点の記録

点と点が結ばれるのをじっと待つブログ。主に書籍について。サブで音楽やら映画やら。

蛾と電車

 久しぶりに兄弟で会おうということになった。

 山崎家は齢18にして自立を促される。親からの支度金を受け取り、「後は好きに生きよ」と宣言されれば、実家を住処とすることを許されない。その掟にのっとり、高校卒業後は長男である僕、2年後に次男、そして去年、6つ下の末の弟が実家を出た。

 弟がまだ家にいた頃は、実家に帰れば当然のような顔をしてそこにいたので遊んだりできたが、今はそれもできない。なので、3人が自立してからは、兄弟で揃うことは殆ど無かった。それもなんだか寂しいので、日取りを決めて会うことにした。

 目的地までの下り電車は平日の昼間にしては少し混み合っていて、日頃の不摂生から多少膨れた己の身体にとっては少し窮屈かなと憂鬱になっていたところ、一匹の蝶々が目の前を横切った。黒くて小さな、かわいめの蝶で、冷房の風に翻弄されつつふらふらと僕の左足に止まった。すると左側に座っていた旅行客と思しき人が、顔をぐわっと引きつらせて、重たげなキャリングケースをガタガタと鳴らしながら、一目散に隣の車両に駆け込んだ。程なくして、蝶は僕の左隣の、先ほどまでいた旅行客の場所を陣取った。

しかしよく見ると蛾であった。

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 弱っているのか、その位置からは殆ど動かずに、数秒おきに触覚をゆっくりと前後に動かすだけだ。ほとんどじっとしている。なので、人が僕の隣に座ろうとすると、その蛾を見て座るのをためらった。

 山崎は自分のことしか考えられない人間なので、なんとラッキーだ!と思った。膨れた身体にちょうど良い空きができたぞ、と情けないことを考えたりした。

 今、あの蛾について考えると、なんとも気の毒なやつだったかもしれない。あの電車に乗ってしまったが最後、自分の生まれ育った地域に果たして帰れるのか分からない。

 まてよ。そもそも蛾には、我々人間のような里帰りという習性があるかどうか分からないのに、「生まれ育った場所に帰らないとはかわいそうである」と蛾を憐れむのはアホなのかもしれない。『猫語の教科書』でもあった、一種の擬人化をこの蝶にやってしまっているだけである。

 心配してやることが自分勝手であるケースはあるけれど、まさか蛾に対して「余計なお世話だったかな」と思う日が来るとは思わなかった。能天気極まれり。

まずはお前の膨れた身体をどうにかしてから、こういうことを思ったり書いたりした方がいいぞというお叱りが飛んできそうだ。

全くもたわい無い内容で申し訳ない。