点の記録

点と点が結ばれるのをじっと待つブログ。主に書籍について。サブで音楽やら映画やら。

約2500冊の「極意」

真理や真実は無いのに

ちょっと意地悪な記事です。

我々迷える子羊=現代人は、真実や真理を求めたがる。僕もそうだった。今でもそうであることがしばしばなのが情けない。気が滅入っているときなどに書店に行くと、誘蛾灯に誘われる羽虫のごとく、ビジネス本棚にいることなどがある。そんな状態で本を読んでも意味がないことは分かっている……つもりだ。

真実や真理というのは、絶対的な評価基準にもとづいて判断される正解のようなもんだ。我々本読みは、「そんなもの、この世に無いということは重々承知している。」という顔をしていながら、心根では「何処か正解はないか」「俺だけが見つけて一儲けしてやる」「職場のあいつを見返してやる」「これでモテモテになってやる」「みんなから尊敬される男になってやる」など煩悩まみれで書店のビジネス本コーナーに赴くのだから救いようがない。

極意ならある?

真実や真理と類似したものとして受け止められているのが「極意」という言葉だ。「極意」とはその道を極めた者にのみ理解されるエッセンスのことだ。その物事の核心、真髄である。それは知識だけにとどまらず、身体性を伴うことが多い。

時として、「極意」とは、真実や真理という言葉よりも、具体性があり、「これさえ知れば俺でもできる!」とか思いがちである。真実や真理という言葉よりも胡散臭くないし、現実的な話のように思えてしまう。

甘い。ここで今一度、「極める」とはどういう状態を指すのかについて考えてみてほしい。極めるとは、この上なし、というところまでのぼりつめることだ。もうこれ以上腕を磨く必要がない状態である。

そんな状態に凡夫である我々が到達するには、知識習得だけにとどまらず、血反吐を吐くような練習は不可避である。それなのに、このことを忘れ、必要かと思われる箇所を数十分の読書で得てしまおうとする。それでもって、本に書いてあるとおりに2,3日実践してみるが、挫折して、「この本は使えない」と断ずる。いい加減、本のタイトルや、「はじめに」などに書かれている甘言を真に受けるのをやめなければならない。

日本でアクセスできる「極意」の数

国立国会図書館オンライン | National Diet Library Onlineで、タイトルに「極意」とつく本が幾つあるのかを検索してみた。その結果、 2,504件ヒットした。日本人は、無料で、約2,500もの「極意」を書物から得られることになる。国立国会図書館に行けばだけどね。

小説やフィクションなども存在するだろうから、全部が全部、「極意」を教えるハウツー本ではない。目安として捉えてほしい。それにしても、この上なしにのぼりつめるためのノウハウが、約2500あるというのは、すごい。ありすぎる。達人がもっと身の回りにいても良い気がする。

「極意」ほど知識と経験の両輪が必要なものは無い。しかしそんな身も蓋もないことを言っては本は売れない。悲しいことだ。真実とか真理、「極意」という言葉を使いすぎて、お手軽な「正解」を大量生産中だ。

最近の極意本のタイトルを見てみる。

『近すぎず、遠すぎず。 : 他人に振り回されない人付き合いの極意
斎藤一人の「勝手に人が育つ」経営の極意
『論理的な話し方の極意
『生き方の極意 : 優しく温かくそして強く』
アドラー心理学で家じゅうスッキリ!片づける極意 』

などだ。胸躍るタイトルである。これができるならば、人生イージーモード間違い無し。

「極意」とつく本を読むときに注意したいのは、「著者は本当にこの分野を極めし者なのか」と疑問を持つことだ。それと同時に、「極める」という言葉の持つあやふやさに目を向ける必要がある。そもそも、ある物事を、「この上なし」の状態にすることはできるのか?

「極意本」に振り回されない極意

極端に考えると、「極める」というのは、ひどく主観的な問題のように思う。

例えばとある学者が”論理の極意”なる本を出したとする。他人からその本の論理の破綻を指摘されることが多くても、彼がそれを認めず、また彼自身が「極めた」と思ってしまえば、彼は「論理を極めた」人間である。もう彼に成長の余地は無いからだ。

逆に、周囲が「あの方は○○を極めた」と思っても、本人が「極めておりません」と認識しているパターンもある。釈迦とかイエス以上に人生を極めた人はいないと思われたとしても、彼らが「俺は人生極めちゃったから~~」とか思っていなければ、これは極めたとはいえない。自他ともに認める極限の腕前というのは、そうそう無いのだ。

「極意」という言葉を書籍につけるのは、著者が「こういうタイトルにしようぜ」と言うだけではない。こういう類のタイトルは、編集者が付けていることが殆どだ。タイトル、帯、著者略歴、本によっては「はじめに」までは釣り針であると知り、これに振り回されないことだ。さらに、安易に「極意」を学んでしまおうというバカな真似はやめよう。人生が狂う。世間一般にはびこる成功への煩悩を捨て去るのだ。

自分の非力やバカさを前提とし、それをすぐに改善しよう、補おうと本に頼るべからず。

非力なもの、バカなものにつけて、すぐに効く薬は無い。仮に本が薬として機能したとしても、恐ろしく遅効性である。

記事の内容を纏めるとこうだ。

  1. 「極める」という状態を疑問視する。
  2. タイトルは釣り針であると思え。

これが「極意本に振り回されない極意」である。

え?知ってた?

え?前からやってた?

……ご、極意とは、シンプルなもんなのである(ビジネス本の常套句)

※山崎はビジネス本を半年間で500冊くらい目を通し、見事に子羊と化しました。「本に振り回されることを極めし者」だった、かつての自分の姿勢を逆向きに捉えることによって、説得力ゼロのまま、「振り回されない極意」とさせて頂いた次第です。恐縮です。