点の記録

点と点が結ばれるのをじっと待つブログ。主に書籍について。サブで音楽やら映画やら。

ジグムント・バウマン、ティム・メイ『社会学の考え方』

 

社会学の考え方〔第2版〕 (ちくま学芸文庫)

社会学の考え方〔第2版〕 (ちくま学芸文庫)

 

僕は大学の頃社会学部に所属していたけれど、当時は社会学について殆ど知らなかった。ヴェーバーやデュルケム、パーソンズという名前は2回目の大学4年生を迎え、勉強しなきゃとなってから初めて知った。社会学部を卒業したのに、社会学の腕前はシロウトレベルである。

ところで、社会学について知っていけば行くほど、いまいちピンと来ないジャンルであることが分かった。それは山崎が勉強しなかったせいだろ?そう言われてしまえば、そうかもしれないと不安になる。しかし、「うるへー!山崎でなくてもピンと来ないぞ!きっと!」と主張しても、あながち間違っていないと思う。

 社会学には、定理や原理といったものがない。

数学は長い歴史の中で、様々な定理(数学的に証明された真なる命題)が発明されてきた。ある一定の条件下で定理を述べ、それを証明することが数学の一種の営みだ。あらゆる科学は、仮説を証明することで信ぴょう性を得てきた。物理学も人間が認識する現実世界でのモノの動きを実験で証明してきた。経済学は最近では心理学めいた学説が流行しているけれど、経済活動のモデル化と実践で、資本主義の発展に寄与している。

社会学はどうか。見渡しても、これだ!という原理原則は見当たらない。そもそも、研究対象が「社会」であることから悪い予感がする。聡明な皆さまは、「社会」という言葉は、定義しきれないビッグワードではないかと第六感が働き、すぐさま回れ右ができるが、この沼にハマりたいというドMな方々は、もう少しだけこの記事を読んでみてほしい。

先程ちらりと挙げた学問には、あらゆる前提がある。数学は数学的世界観に則った思考法や記述方法があるし、昔ながらの経済学は「人間は合理的な判断ができる」という前提があり、その人間の経済活動に焦点を絞る。前提に次ぐ前提が存在する。

社会学とは何ぞや。この問いは社会学のコンプレックスを揺さぶる。社会学部の学生に聞いてみると良い。「社会学ってなんですか?」と聞かれた途端に、急に声が小さくなったり、耳が赤くなったり、汗が噴き出たりすること間違い無し。開き直ったり逆ギレされたりすることもあるかもしれない。温厚そうな社会学部生に聞いてみよう。

手っ取り早く社会学を学ぶために、社会学入門本を手に取ろうものならば、そこから既に底なし沼だ。社会学入門系の書籍によって、「社会学とはこういうものだ」という言い方が非常に多様で面白い。

個人的に好きなのが、本書『社会学の考え方』の書き方だ。

 社会学は、人間の行為を、広範な形式作用 figuration の要素として考察することに特徴がある。すなわち、社会学は、ともに相互依存……の網の目に組み込まれた行為者たちの選択的な non-random 集合の要素として、人間の行為を考察する。

ざっくり言えば、「社会という依存関係の中にいる人間の行為について考察する学問」であるという。しかし、経済学や政治学も社会的な活動について研究するものだけど、そういうものとどう違うのか?社会学の特徴って何よ?と思われる人もいるかもしれない。

それへの答えがこれだ。

社会学者は、このこと[人間の行為が相互依存関係にあること]が、人間の行為に、わたしたちが取り結ぶ関係に、わたしたちが構成要素である社会に、いかなる影響を及ぼすかを問う。……こうして、形式作用、相互依存の網の目、行為の相互的な条件づけ、行為者の自由の拡大あるいは制限などが、社会学の最も重要な関心事となる。 

 どうでしょうか。社会学とはなんたるか。ピンと来た人はいましたか?多くの人は「言いたいことは分かるけど……」となっていると思います。

「人間の行為」という関心の持ち方がすごい。広すぎてピンと来ない。他愛もない会話から組織間でのやり取り、結婚や離婚、不倫や浮気、ただ外を歩いたり、法律を守ったり、経済的な行為や犯罪的な行為、セックスやオナニーなどなど様々だ。それらを抜き取る場所によっても違いが出てくる。そして「人間の行為が相互依存関係にあること」それが社会という状態であるとするというのも、学者によって違う。そういう側面が、社会学をわかりにくくし、面白くしているところだ。

社会学とは何か?という説明をするために本書を使ってしまったけど、『社会学の考え方』というタイトル通り、社会学の思考法も一緒に勉強できる内容になっている。扱うトピックスも、それに対する説明も分かりやすい。自由と依存、コミュニティと組織、権力と選択、秩序と混乱……取り扱うトピックスもいい感じ。おすすめ。

最後に、社会学の考え方を身につけると、なにかご利益はあるのか?ということを、本書の引用に頼って触れておく。

社会学は社会生活全般にとって、本質的なものを提供しうる。それは、理解や説明を通じて、経験を解釈することである。……わたしたちが日々の生活をどう送っているかを検討するとともに、それが「地図」のなかでどこにあるかを提示する。……私たちは、自分が居住する領域が、自分自身は探検する機会もないが自分の生活を形成し構築する世界と、どのように調和し関係しているかを知ることができる。

我々は漠然と日々を送っている。自分たちの生活が、資本主義のシステムを採用しているのもなんとなく知っている。ここに、マックス・ヴェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に著された資本主義の発展のされ方に目を向けることで、自分たちの資本主義に、「ただしキリスト教、ひいてはプロテスタンティズムの精神を欠く」と注釈をつけ、その是非を問う下準備ができる。自分たちが漠然としている行為を、批判したり支持したりすることができるようになる。

社会という枠組みの中で、人間の行為の関係性と影響を問う学問である社会学。学べばますます社会が分からなくなること間違いなしだけど、自分の足元と自分の周囲に対して、自分以外の視点を入れてみるきっかけを与えてくれる。しかもそれは、経済や政治などに限定しない。自由な分、学問として成立しないとか、そういう批判を度々くらうジャンルだけれど、堅苦しくない態度は、いい加減な山崎としては、とても好感が持てる。