点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

無自覚な悲観を自覚する──『オプティミストはなぜ成功するか』

前々から勧められていた本がありました。こちらです。

オプティミストはなぜ成功するか [新装版] (フェニックスシリーズ)

オプティミストはなぜ成功するか [新装版] (フェニックスシリーズ)

 

いいですね~!久しぶりの自己啓発本です!「なぜ成功するのか」という、成功すること前提な不遜なタイトルから特有の香りがぷんぷんしますね!

月額1,080円払うと微妙なラインナップの本がそれなりに読めるようになるAmazonのサービス「Kindle Unlimited」で、この本が読み放題対象になっていたので読んでみました。

本書はペンシルベニア大学で博士号を取得したマーティン・セリグマンという心理学者の方が書いたもの。この人は1970年代に精神疾患の研究、特に学習性無力感の研究をはじめて、そこから転じてポジティブ心理学という分野を作った人物です。うつ病とかについて調べたことある人なら多分名前を聞いたことあるかなと。

タイトルのオプティミストとは「楽観主義者」のことです。僕はこの本を読むまで自分は楽観主義者だと思ってました。デブだし、ED気味だし、住みたいと思えるような住環境ではないし、身につけたい習慣も身につかないし、体調も悪いし、そのことが影響して給料が低いし……「けどまぁ、なんとかなるやろ~人生それだけじゃないしね!」と思っていたんですね。

この本の第2章に、自分が楽観主義者か、あるいは悲観主義者か判別できますよ!というテストがありまして、テストしてみました。くそ時間かかった。もう二度とやらん。すると、楽観主義者だと思っていたのですが、なんと!圧倒的に悲観主義でした!

テストの合計点が0点以下であれば相当な悲観主義であるということらしいのだけど、僕はこのテストで-9点だった。まいなすきゅう……。計算間違えたかと思ってもう一回やり直したもの。自分は楽観的だと思っていただけに、単なるテストの点とはいえ、ちょっとショックでした。

特に、なにか悪いことが起きたときに、それが「いつも」とか「永続的に続く」という思考パターンに陥りやすく、個人的に良いことがあっても、それを他人のおかげと思いやすい傾向があるらしいんですね。

小さな挫折に対してすぐにクヨクヨする。何かいいことがあっても、それはたまたまうまくいったとか、他者のおかげであるとか、そういう風に考えるので、自尊心があがりにくい。それがずっと続く。こうした思考パターンが続いてしまうと、基本的に挫折に弱く、無力感に常に苛まれてしまうことが多くなるのだとか。

うん。なんか、思い当たる節あるわ。

僕は基本的に、「どんなに自分が頑張っても、報われないときってあるよね!努力は報われるなんてウソウソ!」と思っています。うまくいく打率を上げるために自分の能力高めるのは損じゃないけど、「努力は報われる!」なんて夢でしょ?正しくは「報われる可能性が高くなる」でしょ?なにか成功したとしても、それって自分だけが要因じゃないよね。だから自分のおかげ!って思うことは良くないと思うなあ。はぁ~!人生って、ままならんわな~!という感じで思ってたけど、こういうのはこの本の判断では悲観的なんだね……。語尾になんとかなるやろ~つけてもダメだとさ。

いやでもね、悲観的でもいいところはあると思うんですよ。物事を自分にだけ都合よく認識したり考えたりすることは「自分勝手」じゃないですか。楽観主義ってそういうことでしょ?と思ったら、悲観主義のメリットは、現実を正確に判断しようと努めるところにあるとしっかり書かれてた。でもそれ以外のいい事を書いてくれていなかった。「悪いことがどんどん起きます。鬱になります。」とか書かれてた。そういうこと書くからなんか自己啓発特有の不安商法と胡散臭さ出ちゃってんだよな~って思ったけど、結果的にこの本はいい本だったなと思ったのでこの記事書いてる。

というか、そうなると楽観主義者って「自分勝手の浮かれポンチ」のことだと思うんですけど、どうなの?という疑問が生まれます。ここはこの本を誤解して読まないための、重要な部分だと思うんですが、著者のセリグマン氏によれば、

「全部に楽観的になったらそりゃあんた自分勝手な浮かれポンチですわ。リスク高い決断するとき発揮しちゃうと大損ぶっこいたりして怖いです。そうじゃなくって、楽観的になる、ならないを操れるようになりましょ。」

