点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

自演と宣伝

bunkolog.hatenablog.com

拙者、『文庫-LOG』という文庫で読める本を紹介するブログなんてのもやっているんであります。

ブロニーなんて下品な内容の記事を、一番上に載せておくのが、なんだか恥ずかしいので、無理やりねじこむ。

更新しました。

それだけをねじ込む。

氷菓』のアニメを観た後、ブックオフで全巻見つけてしまったので購入した。一気に読んだ。アニメしか観てない人は原作も読んで欲しい。ワンクッションをはさみたい人は、上の記事を覗いてみてくれたら嬉しい。

 

さて、惑星鬼天竺という珍妙な名前のバンドを再始動させ、ついでに惑星鬼天竺名義ではない状態で発表していた平沢進カバー音源を、動画投稿サイトにアップしたりしている。惑星鬼天竺名義、山﨑/AchelouでもTwitterをしているので、お互いの情報を、自分で宣伝する。まさしく、いまこの記事で、別のブログである『文庫-LOG』を紹介するのと同じような感覚で、やってしまっている。

古くから、自演はネットにおいて忌み嫌われる行為である。図々しい人間は嫌われるというのは、いくらフラットに見えるネット社会でも同じなんだなと痛感する。

むしろ最近じゃあ、ネットで悪目立ちをすると魔女狩りの如くに様々な方面から打たれるというではないか。出る杭打ちをしている暇があるなら僕のようなブロニー(ブログオナニー)の1つでもしっぽりやったらどうなんだと思う。

しまった。下品なワードを散りばめてしまった。早急に次の記事の内容を見つけなければ……。

文庫-LOGに話を戻すと、このブログは文庫化されている小説や、もともと文庫で出ているものだけを扱うという、クソほどゆるい縛りを設けている書評ブログだ。『氷菓』で16冊目のレビューとなる亀更新っぷりに自分でもちょっとそれはどうなんだと思っている。なんとかして更新頻度を上げたい。ところで、『氷菓』は、あまり最近小説に触れていなかった僕の脳みそに確かな栄養を与えてくれた。

久しぶりに、色鮮やかな読書体験ができたことを嬉しく思う。

 

そういえばこっちで宣伝してなかったので。

www.nicovideo.jp

こっちもよかったら聴いてほしいけど難しいよこの曲……。

ブロニー

未だに悩むのが文体、文末について。
「ですます」がいいのか、「である」がいいのか。

そんなことに悩み眠れぬ夜を過ごすのであれば、とっととクソして寝たほうが、人たる存在として有意義であることは百も承知だ。

しかし、人は馬鹿なことに意志力を使うからこそ人である。馬鹿ではないことに力を使うのはコンピュータに任せる時代になってきたのであれば、堂々と馬鹿なことにエネルギーを使うべきだ。AIに仕事が奪われるのではないかと危惧する人たちがいるが、それは他人の役に立ち、経済的活動において有益であることをしているからだ。人の役に立ちそうもないことを、シコシコやっていけば、それは仕事と呼べないかもしれないが、少なとも生きがいにはなる。

 

初っ端の疑問について、僕の回答はこうだ。
「しかし、やはりこの疑問について、悩むのは重要ではない」ということだ。

 

例えばいくら正しい日本語と豊富な語彙、天才的な言葉選びで記事を書いたとしよう。しかし、読み手から面白いと判断されない限り、ブログはオナニーに近い行為である。

 

いや、近いどころかむしろオナニーである。
これをブロニーと名付ける。ブログオナニーだ。
特定のアニメファンにおける大きなお友達を指す言葉としても使われている言葉であるらしいが、そんなことは知ったことではない。僕はそのアニメを観ていないし、知り合いにブロニーもいない。だから僕がブロニーという場合は、ブログオナニーのことだと思って頂きたい。

 

かねてから僕はブログとは文字による公開自慰だということを主張している。残念ながら、下品な言葉を使っているせいで、いいねスターがつかない。納得がいかない。

いいねスターをください。

 

