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点の記録

点だけ打って線を引けない男が、点と点を結ぼうとするブログです。

個性について

「個性」ってものを持たないといけないって思っているときは、自分のことしか考えていない時であることが多いと思いました。

何か周りとは違うことをしなければならない、何かしらの能力が抜きん出ていたりしないと、自分というものを見てもらえない。そういう承認欲求に絡んでくるような恐怖が、知らず知らずのうちに我々に刷り込まれているような、そんな感じがします。

最近思ったんです。
こんなに個人がどうでもいい呟きからプライベートな内容のあらゆることを情報発信している世界なんだから、誰かに似るのなんて当たり前だよねって。性格だったり、人格だったりとかは、特にそう。しかも、そういう性格や人格というのは、まるで自分を形どっている要素として重要なものである、という認識があるせいで、誰か似ている人を見つけると、嬉しいか嫌かは別として、その他で違うところを探さなければいけなくなってしまうんですよね。個性大事にしたいと思っている人は。苦しそう。

自分は変わり者だと思っていたらもっとヤバイ人がネットにはゴロゴロいるんですよ。

思春期にSNSを使ってそういう経験をするようになった今の若者って、より「何がしかの能力の有無」によって「個性」というものをを捉えるようになっちゃうんじゃないのかなと漠然と思っています。

ちょっと個性的な自分を演出しようと頑張ることは、大概はもう、別の誰かにやられているということに気付かされる時代です。自分の周囲は絶対知らないようなマイナーミュージシャンのライブに行こうが、現代美術の個展を見に行こうが、自分しか知らないだろうカフェに行こうが、絶対的なオンリーワンなんて絶対に無いということに、ハッと気付かされるような機会が、昔と比べて格段に増えているんだと思います。

こんなのやっているのは俺だけだ!と思いきや、もう別の人が、すでに自分よりも凄い規模でやっていたりして、そういうのを知ってげんなりしてみたりする回数って、ネット以前の社会のほうがよっぽど少なかったと思うのです。じゃあもういいよね、気にするのやめようよって、そう思うわけです。

SMAPの「世界に一つだけの花」が発売されたのは2003年ごろ。インターネット普及率は60%を超え、携帯電話も2003年ごろにはカメラ付き携帯が主流になっていました。より多くの人々がインターネットに触れ始めた時代でしたね。

「もともと特別なオンリーワン」とはなかなかクサイな、とか当時から思っていましたが、こういう視点って今だからこそ大事だなと思いますよ。

少なくとも個性なんて意識していたら、それこそ個性を追い求める人間が望むような個性は得られないと思います。だって他人の人生や生き方をバリバリ意識しちゃってるじゃないですか。というか人間誰しも、他人の存在というものはどうあがいても意識してしまうのでありますから、その時点で自分だけで作り上げた性格なんて無いよね、と思うわけです。

そろそろ個性とかそういうのやめませんか。意識するだけ無駄な尺度です。人の真似をしても、100%同じ真似などありえません。どうあがいても個性というものから人間は逃げられないのなら、気にすること自体アホらしいと思うわけです。

何でもないこと書いちゃったなぁ。

 

achelou.hatenablog.com

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