ということらしいのです。

つまりリスクの低い決断(この営業手法を自分の中に取り入れるか?とか、新しい掃除機を導入するか?とか、告白が成功するか?など)には楽観的であったほうが得ですよ、ということですね。そうした細々としたことにも、いちいちストレスを感じてしまうから、悲観主義者はうつ病リスクが高まったり、ストレスフルな状態になってしまうという理屈です。

ひどいと、自分は何もできない人間だと思いこんで、生活が困難になってしまうとまで書かれてあって、脅しすぎじゃないか?とか思いましたが、うつ病のケースとか見るとあながち間違いじゃないかなと。で、僕のような総合的かつ圧倒的悲観主義者の場合、思考のバランスを取るためには、「悪い出来事が起こった時の反応に対する反論」を習慣化することが基本となるようで。

どういうことかというと、悪いことが起こった場合、心の中で「ああ自分はなんてだめなんだ」とか「自分はくそだ」と思ったとしても、「いや待てよ。以前は成功していたはずだ。ダメと決めつけるのは早計だ」という具合に反論するクセをつけようということです。本書には付録で反論のフォーマットがあるけど、多分こういうことを楽観主義者と呼ばれている人たちは自然とできてるんだと思うんですね。

そんなんちょっと考えればわかるやーんということに、案外僕らは気が付かないんですな。客観的な文章だったり、ニュースだったりに批判はできるけど、自分が物事をどういう風に捉えているかというのは、ほとんど無意識で処理してしまっています。自動的な思考です。自動的な思考は、脳みその省エネにはなりますが、その対価にストレスが蓄積するのであれば、めちゃくちゃ損です。

その他いろいろ胡散臭いところはあるけど、そういうことを気づかせてくれたというところでは、為になったかな。僕みたいに、楽観主義者だと思ったら、実は悲観的で、無力感から「どうにでもなれ」と思っていた虚無主義者だったという場合もあると思うので、興味ある人は読んでみると面白いかも。

マーティン・セリグマン他著

ポジティブ心理学の挑戦 “幸福

ポジティブ心理学の挑戦 “幸福"から“持続的幸福"へ

 
世界でひとつだけの幸せ―ポジティブ心理学が教えてくれる満ち足りた人生

世界でひとつだけの幸せ―ポジティブ心理学が教えてくれる満ち足りた人生

 
つよい子を育てるこころのワクチン―メゲない、キレない、ウツにならないABC思考法

つよい子を育てるこころのワクチン―メゲない、キレない、ウツにならないABC思考法

 

メンタルクリアIKKO

人間は「生きる」という生物における至上命題を、想像力によって無視することができる厄介な性質を持っている。

僕も何度か「死にたい」と思ったことはあるが、人間「死にたい」と思っているうちは自殺なんてしないというのはよく聞く話。むしろ自殺は元気な時ほどやってしまいがちという通説もある。いつの間にかストレスが溜まり、元気なんだけど、

「もういいか!死んじゃえ!このまま生きててもあーだこーだ(生きることのデメリット)そんなら死んだ方がよくね?やばwwwウケるwww拙者もう生きていくのは無理でござるwwww」

みたいな事になりかねない。

自分のストレスに敏感になった方が良いかもな、ということで、こんな本を買ってみた。Kindleで500円だった。

超ストレス解消法 イライラが一瞬で消える100の科学的メソッド

超ストレス解消法 イライラが一瞬で消える100の科学的メソッド

 

いかにも胡散臭そうなタイトルと表紙なんだけど、中身は「ストレスに関する論文の結果とかを参考にしながら、ストレス解消に効果あるっぽいこと纏めました。各自選んで使ってみてくれーい!」という内容。参考文献リストもある。だいたい海外の大学の論文で英語。英語は読めないから、本当にその論文があるか?とか、論文の妥当性は高いか?とかそういうのは分からない。僕自身に英語文献の調査能力はないので、いちゃもん付けたい場合は本書を購入したのちに読者各自でやってください。

