点の記録

点と点が結ばれるのをじっと待つブログ。主に書籍について。サブで音楽やら映画やら。

価値ある自己満足

自分の好きなものであるほど、より正しい、確からしい情報にすがりたくなるときがある。向上心の現れか、はたまた、修行をパスする魔法のマントラが存在するという幻想か。どちらにせよ、力なき者に多い傾向として、方法論に注目しがちになってしまうというものがある。努力に裏切られ、愚直でいることに疲れたというのは稀で、多くはしっかりと向き合いきれずに挫折し、実の所はその挫折の原因となった壁の迂回路は無いものかと右往左往しているだけであることが多い。

山崎は今、それにちかい状態にある。

最近、書きたいことはあれど、書いた後の文章を公開する気になれない。一応、本名でブログという公開オナニーをしでかしているので、書く内容とかには気をつけなければならないから、出来上がった文章が妙ちくりんの場合はボツを食らわせる。最近できあがる文章は、うだつの上がらない僕の人生と同じように冴えていない。山崎の文章は面白い、冴えていると他人から評価されたこともあったが、平素ではそんな嬉しい記憶も失せてしまっている。

オナニーの仕方を間違えれば勃起不全などになるのと同じで、ブログにおいても正しき方法があるのではないかと模索する。最近、自分の中から文章を書くこと自体で生まれる喜びや楽しみが失われている気がする。

解決策のひとつとして思いついたのは、ツールやシステムの変更ではなく、やはり書き手本人の精神的な側面の改善である。オナニーとは己のやる気一つである。臆することなく自己満足を貫き通し、恥も見聞も捨ててとことんやる。それが結果的に、いつのまにやら人の為になるような内容であることを目指す……つまり「価値ある自己満足」を提供することを目指すようにする。

それは自己満足とは言わないのではないか?というツッコミが飛んでくるほどこのブログは人来ないので、あえてセルフツッコミするけれど、自己満足という側面はそのままで良いと思った。それはブログをそのように使いたいという一つの煩悩を満たすため、無くしてはならない、というよりなくしたくない部分だ。だがもし、この自己満足が誰かにとって有益であるならば、それにこしたことはない。

自己満足とは、自分の行いを、自分一人の価値基準や評価軸に合わせて評価するという、わざわざ視野狭窄状態を作り上げる行為である。すべてを自己満足で切り開ける人はいない。他人の役に立つことは、人間社会を生き抜くための必要十分条件ではないか。すると、やはりこのブログというオナニーも、しっかりと人に見せることができるレベルにまで到達する意義というのは十二分にある。ブログで価値出して金取ろうという訳ではない。毛頭ないが、何かしらの精神的な起爆剤的なものは、何を始めるにしても入り用となる。勝手にそう思っている。勝手にそう思うことが、まずもって第1歩であると思わなければやってられない。根拠は無い。

自分の煩悩を満たし、かつ人の役に立てることを目標に据えることが重要だ、というのは多くの自己啓発本にある根拠のない胡散臭い人生訓だが、山崎はこれには殆ど同意する。それができなければ、人間はモチベーションを失い、代わりにマスターベーションを繰り返し、社会的テクノブレイクを起こしてしまいかねない。

自分の煩悩と、読み手の煩悩を満たせるようなものを、早くこさえられるようになりたいもんだ。