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点の記録

点だけ打って線を引けない男が、点と点を結ぼうとするブログです。

『絵はすぐに上手くならない』──上達の道は険しいという当たり前を説く

 

絵はすぐに上手くならない

絵はすぐに上手くならない

 

技術習得の際、効率の良い方法は無いものか?と方法論を知ることに躍起になる人がいる。

効率の良い練習方法を知ることは何も悪いことではない。むしろ、誤った努力をすることによって、せっかくの才能が無駄になってしまうパターンも考えられる。

しかし、知識偏重タイプの我々まよえる子羊は、方法論を知ることにとらわれがちである。この方法はどうだ?大変そう……あの方法はどうだ?これも自分に合わない……と、何か練習法に自分にとっての正解があるのだ!と右往左往する。すぐに上手くなる方法が、どこかに転がっていないものかと血眼になるのだ。

TwitterFacebookなどのSNSや、イラスト投稿サイトとして大成功しているPixivなどの登場と普及によって、個人の作品を世に知らしめるインフラが整った。僕がフォローしている人の中にも、絵を描くことが好きで、自分が描いたイラストをTwitterにアップロードしている人が何人かいる。

しかし、そのような今はまだ名も無き絵描きたちは、現実と理想とのギャップに苦しみもがき、「どうなったら絵が上手くなるのかわから~~ん!」という魂の叫びを日々不特定多数のフォロアーに向けて発信している。気持ちはわかる。

小学校の頃入っていた漫画クラブ、中学高校の美術の時間などの数少ない美術体験のさなかで、美術的センスの無さに愕然とした僕などは、「確かに絵がうまくなったらどんなに良いだろう。楽に、自分の思い通りに絵が描けるというのは、どんなに心地よいだろう」と妄想してしまう。その境地に到達したら、どんなに心地よいだろう。早く絵が上手くなりたい!そうすればこの地獄から開放されるのだ。

しかし、本当はそんなこと無い。

「上手にできる=苦労が少ない」というのは、卓越した名人芸を傍観する凡人が、思い描きがちなことである。

例えば野球などの好プレーを見るときなどはどうか。いとも簡単にやってのけているように見えているが、果たしてそうだろうか。彼らはピッチャーからボールが放たれる瞬間、バッターがボールを打つ瞬間、打たれたときのボールの行方などに猛烈な集中力を発揮して、自分のチームが優位に立つよう、瞬時に行動をしなければならない。テレビ画面で見ると楽そうに見えるが、実際はそんなこと無いはずだ。

ハイパフォーマンスをいつも引き出せるわけではない。楽にできないからこそ、日々練習するのだし、コンディションを整え、1試合1試合真剣に取り組むのである。

『絵はすぐに上手くならない』という著作は、こうした当たり前のことを、「絵を描く」という行為においても当てはまるのだ、と書いてくれている。

上手な人でも必至に形をとり、遠くから何度も眺めて形を直し、一心不乱に描き込み、ようやく絵が完成するのです。むしろ画家の大先生や有名なアーチストのほうが、命を削らんばかりに凄い形相で画面に向かっていることでしょう。ですから、誰しもが「最初から楽に描ける」わけはなく、「うまくなったら楽に描ける」こともないと思ってください。 

漠然と絵がうまくなりたい、と思っている人は、絵が上手くなるための練習期間や製作期間の苦しみに目を向けようとしない。

当たり前だけど、絵が上手い人というのは、少なくとも人並み以上に絵を描いているし、サヴァン症候群などの病気でなければ、「目で見たものをとっさに絵に描く」という芸当は、できるはずがないのだ。心のなかで「自分は天才だ!」と思うのはモチベーション維持の観点からすると大変宜しいが、そうは言ってもいきなり技術レベルが大天才になる方法は存在しない。

本書はこうした精神論的な主張や、迷える絵描きが一度は思う「あるある」に対して、著者なりの意見をしっかりと主張してくれている。

「絵が上手くなるのにデッサンは必要か?」
「絵が描けないのは身体のどこに問題があるのか?」
「どういったトレーニング方法が自分には合っているのか?」

ということなどにも、「こうしてみましょう」と優しく教えてくれる。

漠然と絵がうまくなりたいと思っている人、絵をはじめようにもなかなか気力が沸かない人などは、本書を読むことによって「絵を描くとはどういうことなのか」という奥深いテーマの一端を知ることができる。

