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点の記録

点だけ打って線を引けない男が、点と点を結ぼうとするブログです。

マンガは読書に入るか?について

読書 思ったこと

マンガは読書なのか?

Googleニュースをふらりと眺めていると、YOMIURI ONLINEの記事にこのようなものがございました。

www.yomiuri.co.jp

要約すると、「"マンガは読書に入るか?"というアンケートを実施してみたら、半数以上(66%)は"読書には入らない"と回答した」という内容の記事です。いいですね、こういうの。懐かしくありませんか?。僕も本を読んでいなかった頃は、読書感想文の宿題が出た時に、「マンガで書いてもいいですか?」と冗談で先生に質問していました。

ところでこのアンケート、総票数が22票とべらぼうに少ないので、よりしっかりと「マンガは読書に入るのか?」という質問に関してサンプル数を獲得できた調査の結果を貼りだしておきます。

www.athome.co.jp

同様の質問を、インターネットで全国20〜59歳の男女1,457名(47都道府県各31名ずつ)に回答してもらっているそうです。こちらのアンケート調査でも、「マンガは読書に入らない」という意見が優勢です。山崎的には「マンガは読書に入れてもいいんじゃないの?」と思う気持ちと、「いや、マンガなんて読書に入れちゃだめっしょ」という2つの思いが競合して、どっちつかずな状態がしばらく続いていたのですが、辛うじて、前者「マンガは読書に入る」という結論を得ました

読書論 (岩波新書)

読書論 (岩波新書)

 

何をもって「読書」とするのか

当たり前ですが、「マンガは読書に入るか、否か?」という問いは、問いかけられた人が持つ読書のイメージによって決まります。ここで、画一的に「読書とは何であるか」ということについて定義できるか、というと、できないですよね。皆さんそれぞれ、「読書とはかくあるべし」というイメージがあるはずです。皆さんが思い浮かぶ「読書の条件」とは何でしょうか?

僕の場合、読書とは、「書籍を読み、様々な世界観に触れ、想像力を働かせて楽しむ行為」としています。何故このような認識をしているかというと、例えば「読書とは、情報を手に入れるためのものだ」とか「知識を身につけるためのものだ」とか「教養を磨くためのものだ」など、実利を求めた立場を取ってしまうと、小説の立場が危うくなると思うからです。古典的、歴史的な作品を読むということは、長い間評価されてきた作品ということで、「文学」というひとつの学問性、芸術性、権威性が付随され、読むことは「教養を磨くこと」と認識されることが多いかもしれません。しかし、今流行しているライトノベルだとか、エンターテイメント性の高い内容の小説などは、必ずしも芸術作品として、学問として認められ、「教養を深めるものである」と認識されるとは限りません。「知識を身につけるためのもの」だという定義をうっかりしてしまったら、クリアできるか甚だ疑問です。クリアできなければ、「ラノベを読むこと」「エンタメ小説を読むこと」は読書じゃないと一刀両断されてしまいます。僕はそうは思わない立場を取っておきたいのです。どんな作品であれ、小説を読むことは読書に入るでしょう!ということで、「書籍を読み、様々な世界観に触れ、想像力を働かせて楽しむ行為」これこそが、自分の中で「読書」であると思いたいのです。

マンガで鍛える読書力

マンガで鍛える読書力

 

 分かれ目は「想像力を伴うか?」

そうなると、「マンガを読む」という行為を読書に入れておかないと、いろいろ都合が悪いのです。私の中で、マンガは書籍です。紙が製本技術によって束ねられているものは、総じて「書籍」であると思っています。ですから、「書籍」の条件をクリアしています。「様々な世界観に触れ」という箇所は言うまでもなく、作品ごとに異なる世界観を堪能できます。最後の「想像力で楽しむ行為」ですが、ここが一般的に、「マンガを読書に入れる」という意見のウィークポイントであるように思います。

「マンガと、文字だけの本を読むとき、想像力がより働くのはどちらか?」ということを言い出されると、間違いなくそれは「文字だけの本」と答えざるを得ません。小説などは文字から読み取った情報で、ゼロから頭のなかに世界観を構築していく必要があります。その点マンガは視覚的に分かりやすく、世界観を頭のなかで構築する必要は殆ど皆無です。

しかし、マンガを読むとき、想像力を全く働かせないでしょうか?そんなことは無いはずです。小説と同じように、表現されている情報ではない「行間を読む」という楽しみ方は、マンガでも可能です。ふきだしやキャラクターの表情だけではなく、今このキャラクターはどんな心情なのだろう、どういう気持でこのセリフを言ったのだろうなど、想像力を働かせることができます。説明的な作品でなければ、読み手が想像力を働かせることができるのです。でなければ、マンガの考察サイトなどが出てくるはずがありません。程度問題で「これは読書で、これは読書ではない」などと区別してしまうと、作品ごとに「これは読書認定しま~す」という、全くもって意味のない基準を作ってしまいかねません。

そもそも、読書することって、そんなに偉いことじゃないと思いますし。

 

achelou.hatenablog.com

最後に

何のために読書をしているか?自分にとって読書とは何か?ということを、マンガという存在によって再確認することができて良かったです。「何のために読書をしているのか?」という問いかけに対して、「楽しいから」という人は、僕の意見に賛同してくれるのではないか、という厚かましい期待を抱かずにはいられません。

個人的に、「読書をすることは偉い」という固定観念は、ぶっ壊されればいいと思っています。それと同時に、「読書は勉強のためのもの」とか「読書はつまらないもの」という認識を持っている人がいたら、「マンガだって読書だよ。想像せずにはいられない書物を読んだなら、それは読書だよ!」なんてカッコつけて言ってみたいものです。そうやって、読書人口が増えて、想像や妄想を働かすことが大好きな日本人が増えればいいとおもっています。

以上『マンガは読書か?について』でした。

読書について 他二篇 (岩波文庫)

読書について 他二篇 (岩波文庫)