ついでに言うと、内容もそれほど関係ない、と睨んでいる。

それは、他人のオナニーの上手い下手を気にする人は、あまりいないという理由と完全に一致する。

ネット言論で大事なのは、「誰が言っているか」、つまり「誰がオナニーしたのか」という、ブランド・権威性の問題であり、ブランドや権威を持たない者の文章は、もれなく電子の海の藻屑と化す。たちまち化す。秒速で化す。

ちょっと納得がいかないことが書かれていたりすると、うっかり翌日尿検査をすることを忘れて自慰にふけった男子中学生が、再検査を依頼される程度の問題と同じく、大したことにもならない。ブランド・権威性がなければ、炎上もしないのだ。

僕のこの発言を、「文章を発信するという営みを軽視している」と批判するのは間違いである。

オナニーは生命維持にかかせない。適度な性欲の発散は、来たるべき生殖行動のための予行練習、はたまた行き場の失ったリビドーのガス抜きであり、これを怠るのは生命として不自然である。

不自然であることは善でも悪でもない。平均値から外れているというだけだ。だからEDを軽視している発言として、受け取ってもらいたくない。僕はうつになってから、これっぽっちも性欲がわかない。代わりに、不安やクソほどどうでもいい思考がダダ漏れ状態だ。

タバコ依存症の人が禁煙に成功しても、食にその代わりを求める。それと同じで、ブログの更新頻度が格段にあがった。これはブログを書く時間が、そもそも仕事をやめたことによって増えた、というのもある。

ただ、だとしたら読書に当ててもいいし、他の趣味だってやってもいいのに、小学校から苦手意識のあった作文なんぞに勤しんでいるのは、ひとつの欲求が失われてしまったことによる代替案がブログである可能性もある。

根拠?ないよそんなもん。なんとなくだよ。

つまり何が言いたいかというと、ブロニーだって生命維持に欠かせないことなのだ。だからこれからも「知ったかぶり」「誤字だらけ」「気取り屋」「平沢進にたかる寄生虫」「説得力ゼロ」「想像力インポ」「うつデブニートの戯言」などなど様々な言いがかりを付けられても問題はない。これはブロニーなのだ。

人のセックスを笑うな。この笑うというのは「嘲笑う」ということであるとあの映画を観て思ったことだけれど、これはブロニーにおいてもそうだ。

人のブロニーを嘲笑うな。好きでやっていることにたいしてイチャモンをつけるのは勝手だが、書き手に対してダメージは無い。いや、人によってはあるかもしれない。僕は少し気にするからお手柔らかにしてほしい。けれど、これからも多分、ずっと、こんな感じでダダ漏らしすると思う。

読みたいと思う人にだけ伝わればいい。楽しんでいただければいい。

男根の代わりにキーボードを。ティッシュの代わりにワードソフトの誤字検索機能を。

あとは「投稿する」ボタンで、『点の記録』というローカルな下水道に、しっかりレバーを「大」に入れて流すだけだ。

いまさら『氷菓』を観る

何もやる気が起きない日が少なくなってきた。よい兆候だと思う。

趣味を楽しめる心の余裕が無くなったら、いよいよ精神の骨折も夏本番という具合だが、アップダウンを繰り返すうちに、ダウナー状態でも持ち直すことができる日が増えてきている。

しかし今日は1日が始まってから全てにおいてやる気を失っていた。

もうその時に決めたことをしようと思った。しかし本を読むことすらままならないほどの無気力状態である。手にしたスマートフォンOPPO R15ProでTwitterを確認すると、つい先日投稿した動画にどんな反応が返ってきているのかというエゴサ欲求が支配し、この世で一番無駄な時間を過ごしていることに気がつく。

自己嫌悪しながら天上を眺め、暇になり、またエゴサーチ、挙句の果てには自分が作った音源だけループして聴けば自己肯定感があがるのではないかというよくわからないナルシシズムを導入しはじめた。そんな思いつきで精神状態が回復するのではないかという仮説の検証などするという不毛な何時間を繰り返していたが、その流れを一変させたのが『氷菓』というアニメだ。