読書ノートについて

読書ノートってどうしてるの?ということを聞かれたので、ちょっと書いときます。あまり参考にならないと思うけど、単なる読書好きの戯言として聞いていただければと思います。

山崎の読書ノートに対する認識

基本的に山崎は読書ノートを作ろうとしません。何故かと言うと、単純に、面倒くさいからです。ただし例外があって、これはぜひ血肉にしておきたい、というものに限っては読書で読んだものをノートにメモしたりします。読む本読む本すべてをノート化したり、全てに対してレビューをしていってしては、正直時間がいくつあっても足りません。それは老後の楽しみに取っておくとして、今はとにかく色んな本に目を通してみて、これは抑えておいたほうが良い知識、情報かもしれないというときや、この本はいい本かもしれないというときは、「なんでもノート」という大学ノートにきたな~くメモしたりしています。

 

読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]

読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]

 

 

引用するのがメイン

自分でまとめようとすると時間がかかるので、取る内容は殆ど引用です。見返したときに分からん……ということがありそう、あるいはもうちょっと纏めておきたいな、という場合に限って、コメントやメモに対する線引きで要約をします。本には昔書き込んだりしていましたが、読み返したときに、「何でこんなところにボールペンで線ひいてんの?」と不快感を覚えて以来は、なるべく本には書かないようにしています。

ただこれもなんとなくで、どうしてもここは重要そうだぞ?というところは、シャーペンでカギカッコをつけます。それを後で引用したり、しなかったりします。あと、どうしても反論したいぞ?というところには、シャーペンでコメントを付け加えたりします。

読書ノートの付け方に関しては色々参考にしていますが、元外交官である佐藤優さんの『読書の技法』という書籍を特に参考にしています。ずぼらな僕は彼のようなストイックさで読書ノートが作れません。しかし、なんでも一冊のノートに纏める、というテクニックは拝借させて頂きました。この点はズボラな自分の性にあってます。

 

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

 

 

でも忘れるもんは忘れる

ただ、そうやって読書ノートとして残したメモが記憶に定着したか?といえばそうではありません。読書で僕が最低限気をつけていることは、著者はなぜこの考えに至ったのか?著者の視点ってなんだ?ということです。この結論に至るまで、どのような考えに至ったのか?ということを、少なくとも大筋くらいは言えるようにしておこうよ、ということです。だから細かい所は忘れてしまいますし、乗り気じゃないけど重要だと書いてあるからそこをメモしたものなど、自分で選んでいないものに関しては、やっぱり忘れています。

記憶のメカニズムをわかりやすく解説してくれている著作に、池谷裕二さんの『記憶力を強くする』というロングセラーがあります。基本的に記憶は失敗の経験が無ければ覚えにくいということが言われています。

 

記憶力を強くする―最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方 (ブルーバックス)
 

記憶の3箇条

1.何度も失敗を繰り返して覚えるべし

2.きちんと手順を踏んで覚えるべし

3.まずは大きく捉えるべし

(p.139)

生物は失敗から学び取ります。根拠として上げているのはエドワード・ソーンダイクやバラス・スキナーらが提唱した「オペラント学習」です。心理学本や記憶術本を読んでいる人ならお馴染みで、またかよ~という感じがしますかね。でも、結局これです。失敗を何度もすることによって、物事の因果関係を把握し、課題を解決するというマウスを使った実験が有名です。

そして「エビングハウス忘却曲線」も忘れてはなりません。失敗を繰り返すタイミングを、この忘却曲線が減少しきらないところで、もう一度復習する。すると何度か繰り返すことによって、時間が経過することで忘却する記憶の量が減ってくるというテクニックが紹介されています。(エビングハウス忘却曲線自体が、色々ツッコミどころも多いらしいので参考程度に。)

つまり読書ノートをつけていようが、つけていまいが、失敗を繰り返すこと、復習をすることを怠れば、忘れてしまうリスクが高まるということです。だから、読書ノートという方法は実は恐ろしい。書き写したところで、復習をしなかったり、見返して何か物事を考えたりしなければ、せっかく努力して作った読書ノートなのに、何も身につかなかった、というようなことに陥りやすいシステムなのです。

自分の性格と相談する

読書ノートを取るとき、自分のパーソナリティを見極めることが重要ではないかと考えます。だって記憶のメカニズムを真とするならば、復習しなければ意味が無いのだから。読書ノートを取ることが好き、むしろ、こういう方法でないと読書した気になれない!という方の場合は、大いに読書ノートを取るべきだと思います。

