点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

『灼熱の魂』

 

 

灼熱の魂 Blu-ray

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僕は映画の内容を、1回で覚えるのが非常に苦手だ。何回か鑑賞しないとしっかりとした内容を覚えられないのがコンプレックスで、最近ほとんど映画のことについて書いていなかった。

映画マスターの友人であるアリクイ君からオススメされた方法がある。「観たすぐ後に、その映画について想いを巡らす」というものだ。「何か能力を身につけるには、身もふたもない、当たり前でシンプルな方法が一番効く」といことを、最近常々思うようになっていたので、せっかくなのでブログという装置を使って実践してみる。

と、言いつつ、今回取り上げたい『灼熱の魂』だけど、僕はこの映画を2回観ている。

1回目は先ほどのアリクイ君にオススメされたから、ツタヤで借りて観た。2回目はつい先日、アリクイ君の家で酔っ払いながら映画の話について盛り上がっていて、「そういや『灼熱の魂』について話してないじゃーん」と話を振られ、「ああそういえば!」と思ったはいいものの、実は最後のオチ以外、あまり覚えていなくて、でもそれを悟られたくなくて(バレてるだろうけど)重い映画であったという印象から、「あんま好きくない」というクソ薄っぺらい感想しか述べられなかったのに罪悪感を感じたので、急いで観た。

よくもまあ、この内容を忘れられたもんだと自分の脳みその性能を疑いたい。集中して観たせいか、鑑賞後、ほとんど何もできなくて、寝た。「鑑賞後に作品について想いを巡らせるのがいいと思うよ」というアリクイ君のアドバイスはどこかに行ってしまった。言いつけも守らずに寝てしまった。

あらすじをAmazon掲載のキネマ旬報社データベースより引用する。

母の深い愛が心を揺さぶるヒューマンミステリー。双子の姉弟・ジャンヌとシモンの母親が、謎めいた2通の手紙を遺して他界。その手紙は存在すら知らされていない姉弟の父親と兄に宛てられたものだった。姉弟は母の数奇な人生をたどり始めるが…。

特定の映画について話す空間に、その映画の未鑑賞者がいたとして、まあいいや、ネタバレをしてしまえと思えてしまう作品と、観てない人がいるなら絶対にネタバレしたくない作品とあると思う。この作品については後者だ。だから多くは語れない。スカスカの感想になることをお許し頂きたい。

この映画の好きな点は、多くを語らない点。そして、しっかりとこちらに想像する時間をくれる程よいテンポだ。

例えば、序盤、ある登場人物が「お前は過ちを犯した!」と糾弾されてしまうシーンがある。けれど、具体的にどんな過ちなのかという詳細はセリフに出てこない。「多分、こういうこと」という察しがつく。この、「多分、こういうこと」を、ほとんど終盤まで、繰り返し仕掛けてくる。もちろん物語が進むにつれて謎が明らかになっていく。そして終盤、「多分、こういうこと」をしたくなくなるほどの暗さが作品を包み始める。モザイクのように散りばめられた、多くの伏線の回収が押し寄せてくる。それが収束した後にやってくる、最後の重い一撃は、なんだろう、なんかこう、なんかだ。そんな感じ。貧弱な語彙では、ネタバレなしの感想というものは難しい。見てください。

好きになれなかったところを敢えて書く必要は、未鑑賞者のいる空間で話すべきではないから、今回はとにかく見てほしいの一点張りで乗り切ろうと思う。

一緒にお話をしたいので、是非見てください。

明るい気持ちの時に見るのではなく、程よく落ち込んでいる時に見てください。あと、是非集中できる環境でどうぞ。じっくりと時間の取れる、2連休1日目とかに。

 

灼熱の魂 (字幕版)

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灼熱の魂 [DVD]

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『猫語の教科書』

人間の心を最も動かすことのできる動物は人間ではない。猫である。

猫が嫌いであるという人はこの世にいない。もしもいたとしたら、おそらく猫に親戚か友人知人を殺された者たちだ。そういう人は無理に猫を好きになる必要は無い。至極少数である。そのような人たちから好かれなくても、猫を好いている人間というのは掃いて捨てるほど存在するから、猫にとってはどうということはない。

彼らがいかに人間心理を理解しているかということが伺い知れる資料がある。スノーグースなどの作品で知られる作家のポール・ギャリコによる『猫語の教科書』だ。ポール・ギャリコはこの著作において、猫語の翻訳を行った数少ない人物である。

 

猫語の教科書 (ちくま文庫)

猫語の教科書 (ちくま文庫)

 

 

もともとの原稿の作者は不明だが、ポールの翻訳によれば、メス猫であり、生後すぐに交通事故で母を亡くし、野良猫生活中に一念発起して人間の家の乗っ取りを決意し、4匹の子猫を理想的な家庭へと送ったやり手である。想定読者は猫である。

なんと言っても本書のメインコンテンツは人間心理をコントロールした一家征服術である。捨て猫から理想の家庭へ潜り込むときの手法(金網にしがみついて哀れな子猫を演じる)や、家の中に断固として入れることを拒否した主人を、ものの10ページ足らずで懐柔する様子など読むにつけ、同じことをされては僕も「この猫を飼う!!」と心に決めるに違いないと思う。猫の行動が人間に対してどのように見えるのかを熟知した、圧倒的体験知から繰り出される技法と主張には舌を巻く。文体が非常にいじわるだが、妙に説得力がある。ぐうの音もでない。