で、僕自信が何個かやったうち、即効性があるものがあった。

それが、「メンタルクリアボタン」である。

やり方はこう。

1 手の平の上に「押しボタン」をイメージする。

2 押しボタンは脳に直結しており、「ネガティブな感情を止めるシグナル」を送ることができると想像する。

3 自分の呼吸に意識を向けながらボタンを押す。

4 呼吸をしながら心の中で「1」と数え、「赤い色」を思い浮かべる。

5 呼吸をしながら心の中で「2」と数え、「青い色」を思い浮かべる。

6 呼吸をしながら心の中で「3」と数え、「緑色」を思い浮かべる。

騙されたと思ってやってほしい。

僕は騙されたと思ってやったら、思いのほかモヤモヤが消えることが分かった。

どういう理屈でメンタルがクリアになるか?ということだけど、スタンフォード大学の心理学者ドン・ジョセフ・ゴーイー博士によると、脳内で数字とボタンのイメージをすることで、恐怖や不安など、生命の危機に直結するような感情を感じた時に反応するエリアの処理を、一時的に鈍らせることができるらしい。

ところで僕はこれを会得したあと、もうちょっと威力を強くできないかと試行錯誤をしてみた。その結果、メンタルクリアボタンの部分を、IKKO氏に変換させた方が、個人的には良いと言うことが分かった。

IKKO氏のネタ(?)に、「まぼろしーーーー」と独特のIKKO発声で叫ぶものがある。これをメンタルクリアボタンのテクニックに組み込んでしまう。

つまりこうなる。

1 手の平の上に「押しボタン」をイメージする。

2 押しボタンは脳に直結しており、「このネガティブ感情は幻であると分かるシグナル」を送ることができると想像する。

3 自分の呼吸に意識を向けながらボタンを押す。

4 呼吸をしながら心の中で「1」と数え、「『まぼろしーーー』と叫ぶIKKO」を思い浮かべる。

5 呼吸をしながら心の中で「2」と数え、「先程より大きな声で『まぼろしーーーー』と叫ぶIKKO」を思い浮かべる。

6 呼吸をしながら心の中で「3」と数え、「さらに大きな声で、『まぼろしーーーーー』と叫んでいるIKKO」を思い浮かべる。

面倒な人や、急いでメンタルクリアをしたくなったら、とりあえず手順6のみをするのも良いかもしれない。自分でIKKO氏の真似をするのも良い。

ネガティブ感情というのは脳内の処理であり、事実をねじ曲げて認識する認知バイアスを作り上げかねない。所詮は脳内処理である。あらゆる認識は脳内処理が見せるまぼろしーーーーであると思った方が元気出るかなと思って試したら、僕にはてきめんだった。

過失があったなら、まずはどう挽回をするかということに思考を傾けるべきだが、過失による羞恥心や罪悪感に飲み込まれたままでは、確からしい一手を打つことは難しい。故にIKKO氏にまぼろしーーーと叫んでもらうことで、まずネガティブ感情を思考から切り離すのだ。

このアレンジされた方法を使ったことによるあらゆる悪影響や事件事故に関しては、僕は一切責任を取らない。自己責任でやって頂きたい。無闇やたらとネガティブ感情を幻であると判断するのは、もしかするとかえって危険である可能性もある。僕がこれを使う時は限定的て、不安でどーしようもない、寝れない、気分が悪くなって動けないという時の、その場しのぎに使っている。根本的な不安やネガティブ感情の解消については、紹介した書籍や、心療内科などを頼るべし。

また、本来のIKKO氏の「まぼろしーーー」の使い所は、他人に現実だと思われたくないことを言われた時に使える処世術である。

「こないだお前部屋着みたいなジャージで銀座にいたろ」

「やだそれあたしじゃないわよーやだぁーーもーーー!!まぼろしーーーーー!!!!」

というように使うものである。決してこの世は幻であるというような虚無主義などの立場で使っている訳ではではないはず。

一応僕が都合よくIKKO氏の持ちネタを使っていることだけは、しっかり書いておく。

『外国語上達法』

 

外国語上達法 (岩波新書 黄版 329)

外国語上達法 (岩波新書 黄版 329)

 

何かを始めるときには、その手の分野で名著と呼ばれるものをピックアップして読むことはとても良いと思う。その本がいろんな本の底本になっているので、他の本を読む労力を節約できるという恩恵を受けることができる。あとの本はおまけか、怖いもの見たさで見ることができる。

