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点の記録

点だけ打って線を引けない男が、点と点を結ぼうとするブログです。

器の小ささについて

器が大きな人になりたい

「器の大きな人間になりたい」という願望がある。

だがこの時点で既にツッコミどころがある。それは「器の大きな人間は、器の大きな人間になりたい、などという、器の小さな願望は持たない」ということだ。早くも暗雲が立ち込めてきている。ところで今まで漠然と使っていた「器が大きい」という言葉だけれど、「器が大きい」とはどういうことなのか?「器」という語の意味をWeblio辞書でひいてみた。

うつわ うつは [0] 【器】

物を入れる器具。入れ物。容器。 「 -に盛る」

(ある仕事・地位にふさわしい)才能と人格。器量。人物の大きさ。 「人の長となる-」

器具。道具。 「もろもろの調楽の-をぞ執る/邪宗門 白秋」 

引用元:器とは - Weblio辞書

 僕がこの記事で話題にしたい「器」とは、勿論②の意味ね。より細かく書くならば、「才能と人格」「器量」というよりも、一番最後にかかれている「人物の大きさ」という言葉に近い。だが、「人物の大きさ」という言葉にも、いまいちピンと来ない。ピンと来る人はいるのか。仮に、人物=心、大きさ=寛容できる範囲の広さ、とすると非常に納得がいく。そこで、これまたWeblio辞書で「器が大きい」と検索してみると、次のように出た。

器が大きい
読み方:うつわがおおきい

小さなことをいちいち気にしない人のこと。多少のことで怒ったり悲しんだりしない人のこと。

器が大きいとは - 日本語表現辞典 Weblio辞書

もうおわかりだろうが、山崎は「器の小さい人間」であることが証明された。だってなぁ、こんな記事書いちゃってるんだもん。「器が大きい人間になりたいから、まずは言葉の意味を知ろう」ってあんた、真逆じゃない。滑稽なことこの上ないよ。

 

器の大きい人、器の小さい人

器の大きい人、器の小さい人

 

 

それでも「器」を大きくしたい

己の器の小ささを自覚した上で、しかし人間的に大きくなりたい!と思うのは間違っていないはず。悩んでも仕方がないことでいちいち悩んでしまう癖は、やっぱり治したい。世のため人のためなんて大それたことではなく、まず自分が辛い思いをしたくないという、これもまた器の小ささに起因した思惑から生まれた浅はかな願望である。中には、「いやいや、山崎はそのままでいいよ。また自分の不出来な部分を改善しようとして、意識高い系(笑)になってしまったらどーすんの?」と有り難いお言葉をかけてくれる方もいらっしゃるだろうが、大丈夫。僕はすっかりニューエイジ的要素が含まれた自己啓発からは足を洗っている(と思っている)ので。自分の成功ばかり気にしているのは器の小さい僕からしても器が小さいな~という感想を抱かざるをえない。という同じ穴のムジナじゃろうが!という自覚も乏しく批判してしまったりするわけだけれども。

 

“器の大きな人

“器の大きな人"だけが持っている3つの余裕 (角川フォレスタ)

 

 

「器が大きい人」のお手本は誰だ

周囲の人間で「こいつは器がでっかいな~」と思う人間が何人もいる。その人の考え方を真似してみようとしたこともある。しかしよくよく話を聞いてみると、特定の分野では極端に器が小さくなったり、急に怒り出したりする人もいる。いくら器の大きな人であるとはいえ、「地雷」を踏むことはいけないのだ。しかしそれって本当に「器が大きい」なんて言えるのか?という、意地の悪い考えがむっくり湧き上がるのです。本当に器の大きいヤツは誰だ!

「小さなことをいちいち気にしない、多少のことで感情が揺らがない」これを極めた人はいるのか?一人だけ心当たりがある。そう、釈迦だ。しかし彼を手本としようとした人はそれこそ今昔の仏教徒の数だけいる。「一切皆空」「諸行無常」などなど、スケールの大きな考え方を思考の中心に据え、釈迦の思想と「悟り」という体感にどれだけ近づくことができるか?これは……いささかハードルが高い。いくら「ブログとは自慰行為と等しい」といきがった主張をする山崎であっても、「目指せブッダ」などとは軽々しく言えない。仏教徒に怒られてしまいそうだ。

 

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

 

 

結局、俗世に生きる我々はみな「器の小さい人間」か?

そう考えると、「真に器の大きい人間」というのは後にも先にも釈迦しか存在せず、その境地に達するまでは、相対的な評価でしか「器の大きい」「器の小さい」ということを判別できないということになるかもしれない。そもそも「人の評価」そのものが相対的なものであり、気にすることが間違いだったね。僕は「人の評価」とは、評価された人が受け入れなければ意味のない戯言に変化すると思っているけれど、まさしく僕は「器の小さい人間である」という他人からの評価を、そっくりそのまま自分のイメージに貼り付けてしまったんだな、と思いなおした。それこそ小さなこと。「お前は器が小さいな」と言われたときに、「そうか俺は器が小さいのか」と思ってしまうのなら、本当に器が小さい人間かもしれない。うーん、怒られてもいいから、怪しまれてもいいから、俗世にまみれながら「目指せブッダ」って言いたくなってきた。言おうか。

目指せブッダ! 

新装版 ブッダ 全14巻

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手塚ブッダはいいぞ。

過去記事です

 

achelou.hatenablog.com

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