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小室直樹『小室直樹の資本主義原論』―マックス・ヴェーバーを読むのにも使える

 

小室直樹の資本主義原論

小室直樹の資本主義原論

 

  この本の目的は、あなた自身を経済学者にするにある。エコノミストにするにある。

ここまで言い切る啓蒙書にあまり触れていなかったからか、ブックオフで立ち読みをしていた僕は猛烈に引きこまれてしまいました。

経済学って数学が苦手で文系に入った人間が、少しの興味で触れてみたら、案外数学使うじゃねえか!ということで挫折する分野なのではないかと思います。しかし、今の経済がどのように成り立ち、どのように動いているのかを知らないということは、この世の中のお金の動き、お金のからくりを知らないまま生きることと同義であると用意に想像ができます。この経済に対する無知を自分の中で良しとするかしないか、ですが、私はできれば知っておきたいと思い、経済学をちょっと前から集中的に勉強しはじめたのです。

そこでゼミナール経済学入門だったり、マンキュー経済学のミクロ編マクロ編などを読んでみたりしました。結果、もちろん惨敗。『はたらく数学』の記事でも告白いたしましたが、数学が壊滅的にダメな私は、ゼミナール経済学入門ですら躓く始末。マンキューは少しだけ簡単だったりしましたが、おそらく何度も読み直さなければ分からないと思います。

そういう本を読んでいたのは本書を購入する前。経済学に対する面白さを感じなくなってきてしまった時に本書に出会い、軽妙で明快な語り口と、わかりやすい解説の仕方で経済学って面白い学問なのかもしれないという思いを喚起させてくれる内容でした。

社会学などをやっている人は第4章などを読んでみると楽しいと思います。マックス・ヴェーバーに挫折した人などは特におすすめ!
タイトルはずばり「資本主義を知ろうとしたら「予定説」を学べ」です。おもいっきりマックス・ヴェーバーの著作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のおさらいです。そしてこの章を読めば、なぜ日本の資本主義があやふやなものであるのか、ということがわかります。

「予定説」の理解、これが資本主義の原理原則の理解に必要不可欠であるのにもかかわらず、それは日本人にとって非常に理解が難しいものであるという意見を述べています。予定説と日本人の理解についてよくまとまっている箇所があります。

 仏教における救済(さとりをひらいて涅槃に入ること)は本人の修行・学習による。また、よいおこないをすることをも強くすすめられる(因果応報)。儒教においても、日本人の理解によると、学習・修行をして、よいおこないによって人格を陶冶して聖人君子になる。

 しかし、予定説においては、そんなことは一切合切、関係ないという。門地、家柄、財産、……人種、言語……そんなものが関係しないことはいうまでもない。
 では、神が恩恵を与える理由は何か。
 何もない。
 理由も条件も、……何もない。それが答である。
 神は全く自由に、恣意的に恩恵を与える。または与えない。

(中略)

また、日本人の神観だと、「神は人間が作ったもの」である。 造物主(creator)と被造物(creature)が、キリスト教とは逆なのである。

予定説がどういうものかという詳細な説明は割愛します。ここを理解しておくと、私利私欲を良しとせず、天職をせっせとこなせという禁欲的な宗教的教義が、かえって資本を持つ人々が増えていき、そこから資本主義は発現していったのだ、というマックス・ヴェーバーの言いたかったことがよく分かると思います。

日本の資本主義が歪だ!とか日本は資本主義じゃない!という人のことを、「なんでそんなこと言うんだろう」と思っていた人などは、こういうところから「もしかしたら日本人の資本主義の捉え方は本来のものと違うんじゃないか」という視点を手に入れられると思います。

経済の動き方だけ見ても分かる人にはわかっちゃうんだと思いますが、資本主義というのは、言葉を重んじ、宗教を重んじる文化から発生したもので、頑張って日本が取り入れたら、ちょっと違うものになってしまった……というくらいの認識を持つか持たないかで、日々のニュースを見るのが少し楽しくなったりする……ような気がしませんか。