めば、著者のPhaさんの苦悩が伺える。

日本は職業選択の自由が認められながらも、勤労の義務が憲法で規定されている。憲法について無知な僕からすると、不思議なもんなだと思う。職業選択の自由があるならば、勤労の義務なんて必要ないんじゃないか。自分で働いて手にした金を使って買ったものは、自分のものになる。それを望まないのだったら無職を選んでもよかろうに。「働くことは義務」ということは、「勤労全般をしたくない」という正真正銘のニートマインドを持った人たちからすると、疎外感や俺だめだな、と感じさせてしまう原因にもなりうるんじゃないかな。

「働かなくてはならない」という人であればあるほど、本書を読んでほしい。きっと、最初の数ページであまりの価値観の違いにイライラするだろう。しかしそのイライラには、「憧れ」や「嫉妬」という感情が少しずつ入り込んでいることに気がついてくるはずだ。

「いやいや働いている人」からすると、「働かない」「働かなくても良い」という道にふっきれた彼らの選択の先にある生活は魅力的に映るかもしれない。しかしそのかわり、彼らは結婚を諦め、贅沢な暮らしを諦め、金のかからない趣味に興じ、基本的にはインターネットで人間関係を築き上げている。一般的な価値観からすると、彼らの暮らしぶりは怠惰に見えるかもしれない。

しかし彼らにとってそれらは「諦め」ではない。自分の価値観にあった「選択」をしているだけだ。バリバリのビジネスマンが金欲しさにあくせく働き、金持ちが強い資本主義のフィールドで自己実現という永遠に達成しない目標を追い求める、という生活は波乱万丈のリスクがある。そういう生活を望む人もいれば、著者のように望まない人もいる。

ニートの実態や心情を知るのに適している、と言うと本物のニートの人たちに怒られるかもしれない。個人的にはそういう側面でも大いに参考になる資料であると思っている。少なくとも、「働かないこと」を選択している人がどういう思考のプロセスを経て働かないのか?を知るのには良い本だ。その視点をみにつけて、何の役に立つのか?

それは今の勤め先について考えるときに役に立つ。「働いたほうがいい理由」は多くの日本人がすぐに思いつくだろうが、「働かない方がいい理由」というのは、なぜか考えない。この本はまさに、働かないほうがいい理由を教えてくれる。それをどうして考えるべきなのか?冒頭で言った、自分の心をふるいにかけるためでる。今の勤め先で良いのか?自分はなぜ働いているのか?働くとは自分にとってどういうことなのか?気が付かないほうがストレスを感じずに生きられたかもしれないが、会社や社会の当たり前を疑い、洗脳状態から解き放たれるには、こうした真逆に疑うとういう思考法が役に立つ。その際、働かない方がいい理由を考えるときの参考になるのが本書だ。

彼らニートは生きることに希望を見いだせない人たちではない。いかに働かずに生きるか?ということに対して深く考え、それを実践している。金さえあれば世の中うまくいくと思い込んでいる人たちには、本書を是非勧めたい。金なんてなくても、充実した生活を送っている人たちもいる。

記事タイトルで質を騙さないとブログなんて読んでくれない

タイトルの付け方を変えようと思っている。

「〇〇について」というタイトルの付け方をここ数カ月にわたってしている。それまでは何かとタイトルを考えるのに時間を掛けていた。どれだけ時間を割いても、これいいじゃんと思えるような、魅力的なタイトルを付けられた試しがなかった。それが煩わしくなったので、タイトルにテンプレートを作ってみようと考えた。それが間違いだった。

シンプルなタイトルで、あまり飾り気を出さずに、謙虚な姿勢を出せる表現は無いかなと考えた結果が、「〇〇について」というものだった。ショーペンハウエル岩波文庫から出ている著作っぽいし、かっこよくない?と思った。それに、僕の文章はよく脱線するなぁと思っていたので、「〇〇について」というタイトルにすれば、内容を一つのテーマに絞り、まとまりを持たせることができると思ったからだ。予想は裏切られた。

結局、タイトルが変わっただけで記事の内容が充実するはずもなく、相変わらずの脱線と、机上の空論にまみれた中身スカスカの記事が量産された。また、どうやってこの文章を多くの人に読ませてやろうという気力も無くなっていた。モチベーションは下がる一方だったのだ。