本の内容を覚えておきたいけど、ノートで復習するのなんて面倒くさい!という人は、読書ノートをとらずに何回も本を読んで、その都度「ほほーうなるほどな~」と感動できるようにしておくと良いかもしれません。大人になると、丸暗記よりもエピソード記憶として物事を記憶する能力が高くなるからです。面白い本が自然と記憶できるのも、そのためです。

また、エビングハウス忘却曲線によれば1時間で記憶したことの50%は無くなります。本なんて記憶しよう記憶しようと気張りながら読んでいませんから、1回で記憶できる量なんてせいぜい全体の1%くらいってところでしょうか。ちなみに僕は、何度も何度も再読をとにかくやる、というやり方のほうが性に合ってますので、メインはそうやって読書してます。自分で言うのもあれですが、一読目から読書ノートを取ってやめちゃう人よりは、記憶の3箇条の「3.まずは大きく捉えるべし」という要素を取り入れられているのかな、とも思っています。

なんにせよ、個人的な感覚としては、「こりゃあおもしれー!」と思ったことなら大概記憶できるし、忘れたとしてもすぐに調べたくなって、調べればまたすぐに長期記憶化される感覚というものがあるので、読書はやっぱり楽しいな、ということを大前提でやってます。

読書自体の楽しさのためにも、記憶への定着のためにも、何事にも感動できる大人でありたいものです。

 

achelou.hatenablog.com

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主張から先に考えられる癖を持ちたい

ブログというものは主張ありきだ。

主張が無いブログとはどういうものかというと、それは拙ブログ『点の記録』を読んでいただければ分かることである。盛り上がりに欠け、読み手が納得の行く流れで文章が組み合わさっていないせいで、何が書いてあるのか?何が言いたいのか?ということがわからなくなっている。

これはわざとである、新しい文章表現方法なのである、なんて言えるはずもない。全ては私の想像力と文章能力の無さがなせる業だ。しかし、反省しても反省しても、「書きながら主張を考える」という癖が抜けない。

ブログのための、という前置きがつくまでもなく、多くの文章術の本の中で語られていることは「主張は明確にすべし」ということだ。

何のために文章を書くのか?もちろん、何か伝えたいことがあるからである。では、その伝えたい事にモヤがかかっていてはどうしようもない。しかし人によっては、そういう文章を量産してしまう恐れがあるのだ。僕だ。

そこで、文章筆記の大前提テクニックとして、「主題、主張を先に決める」というテクニックが有効であるというのは誰でも知っていることだ。

主題、主張、つまり言いたいことを先に決めておくというのは、「仮説を立てる」ことに似ている。

仮説を立てるということは、その仮説を立証する証拠集めと、なぜその証拠が仮説を裏付けるのか?ということが必要になってくる。他人に自分の仮説を納得させるには、それがいかに客観性と再現性にあふれているかということを、これでもかと説き伏せなければならない。学術論文や学術本は、自分の主張を膨大な証拠と根拠付けを行っているのである。自分の主張を認めてもらうには、本来は本くらいの分量で立証しなければならないのかもしれない。

文章による主張をより多くの人に「なるほど」と思わせるには、こういった作業が必要だ。主張を裏付けるデータと、なぜそのデータが主張を裏付けることになるのかという根拠を証明できれば、良質な記事の出来上がり、というわけである。取り上げる主張やテーマにもよるだろうけど。

この記事の主張は「面倒くさくっても、主張を分かりやすくするために、データを明示したり根拠を論じたりするのってやっぱ大切だよね」である。そのためには冒頭の文章術について記述したところで、いかに世の文章術が「主張をはっきりさせて方がよろしい」ということを言っているのか?という客観的なデータがほしいところである。文章術の中でも名著とされているのが、木下是雄著『理科系の作文技術』である。この本の2章「準備作業(立案)」は、主題選定→目標規定文の策定→材料集めという流れで文章作成の準備方法を解説している。

主題はもちろんテーマのことである。これは言わずもがな。先程述べた仮説を立てることと、ほとんど同義であると言っても良い。目標規定文とは聞き慣れない言葉だが、それもそのはず、これは著者の造語である。

 

理科系の作文技術(リフロー版) (中公新書)

理科系の作文技術(リフロー版) (中公新書)

 

 これは私の造語だが、英語のシーセス(thesis)がこれに近い.

