点の記録

点だけ打って線を引けない男が、点と点を結ぼうとするブログです。

僕がブログを読んだり書いたりするのが楽しい理由

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「役に立つ情報」は新聞に勝てない

意識の高いブロガーの中には「人の役に立つ情報を発信するのだ!」と尊敬に値する志を持たれている方が多い。僕は阿呆ブロガーなので、そんなことを微塵も感じずに、好き勝手に書き散らしている。それは僕個人が想定する「文章で人の役に立つ」の基準が高く、そこからの逃避ゆえの態度かもしれない。とてもじゃないが、人の役に立つという前提からブログを書いていたら、精神がもたない。

ブログは文章で構成されている。文字というツールを使って、今、日本で一番多くの人に役立っているものとは何か?と言ったら、新聞であることは間違いないと思う。

新聞?オワコンだろう?いやいやそんなことブログなんてところで言えたもんじゃない。

ネットに出回っているニュースソースの殆どは既存のマスメディアであり、新聞はその筆頭だ。世の中の出来事を手っ取り早く知るには、新聞の迅速性と客観性が必要である。馬鹿にしている人がいるけれど、(建前上であっても)責任ある立場で公共性や客観性の高い文章を書こうと、寝ずに頑張っている人たちが繰り出す情報に対してはリスペクトするべきだと思う。新聞が言っていることに迎合しろということではない。自分の意見と食い違うのであれば意見を発信して良いと思う。ただ、彼らと同じレベルで客観視できる頭脳を持っているのか。ちときついか。

時事問題を取り扱うことに憧れる気持ちは阿呆の僕にもある。だが、熱意でもって僕のような知識あやふやな人間が、客観的な文章を目指した末、ちゃらんぽらんな主張をインターネットに放流し、何かの手違いでバズったとしよう。そうなってしまっては、逆に社会に害悪しか与えない気がするので、今はまだやれない。当ブログにおいては、役立つ情報を発信できる状態にない。

 

これからの日本の論点 日経大予測2017

これからの日本の論点 日経大予測2017

 

 

「役に立つ」を第一に考える難しさ

「人の役に立つ情報」「社会の役に立つ情報」を目指すのは良いけれど、新聞や書籍レベルで客観的なデータを集め、主張とデータの関連性を分析し、事細かく書いているブログってどれくらいあるのだろう。ジャーナリストや学者の個人ブログならいざしらず、一介のサラリーマン、学生、アフィリエイト収入で一発当てようとしているフリーターなどはそれに太刀打ちできるかといえばそんなことない。さらに彼らが「役に立つ」と思っているものといえば、「ビジネス」「自己啓発」「ライフハック」などが多いんじゃないか。どれくらい多いのか、どんな社会的地位の人が、どんな内容の記事を書くのか、なんて客観的データはないけども。勘です。

僕にとって「役に立つ情報発信」とは、新聞と同等、あるいは新聞よりも高いレベルで、客観的な情報をもとに新たな分析や主張を付け加えて発信することである少なくとも、連載記事を持っていたり、コラムを寄稿する学者やジャーナリストなどと同じレベルで書くことができなければ、それは役に立っている文章だとは言えないのではないか?とこう思う。

データを集め、分析し、その結果が自分の本音とは違っても、社会にとって有効な情報であるならば発信する。そういうことがしたい!という人は幾千のブロガーの中にどれだけいることだろう。

いや、ブログの役に立つと、新聞の役に立つは違う!新聞を読まない人は、SNSやブログなど、ライトな情報媒体の文章を読む可能性があって、そういうところから共感を持ってくれる人が出てきてくれたり、それで心の傷が癒えたり、明日から頑張ろうと思う人が増えたり、笑ってくれたりする人がいる!新聞がカバーできない部分を、ブログやソーシャルメディアが補っているのだ!という人もいるだろう。

では尚更、文章力、情報収集能力を身に着け、読者母数が多い新聞や週刊誌などに寄稿し、自分のブログにも掲載するくらいの気合を見せたらどうか。

「役に立つ」ことを第一にすることは、本当に難しい。上を見上げたらキリが無い。

 

コメントする力 情報を編集×発信する技術

コメントする力 情報を編集×発信する技術

 

 

やっぱりブログは公開自慰である

もし社会的に有意な情報を扱いたいのであれば、ジャーナリストになりきって文章を執筆するのがいいんじゃないかな。社会の動きを分析することは非常に難しいことだけれど、記事を書くために参照する情報は、「ビジネス」「自己啓発」「ライフハック」よりは客観性に富み、それらを分析することで、個人的な幸せを成就させようというライフハッカーよりも、一段上に、俯瞰した視点から物事を見極められるだろう。深刻な問題に目を向けることで、まるで解決不可能な問題に向き合う強さを手に入れられるかもしれない。

偉そうなことをたーくさん書いたが、以上のような覚悟のない人がブログをやる場合、僕と一緒で、とりとめもない主観まみれの文章を徒然なるままに書き続けることになる。というより、これくら大げさな志がなければ、役に立つ文章なんて書けやしない。

本当に役立つ文章を書くならば、新聞社などマスメディアに文章を出せるようにするか、書籍を出すべきなのに、「ブログでは人の役に立つ文章を出さなきゃならん」と言っている人に限って、ジャーナリストや作家という道を目指さない。なぜそうした志を持った人が、ブログというライトなメディアにだけ文章を書いて満足していくのか。

それは、自分の文章は現状、役に立たないことを知っているからだ。あるいは面倒くさいからだ。役に立たない、社会のセンシティブな情報を扱っていない、噛み付いてくる敵がいない、敵がいたとしても、取るに足らないネットヤンキー達なので、怖くない。

どんなにもっともらしい理由で運営しているブログであっても、まさしく超個人的満足によって運営されている。

だから僕はちょっと前から「ブログとは公開自慰である」という主張をしている。

それがダメだと言っているわけじゃない。

公開自慰だからこそ読んでいて楽しいし、公開自慰だからこそ書いていて面白い。とるに足らないことに対して考えを広げ、妄想し、もっともらしい文章をつけてそれをネットに噴射するのだ。汚いのだ、ブログは。自分勝手なのだ、ブログは。そしてそれを洪水のように浴びるのは、ものすごく僕の感性にとってものすごく良いような気がする。

そう思うのは錯覚かもしれない。でも僕はそれが良いと思っている。人間の綺麗なところも汚いところも、個人単位で見ることができる装置は、ブログしか無いのではないかと思う。これが、僕がブログを読んだり書いたりするのが楽しい理由である。

さて、僕も汚らしい文章や汚らわしい意見を自分勝手に吐き出したので、そろそろ賢者タイムに入る。

2017年もよろしくお願いいたします。

achelou.hatenablog.com

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