そこで、このブログの目的を振り返ってみようと考えた。

当ブログは運営者である僕の個人的な考え事や本を読んで感じたことなど、未だに点でしかない情報をブログにドンドン打っていき、線で結んで新しい認識を作っていけたらいいな〜という意識高めのミッションを看板とし、実際には読書仲間や映画仲間、趣味を共有できる人脈を作ってやろうという、超個人的な願望を達成するために運営されているのだ。人脈を作ることも含めて、もう少し広い意味あいをカバーする言い方に変えるならば、「趣味を深めるため」にブログを運営している

そういえば前職から現在の職につくまでの間の迷走期間中に「ブログは公開オナニーだ」ということを、まさしくこのブログで書いた。今もその意見は変わっていない。自分勝手にシコシコ考えた妄想や想像を、自己責任で、全世界の人が閲覧できる環境であるインターネットというドドメ色のプールに放流しているのだ。世のブロガーなる方々は、ドドメ色のプールに放流するものを、キラリと光るダイヤモンドにしようと努力している。それを怠ったのだ。ブログという土俵で自分の意見を発表するマナーを守っていなかった。

そもそも仲間を増やすには、読まれる記事を書かねばなるまい。読まれる記事の大前提は何か?と考えた時、とりあえず目を通してもらえることが重要になることは間違いない。もちろん中身は重要だ。しかし、ぶっちゃけ、タイトルが良かったらその記事の中身が面白かろうがつまらなかろうが、なんだかんだ最後まで読んじゃうのがブログだ。記事の見た目や第一印象というのは、質よりももっと大事なのだ。見た目、第一印象が悪い記事をTwitterFacebookにシェアしたところで、誰が見てくれるだろう。

「〇〇について」というタイトルの付け方について反省すべき点は、まだある。このタイトルの付け方一本でいく方針は、自分にはまだ早かったのだ。このようなタイトルをつけられる記事は限られる。ある程度、社会から価値を認められた人が、「え!?この人が〇〇について書いてるの!?」という興味関心を作り出す場合など、書き手がある程度の権威性を持っていなければ効力を発揮しない。

博覧強記のショーペンハウエルという人が、「読者について」書いてある本だから手に取る。そういう意味では、僕が「〇〇について」というシンプルなタイトルをつけられる日は来ないかもしれない。凡人以下である僕は、一生懸命に目を引くキャッチーなタイトルをつけ、堂々と公開自慰をする人になる覚悟をしなければならない。「〇〇について」などと、それだけでは中身が想像できないようなタイトルをつけて、お高くとまってはいかんのだ。この人が書く文章は絶対面白い!というバリューがつくまでは、面白いタイトルで質を騙すしかない。

ブログは、ニュースサイトやマスメディアと違って、情報の正確さやありもしない中立性を求められない。いや、本当は正確な方がいいし、極端な意見を書いたら敵が出てきて面倒なので、角の立たないような優しい表現を使うスキルは必要かも知れないけれど。しかし、そんなことを気にするのは割に合わない、と思い始めている。ほとんどのブログ記事は、読まれずにネットの藻屑となる。読んでも読まなくてもいい情報ばっかり書かれていると思われているからだ。

社会に役立つ情報を発信するには、池上彰さんや佐藤優さんのように、毎日異なる新聞を10紙ほど目を通し、毎日3〜6時間読書をし、ネットに出回っている情報の真偽を自分の持てるスキルで選別し、猫を愛し、リベラルアーツセンターで教鞭を振るうくらいにならなければ、役に立つ情報を発信してくれる人であると社会からは認められないのだ。

どうでもいい話題を、よく練りもしないままにテキストボックスにぶつけて、それをどうぞ見てくれ!とはおこがましい。まずは想定読者層に対して魅力的なタイトルを見せて、最初の数行までは気を使ってあげなければならない。尻尾を振らねばならない。凡人がモテるためには、モテる努力をしなければならないのだ。少しでも趣味を分かち合える人を作るべく、今後タイトルにも気を使って記事をシコシコ書いていく。

タイトルに騙された!と思われないように、記事の質もあげていかないとなぁ…と、綺麗事でもって締め括る。

みなさま良いお年を。来年も「点の記録」を何卒よろしくお願い致します。