点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

「読書会」に参加することになった

 『文庫-LOG』経由で読書会に参加することになった。が、現在は精神状態のバグにより、電車やバスに乗れない問題を抱えていることを忘れていた。今度、西国分寺まで乗れる練習をしよう。案外大丈夫かもしれない。なお、読書会が行われる場所は「下北沢」である。今の僕の精神状態上、かなりハードルが高い。が、社会復帰にはある程度のハードルがつきものであり、電車バスなど公共機関の利用、エレベーターなどの閉鎖的空間の克服は急務である。

 どのような読書会かというと、「指定図書に合うBGMを選び、それを指定図書と絡めて語り合う」というもので、なかなか面白そうだ。読書会というものには一回も参加したことがない。向学心の塊みたいな人たちが、わけの分からない横文字を使って、社会の未来について語るイメージが払拭できないからである。話についていけないし、意識高い系コンテンツアレルギーの僕としては苦手どころの騒ぎではない。

 読書会に参加することは参加するのだけれど、この「指定図書に合うBGMを選び、それを指定図書と絡めて語り合う」という試みは、つまり「点と点を線を結ぶ」という行為を要求されるものである。僕が一番苦手な行為だ。

このブログの名前が『点の記録』である理由は「点しか記録できない者が運営しています」という、非常にへりくだった、日本人マインドにあふれるものであるのだ。

そんな小心者だが、勇気を出してこれに行ってくる。いよいよもって点を線で結ぶ時がきた。

ちなみに、指定図書は伊坂幸太郎の『死神の精度』だ。全くの未読だ。これから読む。

死神の精度 (文春文庫)

死神の精度 (文春文庫)

 

 僕は小説をあまり読まなかった。だから昨日『ナボコフの文学講義』を、モンスターエナジーをキメながら読んだのだ。『ナボコフの文学講義』は一読したが、おもしれー意外に記憶しているのは一番最初辺りの部分、「良き読者とは」の件だけである。なぜなら、『ジキル博士とハイド氏』以外未読の作品を扱っていたからだ。もう2,3周しないと、この本のエッセンスすら理解できないだろう。

ナボコフの文学講義 上 (河出文庫)

ナボコフの文学講義 上 (河出文庫)

 
ナボコフの文学講義 下 (河出文庫)

ナボコフの文学講義 下 (河出文庫)

 

  これから読書会に臨もうとする人間の素養が全く無かったことを、ナボコフから教わったことは大きい。つまり、そういう人間が取れる手段とは……インターネット検索でネタバレを見ることである。しかし!しかしだ!!せっかく人生初の読書会であるから、しっかりと、普通に、ちゃあんと読みたい。そして音楽と紐づけてあげたいのだ。

 でも、まあ、あらすじなら良いよね。

 つーことで、読んだ。あらすじ。

 そこから推測するに、主人公は死神であり、物語上「千葉」と名乗っている。そして多くの民間伝承や宗教に伝わる死神同様、人の生き死にを左右することが伺える。クールな死神という文言から察するに、自分の仕事か、人間への眼差しか、そういうものに対して諦念か冷えた眼差しを向けつつも、人間とコンタクトを取るのか……わからないが、ちょっと面白そうだ。

1、CDショップに入りびたり、 2、苗字が町や市の名前であり、 3、受け答えが微妙にずれていて、 4、素手で他人に触ろうとしない。 ――そんな人物が身近に現れたら、それは死神かもしれません。1週間の調査ののち、その人間の死に〈可〉の判断をくだせば、翌8日目には死が実行される。クールでどこか奇妙な死神・千葉が出会う6つの人生。 日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞した表題作ほか、「死神と藤田」「吹雪に死神」「恋愛で死神」「恋路を死神」「死神対老女」を収録。

Amazonより引用

 死神は、日本ではポピュラーな妖怪・憑き物・忌み嫌われる神であり、人間を直接死に至らしめるわけではなく、死に誘導するような役割を果たすことが多い。それが死神の怖いところだ。あくまでも、死神ではなく、干渉された人間の仕業によって「死」が引き起こされる場合がほとんどである。事件や事故が起きた場所には、悪意のある死霊が彷徨い、それが生きた人間の悪念の結びついて、さらなる災いをもたらすとされる。民間伝承の七人ミサキ、あれも死神の一種だろう。それを元にした都市伝説なども怖い。お願いだから今の時間帯には、そのたぐいの話はしないでほしい。

 古典文学や民間伝承の死神は、このように、人間の意志への侵略だとか、超自然的な力による死へのいざないを特徴とするが、近頃の死神ときたらクールでカッコいいものばかりだ。『BLEACH』の死神は、どちらかというとこの世とあの世の調整係である。

 『ドラクエ』『FF』『真・女神転生』などのゲームでは、主に敵キャラクターとして経験値を分け与えてくれるような存在で、なんだかあまり印象が薄い。平成の死神で、伝承に一番近く、さらに有名である部類は『DEATH NOTE』の死神「リューク」かと思う。あれは見事に人間どもを翻弄させる死神の役割を果たしていた。

 もしかしたらこの「千葉」は、そうした死神社会の一員とかなんだろうか。この伊坂幸太郎の描く世界では、死神の社会がどうなっているかも気になる。未読であるが、妙に想像力掻き立てられるあらすじとタイトル。読むのが楽しみ。

 趣味に対する興味関心と「楽しい」という感覚を取り戻してきている。うつの寛解も近そうだ。

 ……うつ?そういえば、死神は自分で手を下さずに人間を死に誘うというのは、まことに現在の僕に降りかかる希死念慮のようなものにもあてはめることができる。そこで、何かの縁かわからないが、この選書による読書会のお誘いが巡ってきたというのは、いやいや。考え過ぎ、考え過ぎ。

 最近、若手アーティストの早すぎる死が立て続けに起きていることが話題になっている。早く寝よう。読書のために、その1。早寝である。2時前に寝ることは、早寝である。

 おやすみ。