『外国語上達法』を読めば、他の外国語学習本を読む労力を節約できると思った。

この本は1986年に岩波新書で発売されたが、それ以降に出てくる硬派な外国語学習本は、この本で言っていることの焼き増し感が否めない。また、軟派な自己啓発の色を含んだ外国語学習本は、外国語を簡単に覚えることができる!という嘘を喧伝する害悪でしかない。トロント大学名誉教授である中島和子氏や、オハイオ州立大学名誉教授のテレンス・オーディン氏らの研究では、言語を高いレベルで運用できるようにするためには、3000時間から5000時間は必要であるという研究結果がある。1日5時間休まず勉強しても、約3年はかかる計算となる。

本書の書評やレビューでも、多く取り上げられている箇所に、著者とS先生(日本人)という人物の会話がある。このS先生は専門家でもないのに、原典(フランス語)のプルースト著『失われた時を求めて』を趣味で読破したり、著者のドイツ留学の折には紹介状をドイツ語で書き、それを見た現地ドイツの大学院学生から「あと10年すればこんな見事なドイツ語かけるかな」と言われたりしていたらしい。基本的に、この先生の教えに従って、外国語習得で必要なものを挙げている。ざっくりまとめると、

「外国語学習で必要なものは、お金と時間」
「覚えるものは、語彙と文法」
「良い教科書、良い教師、良い辞書を揃えよ」

この3つである。第2章でS先生から教えられたこの要点を、次の章から解説するという具合に本書は進んでいく。

白状すると、僕は英語の勉強そっちのけで、英語の学習方法について勉強をしてしまった、典型的なアホである。おかげで英語なんてこれっぽっちもできやしないが、英語の学習方法に書いてあることは覚えている。その感想としては、「根拠がS先生というのは如何なものかと思う半面、他の外国語学習の本にも似たようなことは書いてあるし、この3つは間違いではなさそう」ということだ。

1つ目の「お金と時間」だが、何かを勉強をする場合、英語に限らず、この2つはあればあるだけ良いから間違いではないだろう。ただ、インターネットが普及し、無料で読める辞書や、英会話アプリなどが登場したことによって、英会話スクールに通うという選択肢以外にも、様々な方法が取れるようになったので、必ずしもお金をかける必要は無くなってしまったようには思う。時間がない場合は元も子もない。諦めるか、時間捻出をするしかない。

2つ目の「語彙と文法」についても、間違いではなさそう。大変不人気な分野で、僕もこれをやるのはクソほど嫌い。でも、やらねば文の構造を効率よく理解することは難しい、というのは素人目線でも「そうだろうな」と思う。

最近見聞きする外国語学習論に「文法不要論」がある。というのも、アメリカの小学生は日本人がやるような文法を、授業なんぞでやらないからだ。日本人も同じで、「私はりんごが好きでした」という言葉を「過去完了形」とかなんとか言わない。文法不要論の要旨は、アメリカ人が辿るように、英語を聞いたり使ったりしていくなかで文法を獲得せよというものなのだが、それこそ、留学なり親が外国人でない場合、むしろ大変で時間がかかる。

メンタリズムでなんでもできるって言ってるイメージのあるDaiGo氏でも、「マジになって文法やらなくてもいい」とは言っているけど「文法をやるな」とは言っていない。

DaiGo氏によれば、「文法を学んだことによって学習効率がどれだけあがるのかということは、科学的にはまだ良くわかっていない。マジになって勉強しなくてもいいけど、本格的な勉強やる前に、大学受験用の文法書をさらっと読んでおくといいかも……」とということだ。DaiGo氏好きな人はこの本読んだらいい。

科学的に正しい英語勉強法

科学的に正しい英語勉強法

 

3つ目の「良い教科書、良い教師、良い辞書」だけれど、言い出しっぺのS先生から、矛盾した言葉が飛び出てきている。

「ねえ君、いい辞書とか、いい学習書とかいろいろ心配しているけどねえ、二葉亭四迷だって、坪内逍遥だって、森鴎外だって、いい辞書も、良い学習書もないのにあんなにできたじゃない。これどいういわけ?やる気よ、やる気。やる気さえあればめじゃない、めじゃない」

なるほどS先生。 クソ刺さるわ。