点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

歴史とは何か──「対話する」ことの重要さを再認識する

 

歴史とは何か (岩波新書)

歴史とは何か (岩波新書)

 

 歴史の授業はつまらなかった。中学高校ともに歴史についてどのように向き合えばよいのかわからなかった。自分の興味関心に手繰り寄せることができなかった、というよりも、興味関心を持とうとすら思わなかったのだ。ところが、読書をし始めると、思いのほか歴史の知識というものは必要であることが分かってくる。歴史の知識の欠損は、実は読書好きにとって致命傷だったのだ。

ここ数年の間に、自分の中で歴史というものの重要度が変わった、のにも関わらず、手に取る本から読み取れる情報は、心の底からの楽しさを与えてくれるようなものではなかった。読んでいると眠くなってくるし、覚えようと思っていても大筋だけ追って細かなところまでを性格に把握できていない。どうにもこうにも、歴史の面白さが理解できない。

そこで、まず歴史の魅力について探る必要があると考えた僕は、歴史が好きで好きで仕方がない人の意見を聞くのが良いと考え、本書を手に取った。そのものズバリ『歴史とは何か』。本書を手にできて本当に良かったと思ってます。

著者のE.H. カーはイギリスの歴史家だ。ケンブリッジ大学入学後はロシア革命史の研究にどっぷり浸かった彼は、歴史家としてだけでなく政治学者としても著名である。ユートピア思想に対して批判的な立場で著された『危機の二十年――理想と現実』という本でも有名だ。

本書の構成としては「歴史とは何か」という問いに対して、著者が過去の歴史家の発言や歴史を見る態度に対して批判的な立場を取りつつ、これからの歴史について語っていく。序盤ではまさしく著者の歴史哲学を語り、中盤では歴史はいかに科学的であるかを語り、終盤ではこれからの歴史学者に宛てた歴史の捉え方が語られる。本書40pには、著者の歴史観を端的に説明した一文があり、この文章はこれ以降の歴史哲学を扱った書物の多くに引用されていると言う。

「歴史とは何か」に対する私の最初のお答を申し上げることにいたしましょう。歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。

歴史というものを漠然と捉えていた自分にとって、この意見はすごく新鮮だ。「歴史とは過去の事実の集積である 」という漠然としたイメージがあった。この記事を読んでいる歴史に全く興味のない人は、僕と同じように歴史を捉えている人も多いと思う。少し考えれば分かることだけれど、「過去の事実」とはいささか怪しいものである。

歴史を研究し、分析する歴史家によって、「事実」にはおおきなゆらぎが生じるものである。ここがまさしく、「歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程」と著者が述べる部分である。唯一絶対の客観性などなく、歴史を学び研究するということは、過去から現在までの歴史家との対話であるという。

この視点を持っているだけで、多くの歴史書物の見方が大きく変わるような気がしませんか。歴史の本を読んだことある人のなかで、どこか押し付けがましいな~とか、主観が入り込みすぎているな~など思って、読むのをやめてしまったことがありませんか。それが過ぎるのは問題があるけれど、著者の主観が必ず入るものだ、と考えただけで、一気に興味が湧いてくる。必ずしもそうではないけれど、その本の構成や文体、事実を描く際のダイナミズムは著者の思想のダイナミズムと直結することがある。読書好きにとって興味があるのはここであるので、この視点を忘れかけていた自分としては、回復できたことを嬉しく思う。

よく「読書とは著者との対話である」といわれる。この言葉を聞くたび、何を偉そうにと思う人もいるかもしれないけれど、これこそがあらゆる読書において真髄であり、醍醐味である。歴史も例外ではない。というか、本書を読めば、歴史こそこの感覚が大事になってくるのだと感じさせられる。

もういちど読む山川世界史

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事実の羅列がされている書物はどうか?例えば教科書。

対話のしようがないと思ったら一気に味気ないものになってしまうが、こう考えてみるのはどうか。歴史の教科書を例にとって考えてみる。初学者に分かりやすい文章かつ、検定を通すための文章であり、受験勉強に必要な知識であり、しかし歴史そのものに、どうにか興味を持ってもらおうという工夫がそこかしこに見受けられる。

教科書の情報の羅列のような文章であっても、複数の著者、出版社、国など、おおよそ4~6つの視点から書かれていることになり、読者はこのおおよそ4~6者の視点と事実との間の相互作用の不断の過程を読むことになる。なぜこのような書き方、本の構成に至ったのか?という興味の持ち方で教科書を読むことで、教科書に対する意識が変わってくる。

唯一絶対の歴史というものはこの世に存在しない。しかし学問として成立する上で客観性や再現性は必要不可欠であると考えられている中で、歴史の客観性を主張しなければ歴史学は科学としての価値を失う。著者が考える歴史の客観性とは何か?これがロマンチックというか、壮大でいいなと思う。

歴史が過去と未来との間に一貫した関係を打ち樹てる時にのみ、歴史は意味と客観性とを持つことになるのです。(p.194)

 歴史における客観性とは物理学や化学などに見られる揺るぎない(と思われている)判断基準に基づいているものではない。歴史とは何か?という問に対する著者の答えをここに当てはめると、分かりやすくなると思う。

「歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」という営みが、過去と未来との間に一貫した関係を打ち樹てる時にのみ、そうした営みに客観性が生まれてくる。

人文科学系や社会科学系の人たちは、自分が心血注いでいる学問の客観性を疑われがちだが、本書はそうして自信喪失している人にとって、精神的カンフル剤の役割を果たしながら、歴史って面白いかもしれないと一般読者に思わせるいい本だと思う。歴史なんて面白くないなと思っている人に是非読んでもらいたい。

achelou.hatenablog.com

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