 たとえば ,学生が「日本の春は寒くなりつつあるか?」という課題でレポートを求められたとしよう.彼はまず,過去60年間の気象データを調査して,ここ10年間の春の気象のデータをそれ以前のものと比較する.(中略)

統計的な検定をこころみてもやはり,「平均的にみると,ここ10年間は,春先に暖かくなり始める時期がおそく,また春の平均気温も低い」という結論に到達したとする.そこでレポートをまとめるわけだが,そのときに,本文を書きはじめるより前に,自分がそこで主張するつもりのことを,まず,例えば次のような目標規定文にまとめてみるべきだ──というのが私の考えなのである.

このレポートでは、ランダムな変動を考慮に入れても,1970年代に入ってからは春がくるのがおくれ,また春が寒くなりつつあることを示す.

太字にさせていただいたところが、目標規定文だ。

木下氏の文章準備術は、「主題からデータを集め考察し、結論(主張)を導き出し、得られた主張を本文よりも前に記述するべし」である。なぜこうした目標規定文が必要か?ということにも触れている。

私は,少なくとも初心者にとっては,まずこういうかたちに目標規定文を書き,それからその目標に収束するように文章ぜんたいの構想を寝ることが必要だと考える.目標規定分は,執筆の途中で材料の取捨選択に迷ったときにも判断をたすけてくれるだろう.

ブログを初めて1年ちょっと立つが、初心者の域を出ていないことは自覚している。何のためにこの文章を書いているか?視点が欠如していたので、今後の参考にしたい。書きながら気がついたけど、今までに一度たりとも「この記事はこういうことが言いたいために書きました」という文章を冒頭につけたことが無い。

読みやすい文章を書く人の記事は、「この記事はこのテーマについて書いています」ということが分かるタイトルと冒頭の書き出しであることが多いと思う。エンターテイメント的要素を優先して、ついつい結論は最後までとっておきたくなるけど、実力を鑑みて、結論を先にドンと書いてしまうというテクニックも、「主張は明確にすべし」という基本的な教えと複合的に使っていこうと思います。

それにしても凄くいい本なので、理科系の作文技術、ブロガーならぜひ読んでみて。Kindle版も出てるから!(主張のみ)

 

achelou.hatenablog.com

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読書術本を読んでも、読書が好きにならなきゃ本なんて読めない

 

読書について 哲学文庫

読書について 哲学文庫

 

 

知的な文化人が、揃いも揃って「本を読め」という。昨今の教養ブームによって出版される自己啓発本、ビジネス本には大概書いてある。大人が「本を読め」と言わないのは、それは罪であるというような意見を弄する本もある。果たしてそうなのか。情報収集術の本を読んでみると、確かに読書もいいけど、インターネット検索を効率よく使いこなせば、誰でも数週間のうちにたちまち専門家になれるというようなことを主張する著作もある。自分が知りたい!と思う知識が予めハッキリとして、周辺知識に目もくれないのであるならば、読書はする必要がない。読書好きだけど、知識習得のためだけならばネットで十分だと思う。

とりあえず「読書せよ!」と書いてあるビジネス本にありがちなパターンがある。「年収と読書量は正比例する」という主張である。

読書をしろ!という本や、読書啓蒙ブログならびにビジネスコーチングなどの意識高い系記事には必ずと言っていいほど、2009年の日本経済新聞の産業地域研究所が行った読書量と年収についての調査結果が引用される。20代~60代の男女1000人に行った調査で、ざっくりまとめると「年収が高い人ほど雑誌や本を読む」というものである。特に20~30代は顕著で、この年代の年収800万円以上の書籍購入費は月額2910円、400万円未満は1914円なんだとか。

 

年収を上げる読書術

年収を上げる読書術

 

 

この調査結果を見て、「うおお!本読まなきゃ!」とか思っている人って結構多いと思うのだけれど、興味もない分野の専門書や、「お前の言っていることなんて5億年前に俺が考えてんだよ!」とムカムカするほど当たり前のことを書いている自己啓発本を我慢して読んでも、年収あがるかなぁと疑問に思う。というか年収高い人のほうが本買えるから購入代高くなるんじゃない?本を読む時間もあるし。買っているからって読んでいるとは限らないし。