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 『氷菓』は<古典部>シリーズと呼ばれる米澤穂信さんの小説を元にした、京都アニメーション製作のアニメである。

2012年に2クール分放送されており、Netflixで配信中のものを視聴した。一気観だ。男は黙って一気観なのだ。

当時相当話題になっていたのを記憶していたのだけれど、「非ミーハーアピール症候群」「天の邪鬼」「流されません病」を患っていた僕は、見向きもしておりませんという顔を必死に取り続け、今日まで至ってしまった。

もっと早くに出会っていれば、爽やか青春群青劇ミステリを糧に、日々の辛い出来事を克服するということができたであろうに、実にもったいない7年間を過ごしたと後悔した。

なんと言っても、省エネ主義を掲げる主人公の折木奉太郎(おれき ほうたろう)の格好良さ、ヒロインたる千反田える(ちたんだ-)の可憐さ、ひょうひょうとしながらもしっかり主人公をサポートする福部里志(ふくべ さとし)の小粋さ、事件を引っ掻き回す伊原摩耶花(いばら まやか)のキュートさ……というメイン登場人物4人が全員いいキャラしていて、3話視聴後に沼に落ちた音がした。

主人公の折木奉太郎は、『涼宮ハルヒ』シリーズの主人公であるキョンの上位互換的なパーソナリティと能力の持ち主である。僕がこれを中学生の時分に視聴したならば、間違いなく憧れていたに違いない。

アニメでは『涼宮ハルヒの憂鬱』に遅れを取ったが、<古典部>シリーズ第1段の原作『氷菓』は『涼宮ハルヒ』シリーズよりも先に発表されている。やれやれ系といえばキョンの名を挙げる人が多いと思うが、2000年代以降のやれやれ系元祖は折木なのだ。だから偉いとか、そういうことが言いたいんじゃない。彼も大いにサブカルシーンで注目されるべきキャラクターであることを伝えたい。個人的にはキョンよりも好きだ。

「省エネ主義」というプリンシプルに従い、他人に非干渉的なライフスタイルを自覚的に取っているのにもかかわらず、断片的な情報を統合し、仮説、推論を立てる能力に長け、周囲を驚かすというホームズの一面をもつ。

その推論能力をかわれ、多くの人から頼りにされる。特に、ヒロイン千反田えるは好奇心の亡者であり、「私、気になります」と一度発すると、折木はやれやれといいつつも、事件の真相にたどり着くための推理を始める。しかも見事に解決してしまうというのだから、たまったものではない。

そういう意味で、安心して観ることができる。疲弊した山﨑にとって、これは重要ポイントだ。観て疲れてしまう作品は却下である。

間違いなく中学2年坊主のときに観なくてよかった。だって今観ても、いいな折木、折木いいなぁと物語中盤から福部里志が折木に見せる劣等感に似た心地で折木を眺めている自分に気がついたのである。こいつは最高に「クール」である。悔しい。

未視聴の方はぜひこのやりすぎないやれやれスタイルの小気味よさを体感して欲しい。

 

青春特有の甘酸っぱい云々が苦手という人でも許せるモダモダ感なので、恋愛コンテンツアレルギー罹患者にも優しい作品であると思う。観れてよかった。元気が出た。

 

今作以外にも、京都アニメーションの作品には大変お世話になっている。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝』が楽しみで仕方がない。

しかし、京都アニメーションは、平成以降最悪の放火殺人事件により甚大な被害に遭われた。今作に携わったクリエイターの中にも犠牲者がいる。

心からご冥福をお祈りするとともに、アニメーションを生きがいにするスタッフの回復と、ご遺族のケアが順調に進まれることを願う。

ご支援の御礼とご案内(初出7月24日、改訂8月6日) - 新着情報 | 京都アニメーションホームページ


<原作(出版順)>

氷菓 「古典部」シリーズ (角川文庫)

氷菓 「古典部」シリーズ (角川文庫)

 
愚者のエンドロール 「古典部」シリーズ (角川文庫)

愚者のエンドロール 「古典部」シリーズ (角川文庫)