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点の記録

点だけ打って線を引けない男が、点と点を結ぼうとするブログです。

「死ねばいいのに」について

「死ねばいいのに」という言葉を使うとき

「死ねばいいのに」と思うとき、たいして言葉の意味を考えていない。

僕が「死ねばいいのに」と思ってしまうとき、感覚としては「どっかいけばいいのに」と殆ど同じ意味だ。みんなもそうだと思う。でもたまに、強がって「そんなこと無い、本当に死んで欲しいんだ」という人がいる。でもそういう人に対して、「本当に死んでほしいの?」という風にしつこく聞いてみると、「そんなマジになってどうするの」とか「言葉通りに受け取るなよ」とか、そうした言葉が帰ってくる。多分、僕と話すのが面倒くさいからというのもある。でも、大概は本当に死んで欲しいなんて思ってないんだよね。

よく考えてみると、のほほんとした人生を送ってきたせいで、幸か不幸か、心の底から「死ねばいいのに」と思った人はいない。その時その時では、「うわーーこいつ本当にムカつく~~まじで死んでほしい~~~」とか思った人はいる。でも、そういう人たちと数年後、サシで飲みに行ったりできる。結局その時「気に食わないなこいつ」と思っただけで、「心の底から死んでほしい」と思い込んでしまっているだけであることに気がついた。

 

「イヤな気持ち」を消す技術

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「死ね」「ウザい」「キモい」などなど……

「死ね」という言葉の意味が形骸化してから久しい。嘆かわしい嘆かわしいと僕の親世代が言っていたのが、いつの間にか親世代にも「死ね」という人が増えた。「キモい」や「ウザい」なども同じだ。いつの間にか親世代にもウケた。別にだれも、言葉の意味をしっかりと思いながら言葉にしていないし、思ってもいないんだと思う。

言葉にしたり、心の中で「うざったい」とか「気持ち悪い」という判断をすることを、明確にしている人は少ない気がする。気がするだけかな。わからんよね本当のところは。でも他人に対して思うネガティブな気持ちの出発点はどれも同じ「気に食わない」というのは誰にでも当てはまる気がする。「気に食わない」が、なぜキモいとかウザいとか、死ねになるのか。多分、それこそ主観というか、人間の心の動きの話になって客観的なことは言えないけれど、「すげえ気に食わない」からそういう言葉になる。

 

 

実は言葉にとらわれているかもしれない

さっき、人に対するネガティブな言葉の意味が形骸化した、と言っておきながら、僕はなぜこんな記事を書いているのかというと、ネガティブな言葉は他人に対して使ったとしても、自分に跳ね返ってくると思っているからだ。

「死ね」とか「キモい」とか「ウザい」とか、そういう強い意味合いの言葉を使っていると、その迫力のようなものに理性すら引っ張られてしまう。「死ね」とか「キモい」とか「ウザい」と思っている人を見るだけで、その日の気分は最悪だ。何度も言葉が刷り込まれていって、気に食わない存在がトリガーとなって、ムカムカしたりイライラしたり、ビクビクしたりする。1日続くのか3日続くのか1時間でなんてことないのかは個人差かもしれないけれど。

他人に対してどのような評価をするか、というのは、その人と関わったときの自分の態度を決めることにも関わってくる。「あいつがいるからストレスなんだ!」と嘆くなら、極論言うなら「じゃあいないもんだと思えば」で終わりだ。大抵の人は「いやいやそう簡単じゃないんだよ!」といってくる。だが見方を変えてしまえば、そういうふうに言う人は、ストレスだと感じるその状況を維持しているようにも見える。

例えば上司が気に食わないという人がいる。そういう人に上司の意見なんて聞いたふりして適当に流せばいいじゃんとか言うと、「職場の雰囲気が悪くなるから上司との関係をうまくしなきゃいけない」という。じゃあこの人は本当に「職場の空気が悪くなる」という理由で上司に取る態度を変えられないのかというと、多分違う。「ストレスを感じるのは相手のせいだ」と思っているからだ。「だから自分がなんで態度を変えなきゃいけないのか」と思っちゃうからだ。僕はそんな風に敵を作るよりも、相手への評価をもう一度見直すほうが楽だと思う。

 

職場の嫌いな人の取り扱い方法

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ストレスを感じるのが嫌なら、ストレスを感じるのをやめればいい

ストレスや、嫌な気持ちを感じるのは誰のせいか。相手ではない。基本的には、自分のせいなんだと僕は信じている。相手に対する見方を変える。環境が変わるように行動してみる。だめならその場から離れてみる。そうやって、ストレスを感じるのをやめちゃえばいい。手っ取り早い方法は、結局、自分の行動や認識を改めることでしかない。

ストレスをなくすには?をシンプルに考えてみると、どれもこれも極論のようなものばかり出てくる。「職場を辞める」「彼氏彼女と別れる」「家族や友人と絶交する」などなど。でも、多くの場合それをしない。それをしない理由は何か?ということを突き止めることができるなら幸いだ。その理由でもって、嫌な状況に遭遇した場合、「仕方ない、あの時こういう理由で現状を受け止めたんだから」と考えれるようになる。

でも、おそらく、何回も気に食わないなあと嫌な気持ちになる。その都度、行動をしない理由と自分の気持ちや環境を変えるためにとるべき行動というものを天秤にかけはじめる。この繰り返しで、行動するか、現状維持なのかを天秤にかけ続けたとき、嫌ならその状況から抜け出そうと行動するか、その状況に対する認識を変えるかするし、別にいいなら現状維持だ。基本的にこの繰り返しだと思う。

「ストレスを感じるのをやめればいい」というのは、人に対して「嫌いだなぁ」とか「気に食わないなあ」と思ってしまったとき、それを自己責任にして、不快な気持ちのままに過ごすか、それを取り払うために認識や行動を改めるかという2択を天秤にかけることだと思っている。

これは僕なりのストレスに対する向き合い方だから、みんなもこのように考えましょうだなんて言えない。けれど、愚痴を言う前に、悪口を言う前に、自分なりに「気に食わないこと」と向き合って、できるだけ楽に生きるように考えることって結構楽しいよ、という話がしたかったので、長々と書いてしまいました。

すぐに「死ねばいいのに」と思わないで、なんで死ねばいいのにって思ったんだろうって考えられるようになれたらいいよね、と思っている山崎です。

以上、『「死ねばいいのに」について』でした。

 

怒りについて 他二篇 (岩波文庫)

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