点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

結局本を読んでいる時が一番楽しい

自分は何をしているときに幸福を感じるのか、ということに鈍感になっていた節がある。自分の幸福というものに意識を向けず、ぐーたらと生活をしてきたので、精神や身体に負の影響が出てきてしまった……かどうかは定かではないが、意識的に価値観を再確認しなければ、今後の人生潰れてしまいそうなので、やってみる。

最近一番やっていることは読書だ。こんな状態になってしまっても習慣として身についているので、本を読むということだけは辞めないだろうなあ。体調不良になってからは、「1日1回本を開いたらOK」ということにしている。それでも結局、最低でも1日30分、普通に2~4時間くらい読むことが多い。1日の合計で最高12時間読んでいたこともある。ここまで没頭できるものは、本を読むこと以外にはない。僕の人生で1番大事にすべきは、今の所読書時間であることを再認識した。

あ、人生でいちばん大事なのは睡眠時間なので、2位だ。

なお対人関係においてはこの限りではない。数少ない友人や恋人、家族と一緒にいるときは、そちらの時間を優先する。

そんなに本が好きならば、本を読むだけで良い仕事は存在するかというアイディアを思いつく。当然だが、そんな職業は存在しない。大概、本を読んで何かしらのアクションを起こさなければならない。職業とは社会の中でどのような役割に立っているのかという状態を指す言葉だ。本を読んでぽけーっとしていても、社会にとって何ら有用でない。

そこで、本を読むことが許され、僕でもある程度人の役に立ちそうな職業とは何か。

それは書評家かもしれない。これはあこぎな商売である。

書評家の何が良いか。それは過去の天才・秀才達の労力に寄生することができる。書評というコンテンツは、書籍の内容一本で完結させることができる点に魅力がある。さらに、だいたい書くことが決まっている。書評というのは主に次のもので形成されているからだ。

・その本の要約
・その本の良いところ
・その本を悪いところ
・著者いじり
・他の本との関連性を

書評の目的にもよるが、売るための書評である場合、なるべく他の書籍の固有名詞は出さないほうが良いということまである。

書評家は「食えない」というところに気楽さがある。Googleで「書評家」と検索してみるといい。書評一本で食っている人なんて、出てきやしない。何かしらの作家であったり、すでに手に職のある者が、副業という形でやっているのだ。クラウドソーシングサイトなどでそうした仕事が無いかも探してみた。すると、仕事の単価が安い。文字単価0.25円とかザラである。書評は一定のメディアからの需要しかない。もちろん例外はあると思うので、間違えてたら教えて欲しい。

ということで、食えないコンテンツではあるものの、僕にとっては一番幸せな職業になるのではないか。もし食えるレベルの金がもらえるのなら、間違いなく書評家になりたいと思える。むしろ食えなくても良いと思っているので、使いたいという人がいたら連絡ください。無償でもやるよ。書評欲しいな~とか思ったら、あなたの代わりに書評書くよ。まーーそんな人、ブロガーにはいないんだけどね。あと、多分僕って書評すごく下手くそなんだよね。恥ずかしい。もう少し読める書評を書かないとね。

おしまい。