何のために本を読みますか?というときに、「お金のためです」という人がいても、特にそれを「けしからん!」と言うつもりはない。日本はツッコミどころあるみたいだけど資本主義だし、お金を稼いで、それを上手に使う人が偉い立場に立てる社会だ。偉くなることや金を稼ぐことは悪ではない。どんどん目指したらいい。だが読書家ならば金を稼ぐスキルが上がるのか?といえば必ずしもそうではない。本を読むことは金持ちになるための必要条件ではない。稼げるようになってから本を読んでいる人もたくさんいる。むしろ金銭的、時間的に余裕が出てきた人が本を読んでいるんじゃないか?とか考えてしまう。

 

読んだら忘れない読書術

読んだら忘れない読書術

 

 

こういう価値観を持っているので、金を稼ぐために読書本やビジネス本に手を出し、「頑張って本を読むぞ!うおおーー!……やっぱり稼げなかった!読書なんてクソだ!」という風に思ってしまう人が増えてほしくないと思う。金持ちを目指すには絶対に読書は必要だ!というように、読書が神格化されてしまっているような気がする。読書術本によっては、読書のハードルを下げるばかりか、むしろ上げているように思う。本なんて好きに読んだらいいし、まとめサイトを読むくらい気軽でいいと思っている。完全に娯楽、趣味として読書を楽しんでいる身としては、読書術本によって、苦行のようなものとして読書を捉えている人たちがいるならば、その視点から一旦離れてみない?とか言いたい。

そもそも、著者側の気持ちになって考えてみると、読者を金持ちにしてやろうと考えて書いている人はビジネス本の著者くらいだと思う。そして同時に、金持ちになる方法を本として売るということで、金を稼いでいるということも忘れてはならない。

金持ちになりたかったらビジネス本100冊読むか、「お金持ちになるための条件!」みたいなネットのヨタ記事を100記事読んだらいいかもな。その後、「よっしゃ!金持ちになるぞ!!」と意気込んで、頑張ってビジネス本に書いてある方法を片端から忠実に実践していけば、お金持ちって世の中のことをどういう風に見ているのかというのが、何かわかってくるのではないかな。東洋経済オンラインは、売れ筋のビジネス本を売るために、結構内容をばらしながら要約してくれているので、そこら辺見て実践するだけでも違うんじゃない?

何が言いたいかって言うと、お金持ちになりたかったら読書したあと行動しなければならないっていうことです。当たり前だけど。本読んでるだけでお金持ちになるんだったら僕はかなりお金持ちだと思う。読んでるだけで金稼げるってねえ、怪しい宗教にハマっているのと同じだよ。そうなると、読書はひどく虚しい行為になってしまう。

「本なんてよく読めるね~」と言われることがある。僕からするとスマホゲーをやって友達作ってる人みるとめちゃめちゃ羨ましくなる。映画やゲームなどは比較的同じ趣味の人を探しやすいが、読書になるとこれが途端にガクンと減る。だから少しでも読書で話ができる人を作るためにこういうブログ立ち上げたり、何かいい方法無いかなとか思いながら日々生活している。おかげで今の仕事の知識が増えない。それくらい本が好きです。好きだから読んでいるだけ。それ意外に、さほど理由は無い。まあだからアホのままなのかもしれないけれど。

じゃあどんなふうに読書を好きになればいいのか!ということを聞かれることがあるけど、じゃあ、まとめサイトとかSNSとかに時間使っちゃうのは何でかな?と考えてもなかなか出てこないのと同じで、ちょっとむずかしい。そもそも、そこは自分で考えないと意味がないところじゃないかなと思う。楽しい!好きだ!それ意外にいろいろ理由がある方が、どんなものでも長続きしないってことなんじゃないかな。

 

achelou.hatenablog.com

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僕に数学を教えて

 

数学入門〈上〉 (岩波新書)

数学入門〈上〉 (岩波新書)

 

 

過去、数学が苦手だという記事を書いた。『はたらく数学』という書籍についての記事で、自分がどれほど数学が苦手かということを書いた。山崎はこの記事執筆を通して自己の数学苦手を反省し、いまごろ自在に数式を理解し、読書の幅と論理的思考能力を向上させ、より面白い人間になっているのだろう、あるいは理屈っぽい理系の男としての人生を歩んでいまいか?と心配をする人もいるかもしれないが、相変わらず数学が苦手な人間としてこの世界に存在している。

