点の記録

点と点が結ばれるのをじっと待つブログ。主に書籍について。サブで音楽やら映画やら。

時間泥棒について

僕と時間泥棒

時間泥棒という言葉があります。「気を取られて時間が経過していることに気が付けない要因」のことを指すのが一般的です。ミヒャエル・エンデの児童文学『モモ』の中に出てくる「時間泥棒」は、この一般的な意味合いとは異なる行動を取ります。人々から余計な時間を奪い、無駄な時間を取り除く存在として描かれています。そのため『モモ』は、多忙を極め、仕事以外のことに対して意識を向けることができなくなってしまった現代人への警鐘を鳴らす作品として有名です。

時間泥棒という言葉、僕は「気を取られて時間が経過していることに気が付けない要因」という意味合いで使っています。母親や学校の先生によく言われていました。「テレビ、ゲームは時間泥棒だから気をつけなさい」というありがたいお言葉をいただくことが多かったです。こうした考えが染み付いていたので、テレビやゲーム、最近ではネットを目的無しにサーフィンする、YouTube、ニコニコ動画などは、僕にとっての時間泥棒であるという認識で長い間過ごしていました。

 

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

 

何が無駄な時間なのかは本人が決めるべき

改めて考えてみると、一般的に広まっている時間泥棒の概念は、随分と親や学校、上司など、何らかの指導者的立ち位置に属している人たちに都合の良い考え方だなと思います。「時間泥棒になるようなことはやめなさい」というのは、暗に「テレビやゲームをやめて、宿題、勉強をしなさい」と言っているようなものです。彼らからのメッセージは単純です。「やるべきことをやれ」それだけでいいはずなのに、なぜか余暇時間に対して悪いイメージを換気させるような言葉で指導しようとします。

『モモ』の「時間泥棒」は、人間から「余暇」や「無駄な時間」を奪い取る存在でした。こちらの意味合いだと、テレビやゲームという余暇時間にやるものを奪い取る存在ということで、親や学校の先生、あるいは上司こそが「時間泥棒」なのではないか、と考えたくなります。

そもそも、何が無駄な時間で、何が有意義な時間かという認識は、時間を使っている本人が決めて良いものです。テレビを観て感動したことだってあるだろうし、漫画やアニメの世界に没入することで得られる価値観だってあるかもしれません。ネットサーフィンだって情報を選び取る力や検索する能力があるのであれば、自分がすでに知っているキーワードであらゆる情報を手繰り寄せることができます。

「それは有意義な時間の使い方ではない!」「テレビを見るな!」「ゲームをするな!」「勉強しろ!」「本を読め!」こういうことを言ってくる他人は、全員「時間泥棒」的要素を持っていると思って差し支えないでしょう。人間関係を気にしないなら「うるせぇバーカ」と言い返せばいいですし、人間関係を壊したくなければ「へいへい」と言っておいて、心の中で「うるせー!」と思っていればいいわけです。どうしてもテレビやゲームをやりたい場合は隠れて観たりやったりすればいいし、それが嫌なら、うるさい事を言う人から離れるか、交渉するほかありません。

 

モモ 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語

モモ 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語

 

 

時間泥棒から身を守る方法

一般的な時間泥棒から身を守る方法はいくつも存在すると思います。「目的意識をもって行動する」などです。ただし、そういう真面目くさった時間術的なことはビジネス本に任せるとしましょう。時間に関するいい本はたくさんあるので探してみてください。

「無駄な時間を過ごさないように工夫する」とか、「やるべきことは最初にやっておく」というのが常套手段ですが、もっと簡単に考えてもいいんじゃないでしょうか。時間泥棒が出現するのは、「反省するとき」です。つまり、やるべきことが残っていようがいまいが、反省なんてしなければいいのです。自分に都合よく、過去の時間の使い方の解釈を変えてしまいましょう。

テレビであれば、「自分は思う存分テレビを見れたし、楽しかった」という考え方もできますし、ネットサーフィンで、もし無駄と思える知識しか仕入れることができなかったとしても、「仕事や生活には使えないかもしれないけど、面白い情報と巡り会えたぞ」という具合で解釈し直すことができます。それを、「時間を使った割に得るものがなかった」という視点一つで片付けてしまうのは簡単ですが、暗い気持ちになるだけかと思います。Twitter上のネタとして消化するならまだしも、一人で落ち込んでも仕方ありません。時間泥棒ではなく、選択的に自分がとった行動に対しては、肯定して良いはずです。その結果、やるべきことをやっていなかったとしても、責任は自分にあります。「あの時テレビを観ないでやっていたら……」なんて当たり前の事を考えても遅いわけです。やるしかありません。

いつも時間に追われている人のための「超」時間術

いつも時間に追われている人のための「超」時間術

 

 

反省するから時間泥棒が出てくる

『モモ』に出てくるような「時間泥棒」、つまり「無駄な時間や余暇を許さない人」に出会ってしまった場合は厄介です。物理的に近づかないようにするのが一番ですが、肉親や友人、職場の人間の場合は、なかなかそうも行きません。実績となるようなものを残していれば、もしかしたら「時間泥棒」側の態度も変わったり、「余暇の使い方くらい自分で決めさせろ」と交渉できるかもしれませんが、そんな実績もない場合は、文句を言われない態度を取る、つまり実績を作るか、先程書いたように、影でコソコソやるか、その環境から脱するかの3択です。

余暇のためにそこまでするかしないかは、余暇を窮屈な思いで過ごしている人の自由ですから、これ以上詳しく踏み込んだことは言えません。ただ、こちらの「時間泥棒」も「反省」を促してくることが、一般的な時間泥棒と共通することです。なので、反省しないという手段を使って、余暇時間に関するあらゆる指摘を、「はい、はい……」と聞いておいて、余暇はしっかり自分の好きなことをするのが良いでしょう。それが無理ならば、あるいは嘘をついているようで気が引けるという場合は、もうその人と交渉するか、その人から離れるしかありません。

過去の出来事はいかようにも解釈可能です。変に気張らず、無駄なことをバンバンやって、くだらない妄想バンバンしましょう!!