点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

読書と背伸び

 

論理哲学論考 (岩波文庫)

論理哲学論考 (岩波文庫)

 

 

数学を知らない僕が、ウィトゲンシュタインの著作を買ったときの話をしたい。

言語学とか論理学というと、皆様どういうイメージを思いうかべるだろうか。僕が真っ先に思い出すのは、アリストテレスの「三段論法」だ。

アリストテレスは人間である。人間は死ぬ。ゆえに、アリストテレスは死ぬ」

A=B、B=C、ゆえにA=Cというアレだ。数学とか倫理などでならった記憶がある人も多いと思う。何よりも単純明快かつ、駆使すれば何だか頭がよくなった気分になる。

ただ、よく考えてみるとおかしなことになるのが、この三段論法だ。アリストテレスは人間じゃないかもしれない、という可能性が1%でも考えられる場合、この論理は成り立たなくなってしまう。アリストテレスは宇宙人かもしれないし、人間は医療の発達で不老不死になるかもしれない。お陰で、アリストテレスはよくわからない存在であり、ちゃんと死ぬとも不老不死であるとも言えない。

三段論法は、こういった欠陥がありながらも、アリストテレスの時代から長いあいだ支持され続けた。これをひっくり返したのがウィトゲンシュタインその人であると言うのだから、ちょっと読んでみたいなと、猛烈に興味を抱いた。ブックオフで中公クラシックス論理哲学論考を、660円で購入した。

 

1読してギブアップだった。

 

(おそらく)わかりやすく書かれている解説書を読んでも、中学数学の知識が欠損し、数学を駆使して物事を考えることに慣れていない僕は、関数を使った思考法に翻弄され続けた。読めば読むほど、まずは数学知識、数学思考の醸成が必要と思われ、自分が数学ができないことに強く不満を感じた。理解度も並の人間以下だったように思える。肝心な「うおおお、これは確かに論理学の歴史を変えた一冊なのだー!」という実感も味わえなかったのだ。

では、このブックオフで使った660円の『論理哲学論考』購入費用は、浪費だったのか。そしてこの、理解もできない『論理哲学論考』に挑戦しようとしたことは、時間の浪費だったのだろうか。そうは思いたくない。間違いなく、読んでよかった。得たものは大きい。数学に対して興味をもったきっかけになったし、いつか完全理解してやるぞという野望が生まれた。今ようやく、高校1年生の数学の範囲くらいまでをおさらい中だ。

「教養を身につけるのには、まず、前提となる基礎知識を入れなければならない」という意見がある。この意見が言いたいことは非常によく分かる。人間は、すでに理解している物事と関連付けたり、連想させたりすることによって、新しい知識を得る。これにのっとって、徐々に認識できる情報を広げるために、平易な内容の情報に触れ、それを理解し、あとからより緻密で理解に時間のかかる情報を、すでに理解している情報を駆使して理解せよ、というものだ。

ただ、試験勉強ならいざしらず、読書をすることに、基礎→応用という考え方は、むしろ読書のモチベーションを下げる要因になりかねない。読みたい本を読んでいく中で、わからん情報が大半だったなと思ったら、「背伸びしてしまった」と自分の無知を呪わず、この本が理解できたらどんなに嬉しいか?とか、難しい本に挑戦していること事態がすげえ!とか思うだけで、味気のない読書が楽しくなるよ。

なので、背伸びなんて気にしないで、とにかく本をよむことを楽しむってのがいいよなあと、おい、それを最初から言えという結論で締めくくりたい。

 

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