 

achelou.hatenablog.com

まったく歴史に興味がない自分が、E.H.カー著の『歴史とは何か』という本を読んで歴史を学ぶことを覚えたように、数学を研究している人、はたまた、数学が好きな人の意見というのを賜りたい。自分で感じなければ意味がない、と言われるかもしれない。作家の佐藤優さんは、数学は「テクネー」であると自著の中で語っている。実際に手を動かして問題を解決するということをしなければ身につかないという。

数学の場合は演繹的な思考をする社会科学とは打って変わって、帰納的な思考を必要とする学問だ。個別に見られる現象から、いかに法則性を見出すか?という営みが基本ととなる、と聞いたことが有る。そして抽象化の学問でもある。文章で説明すると、時間がいくらあっても足りないものを数と式によってサっと表してしまう。数学は論理的思考が身につくと言われているけれど、実は一番恩恵があるのって、この抽象化と帰納法的な思考が養われるということなのではないかと、数学まったくダメな人間からすると思うわけです。

 

数学入門〈下〉 (岩波新書 青版 396)

数学入門〈下〉 (岩波新書 青版 396)

 

 

よく限定合理性なんて言葉が使われる。人間の思考能力はすべて論理ずくであり、すべて合理的に判断されている……ということではない。少し前に注目を浴びたダニエル・カールマン著『ファスト&スロー』が詳しく書いていることだ。数学をやって、たとえ論理的思考が身についたとしても、ヒューリスティックな判断によって、不合理な決断を取るのが人間である。だから、数学をやったからといって、合理的判断が身につくかというのは甚だ疑問だ。ではなぜ山崎は数学を会得したいか?

答えは至極シンプルで、読める本の量の本を増やしたいから。数学の論理が前提になった本はたくさんある。数学を使いたくないから文系の学部に入ったものの、社会学研究の根拠となるデータの解析には統計学が必要であった。この頃から嫌な予感がし始める。意識高い系になった頃は経済学の本を読み始めるが、文系科目だと思ったらまさかの理系知識バンバンに使わなければならないと知る。

そこで山崎は悔やむのだ。「あぁ、社会に出てから数学なんて使わない」という親の言葉と、それに甘えた自分が悔しい!世の中の読み物一般という広範囲に数学は横たわっている。苦手意識からそういう本をしっかり読んでいないということは知識に偏りができるということだ。できれば改善したい!と思っている。

 

人物で語る数学入門 (岩波新書)

人物で語る数学入門 (岩波新書)

 

 

もうひとつご利益にあやかりたいことがある。これは僕の素養や、地頭の良さにも関わってくるから、必ずしも手に入れられるものでもないけれども、魅力的である。「カオスから秩序を読み取る力」だったり、楽器がひける人が楽譜を読むように、「ひとつの情報量たっぷりな記号から情報を読み取り、記号で思考し、操って、運用ルールの中で自分の考えを表明する」という力というのは、論理的思考以上に価値のあることだと思う。バラバラになったピースから共通項や法則を見出し、「それってつまり、こういうことだよね」という一つ上の視点から物事を俯瞰して理解できるようになるかもしれない。

多くの本をガガーっと読むと、自分の中に大量の情報が入ってきて、それらが互いに反応し合うときと、そうで無い時がある。反応しあうと、「そうか、あれとそれは同じこと言ってるな!」という具合にスッキリする。そんなことは1年間読書週間を続けてきて5回あるかないかくらい。いかに自分が無知であるかという自覚と劣等感の戦いの日々でありんす。

 

 

きっと数学が得意な人たちは図形の問題が解けてスッキリ!という感覚を味わったことが何度もあると思う。僕なんかは図形問題が苦手中の苦手だったので、食い入るようにどこに補助線が引けるかとか、どの角とどの角が一緒か?というのを見てしまっているけれど、数学が得意な人の中には「感覚で分かる」とか言う人がいる。俯瞰して見ていることで、ああ!これはあの公式だな!とか、ここに線を一本引けば問題解けそう!とか、そういう能力が備わるのだ。

数学を理解するということはそういうことなんじゃないか?と理系に憧れをもつ文系人間からすると思う。この数学に対する考え方、間違えているならどうぞ容赦なく叩き切っていただきたい。ただし、その際はあなたが思う「数学はこういう魅力がある」という一文を添えて頂きたい。コメント欄でもいいし、シェア先のSNSでも良い。こんな大それた内容の記事を書いておいて、今一歩数学モードになりきれない自分が腹立たしいのだけれど、もしご教授いただける心お優しい方がいらっしゃるのであれば、ぜひとも、何卒、よろしくお願いします。

 

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