「擬人化」ということばがこの本にはひんぱんに出てきますから、意味を理解してください。「擬人化」とは、動物やものを人間になぞらえることです。どうしてそんなことをするかというと、人間はうぬぼれ屋で、世界は人間を中心にまわっていて、地球上で一番すばらしいのは人間だ、と考えているからなんです。おかげで人間は、1日のうちの半分は私達を猫ではなく、人間に近いものだと考えているの。

そういえば、猫の動画を視聴している間、勝手に脳内でアフレコをしていた気がする。我々は多くの動物に対して擬人化をしているが、こと猫に関しては顕著になる。猫が飯を食いながら鳴いたりすると「うまい、うまい」と聞こえたりするし、見つめられると「どうしたの?ご主人」と言われている気がするし、猫じゃらしで共に戯れるのを見ると子どもと遊んでいる心地がする。

また、人間を猫化したりもする。可愛らしいものを猫に例えたりする。猫耳は海外でも日本でも万国共通でニーズがある。猫なで声という人間が出す声もある。

人間は猫を人間に寄せて考えようとするが、そこを逆手に取られ、あれよという間に思考や習慣を猫に支配されていることに気が付かないのだ。

やけに頭の良い猫は、「快適な生活を確保するために、人間をどうしつけるか?」というテーマで書かれた本書を読んでいるかもしれない。我々は彼らの手の内を知り、堂々と猫に飼いならされるべきである。人間が猫を飼っているのではない。猫が人間を飼っているのである。それは大いに喜ぶべき真実である。

『古代ローマを知る辞典』

古代ローマを知る事典

古代ローマを知る事典

 

 2004年の本なので、最新の研究結果とは違う部分があるのかもしれないが、まさしく古代ローマを知ることができる一冊だ。予備知識はほとんどゼロで良い。歴史にさほど関心や熱意のない人であったとしても、スラスラと読み進めることができるほど平易に、わかりやすく纏まっている。

 さて、この本を読み始めるまで、僕は古代ローマなんて微塵も興味がなかった。世界史のおさらいをしていると、序盤の方にでてくるやけにデカい帝国、あるいはテルマエ・ロマエと関係する古代の文明、という印象くらいだった。あとは哲学史とかでちらっとかじる程度で、具体的にどういう文化だったのかということには、殊更興味が沸かなかった。現代のニュースや出来事についてあれこれを考えるとき、古代ローマを引き合いに出して考える人は稀な気がするしね。偏見かもだけど。だから、僕的には薄い存在だった。

  ローマのことをほとんど知らない僕が面白いと感じ始めたのは、本書の第2部からだ。第1部は「古代ローマ帝国入門」と第されているとおり、ローマ帝国概説である。歴史の教科書にも載っているような基本的な情報もあるが、帝国の細かな制度についてだったり、ローマという都市にはどんな人々が住んでいたのかという受験にはあまり必要のない知識が得られたりするので、それはそれで興味深かったりするのだけど、第2部の「古代ローマの社会と生活」からが、個人的には面白い。

 本書の第6章「人口からローマ社会を見る」によれば、古代ローマの首都であるローマ市は、べらぼうな過密地域だったらしい。紀元前350年ごろの人口が30,000人だったのに、164年ごろにはなんと100万人都市となった。

 墨田区(人口25万人ほど)ほどの大きさのローマ市に100万人すべてがすし詰めになっていたわけではないが、交通網などが発達していなかったため、市街地から遠く離れて暮らす人も少なかったと考えられている。現代東京もびっくりの過密地域へ上京してきた諷刺詩人ユウェナリスのぼやきが引用されていて、これが面白い。

 …われわれはいくら急いだところで、前にいる人の波につっかえてしまい、あとから来る群衆はこれまた大勢で腰を押してくるのだ。こっちのやつが肘でけんつくを食わせると思えば、こっちの奴は、固い輿の長押をぶつけ、こいつは材木を、あいつは油の樽を私の頭にぶつけてくる。

 それでもって、住宅事情はまさに今の東京のような状態で、読んでいて謎の親近感が湧いた。

 人口の過密は土地不足を生じさせ、土地の不足は土地価格の高騰と住宅の高層化を生じさせていた。とりわけ首都ローマでは、アパート形式の集合住宅が数多く建てられ、庶民の多くがそこで暮らしていた。そうした集合住宅が6棟から8棟ほど密集して一つの街区に建てられて、街区の殆どが占領されていた貧乏街は、その街区自体がこんもりと盛り上がった島のような景観を呈していたに違いない。

 無学の者には遠い存在だった古代ローマが、こういう情報によって急に近くなる。ちょっと歴史との距離感が縮まる思いがして、なんだか嬉しかった。他にも、都市部に住む人々は街の喧騒に嫌気が差し、自然的な、静かな空間へ憧れを持ったりしたローマ人なんかもいたということを知ったりすると、過密地域では、人種や時代が違ってもおんなじような反応をするものだなあと感心したりした。

 著者の長谷川岳男、樋脇博敏の両名とも歴史学者であり、共にローマや古代地中海世界についての学術系の本を書いている。ビジネスライターが書いたいい加減な歴史本ではない。専門家2人によってローマのエッセンスが凝縮された一冊だ。

 巨大帝国の栄枯盛衰ぶりだとか、強大な権力による「悪」の側面だとかをフューチャーされがちなローマ帝国。本書は、そうした一般的な古代ローマのイメージを持つ人にとっては、別の見方、別の知り方を教えてくれる。

 ローマなんて全然知りません、興味ありませんという人にとっても、想像以上に発展しているローマの人々の暮らしぶりや、それらと現代の暮らしぶりを比較することが、それなりに楽しいらしいということを体験するきっかけを与えてくれる本になるかもしれない。

長谷川さんのこの本もおすすめ。