『外国語上達法』
何かを始めるときには、その手の分野で名著と呼ばれるものをピックアップして読むことはとても良いと思う。その本がいろんな本の底本になっているので、他の本を読む労力を節約できるという恩恵を受けることができる。あとの本はおまけか、怖いもの見たさで見ることができる。
『外国語上達法』を読めば、他の外国語学習本を読む労力を節約できると思った。
この本は1986年に岩波新書で発売されたが、それ以降に出てくる硬派な外国語学習本は、この本で言っていることの焼き増し感が否めない。また、軟派な自己啓発の色を含んだ外国語学習本は、外国語を簡単に覚えることができる!という嘘を喧伝する害悪でしかない。トロント大学名誉教授である中島和子氏や、オハイオ州立大学名誉教授のテレンス・オーディン氏らの研究では、言語を高いレベルで運用できるようにするためには、3000時間から5000時間は必要であるという研究結果がある。1日5時間休まず勉強しても、約3年はかかる計算となる。
本書の書評やレビューでも、多く取り上げられている箇所に、著者とS先生(日本人)という人物の会話がある。このS先生は専門家でもないのに、原典(フランス語)のプルースト著『失われた時を求めて』を趣味で読破したり、著者のドイツ留学の折には紹介状をドイツ語で書き、それを見た現地ドイツの大学院学生から「あと10年すればこんな見事なドイツ語かけるかな」と言われたりしていたらしい。基本的に、この先生の教えに従って、外国語習得で必要なものを挙げている。ざっくりまとめると、
「外国語学習で必要なものは、お金と時間」
「覚えるものは、語彙と文法」
「良い教科書、良い教師、良い辞書を揃えよ」
この3つである。第2章でS先生から教えられたこの要点を、次の章から解説するという具合に本書は進んでいく。
白状すると、僕は英語の勉強そっちのけで、英語の学習方法について勉強をしてしまった、典型的なアホである。おかげで英語なんてこれっぽっちもできやしないが、英語の学習方法に書いてあることは覚えている。その感想としては、「根拠がS先生というのは如何なものかと思う半面、他の外国語学習の本にも似たようなことは書いてあるし、この3つは間違いではなさそう」ということだ。
1つ目の「お金と時間」だが、何かを勉強をする場合、英語に限らず、この2つはあればあるだけ良いから間違いではないだろう。ただ、インターネットが普及し、無料で読める辞書や、英会話アプリなどが登場したことによって、英会話スクールに通うという選択肢以外にも、様々な方法が取れるようになったので、必ずしもお金をかける必要は無くなってしまったようには思う。時間がない場合は元も子もない。諦めるか、時間捻出をするしかない。
2つ目の「語彙と文法」についても、間違いではなさそう。大変不人気な分野で、僕もこれをやるのはクソほど嫌い。でも、やらねば文の構造を効率よく理解することは難しい、というのは素人目線でも「そうだろうな」と思う。
最近見聞きする外国語学習論に「文法不要論」がある。というのも、アメリカの小学生は日本人がやるような文法を、授業なんぞでやらないからだ。日本人も同じで、「私はりんごが好きでした」という言葉を「過去完了形」とかなんとか言わない。文法不要論の要旨は、アメリカ人が辿るように、英語を聞いたり使ったりしていくなかで文法を獲得せよというものなのだが、それこそ、留学なり親が外国人でない場合、むしろ大変で時間がかかる。
メンタリズムでなんでもできるって言ってるイメージのあるDaiGo氏でも、「マジになって文法やらなくてもいい」とは言っているけど「文法をやるな」とは言っていない。
DaiGo氏によれば、「文法を学んだことによって学習効率がどれだけあがるのかということは、科学的にはまだ良くわかっていない。マジになって勉強しなくてもいいけど、本格的な勉強やる前に、大学受験用の文法書をさらっと読んでおくといいかも……」とということだ。DaiGo氏好きな人はこの本読んだらいい。
3つ目の「良い教科書、良い教師、良い辞書」だけれど、言い出しっぺのS先生から、矛盾した言葉が飛び出てきている。
「ねえ君、いい辞書とか、いい学習書とかいろいろ心配しているけどねえ、二葉亭四迷だって、坪内逍遥だって、森鴎外だって、いい辞書も、良い学習書もないのにあんなにできたじゃない。これどいういわけ?やる気よ、やる気。やる気さえあればめじゃない、めじゃない」
なるほどS先生。 クソ刺さるわ。