点の記録

点と点が結ばれるのをじっと待つブログ。主に書籍について。サブで音楽やら映画やら。

だって賢く見られたかったんだもの

もっとね、こう、奔放にやろうぜっていう感じがするんです。

僕がある一冊の本について書いている記事を読んでもらうと、「真面目な山崎」が必死に著者の世界観についていこうとしている姿が思い浮かばれるはずです。なんだか情けない感じがすると思います。「大丈夫大丈夫、おれ、この人の言いたいこと、わかってるから…………!(猛烈に息切れ)」みたいな。

僕のように「賢く見られたい症候群」を発症しているバカブロガー共はね、そこのところを捨て切れない。自分勝手に本について語ることを良しとせず、良いカッコをしたがるのです。それはそれは、痛くかっこ悪いのです。

最近読んだ書評で、腹を抱えて笑ったのが、かたむきみちおさんのこちらの記事。

propus.hatenablog.com

ずるいです。最高です。。。

最初に読んだ日なんか、3回くらい思い出し笑いしました。こういうことしたいんです。この余裕すごくないですか。

浅学だと、こういうことをする余裕が無いんです。できない。本について書くなら、しっかりと書かないとみたいな気持ちがどうしても出ちゃう。それは冒頭に書いた、「賢く見られたい症候群」なんです。うんこみたいな虚栄心なんです。僕はうんこ。

最近取り上げた『新書がベスト (ベスト新書)』でも、なぜ本が面白いのかについての記述がありました。

 しかし、本の価値は、極論すれば、内容が偏っていることにあります。
 ひとりの著者が、独断と偏見による考えを披露するのが本です。両論併記の中庸な意見より、いろいろな立場からの独断と偏見をいくつも取り入れたほうが、はるかに情報として意味があるのです。

文章を読むことの魅力、意味とは、著者の独断と偏見、クレームに触れること。独断も偏見もない無難な解釈に、情報としての意味というか、価値はあるのか?僕が書籍について書いてきた文章を見返すと、なんかもう、当たり障りのないように書いてきてることがモロバレな感じが、すごい。

僕が今までやってきたことは、「山崎は頭が悪い」と言われてきたコンプレックスを埋めるための惨めなオナニーだったのです。せっかくオープン自慰を趣味としているのだから、もっと自信を持って、読んだ時の感想をぶつけるみたいなことをしていきたいよね。結果、もっと恥ずかしい結果に終わっても、きっとそっちのほうが楽しいし、僕が書いた内容にも、僕自身が納得するんだと思う。

無責任かもしれないけど、端っから虚飾ばかりの態度では、発言の責任なんて持てません。「ごめんごめん、今のな~し!」と記事を消せるのです。性格は一朝一夕で治るもんじゃないけれど、「えいや」とやってしまえるメンタリティは身につけて損はない。高々1日平均60PVくらいのブログなんだし、好きなようにやればいいのに。ね、自分よ。

きっと明日書く記事も、いい子ちゃんになっちまうんじゃないかという悪い予感を感じながら、寝ます。