点の記録

点と点が結ばれるのをじっと待つブログ。主に書籍について。サブで音楽やら映画やら。

計画性と文章執筆

アウトラインから組み立てる

テーマや主張があらかた決まっている場合、アウトラインから組み立てると良い。

これはライティングの通説である。特にブログやメルマガ執筆などの比較的ライトな文章を書くためのテクニックを紹介している書籍によく見られる。……気がする。

ブログを始めたばかりのとき、文章作成術の型から入ろうとして何度も失敗した。小手先のテクニックばかり集めて、試し、つまずいては「これは俺に合わん」と心の中でイチャモンをつけ、早々に投げ捨てていた。どこかに俺に合った方法論があるはずだ……とテクニックだけに目がいってしまういうハウトゥー難民。目も当てられない。

そうそう、このアウトラインから考える方法は、僕が投げ出した知恵の1つだ。最初は性に合っているかと思った。しかし思うように筆が進まない。

計画を立てるのが好きだが実行するのが苦手

僕は計画を立てることが好きだ。

だが、残念なことに、計画を実行することは大嫌いだ。というか大苦手だ。

社会ては、気力でエイヤ!とはいかんことの方が大半だから、ある程度の見通しをしっかり立てておく力というのが必要である。見通しばかりではなく、立てた計画を実行しなければ、計画はおじゃんになる。行動力が必要だ。しかしこれが苦手だ。社会人の土俵に上がれないかもしれない。

多くの日本人は義務教育で「夏休みの宿題」という短期的な計画・実行の練習を余儀なくされる。幼い頃から時間という感覚に敏感で、自分の理想とする宿題の消化ペースを計画し、日々の行動を逆算する力があった人は、大人になっても優秀な人材になれる確率は高いだろう。

僕は夏休みの宿題を「中途半端に忘れ、中途半端にやってくる」というヤツだった。いい子ぶってやるときはやるが、やる気がないときは自分を律することができず、手付かずの宿題をそこそこ生み出した。夏休み明けの宿題提出タイムでは、一か八かの「無くしました」で切り抜けた。

学習計画は、常に夏休みの半分を超えた辺りで全ての内容が終了するような模範的な計画をするようなヤツた。しかし、完璧に遂行されたことなど、一度としてない。失敗するたび、自分との約束すら守れないダメ人間であるという自己イメージを強めていった。

思い起こせば、僕は計画したことが計画どおりになったことなど、これまでに一度としてあっただろうかと自問してみると、否であるという答えが返ってくる。

「企画倒れ慣れ」という病

何が何でも計画どおりに物事を遂行する。

こうしたメンタリティを持たずに社会人を迎えた僕は、社会に出てからかなり苦労している。逆算して行動するということが苦手だ。計画どおりに物事を遂行した後にやってくる恩恵よりも、眼前の辛さから逃れることを選ぶ。もちろん、いい子ちゃんぶって立てた計画は崩壊する。

友人との約束や、趣味の音楽制作や読書、勉強のペースなど、計画を立て、実行することが必要なものは、どれも計画を立てただけで未完成あるいは手付かずで終わる。すると、計画が達成されないということを、痛くもかゆくも感じないようになってくる。これがやばい。社会的信用の失墜に直結する。

計画性のなさ、計画実行能力のなさに対して、実際にお叱りを受けることがある。残念ながら、申し訳ないと思いはすれど、それが次回の反省につながるかと言えば、そうではない。PDCAサイクル以前の話である。小学生からやり直すべきだ。誰かのための行動や計画よりも、自分のための行動を優先してしまう。それならそれで、そっちに振り切れればいいのに、他人の顔色を伺い、中途半端に何かを引き受けて巻き込み事故を起こす。

そろそろ、こういうのはよした方がいいよな。

アウトライン崩壊

この記事は当初、「どうすればアウトライン崩壊を防げるのか?」というクソハウツー孫引き記事にしてやろうと企んでいた。アウトラインをしっかり組んでから記事を書き始めた。

しかし、2つ目の見出しを書き出し始めた頃から暗雲立ち込め、結局、やっぱり、アウトライン崩壊を起こした。読み返してみると、自虐と懺悔にまみれた、それはそれで見てられない記事になってしまった気がする。

アウトラインで文章を組み立てられない=性格の問題であると決めかかって記事を書いているように見えるかもしれないが、一般的な事として文章が書けない要因は、性格云々の話ではない。そもそも、「書きたいことが定まっていない」というだけであることが8割なんである。それにアウトライン通りに文章を書けたとして、それが本当に良い出来になるかと言えば、そうでもない。ほんと、そうでもない。

自分の文章に魅力を感じないのを、文章の組み立て方、書き方、魅せ方のせいにすると、ハウトゥー難民になる危険性がある。もちろん書き方ひとつで伝わりやすさや面白さは違って見える。そこにこだわってもなお、自分的につまらない文章を書いてしまうのは、その文章術や方法論が悪いのではなく、文章を無理に書こうとしていることがにじみ出ているからかもしれない。

個人的に、そういう風に考えた方が、精神衛生的にも、自分の力量を測るのにも良い。性格を治そうったって、そう簡単にできるもんじゃないんだからね。

書きたいことができたら書く。

2018年はこれを徹底していきます。