点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

うつ病は下痢に似ている

気分の落ち込み方はそれぞれだろうが、僕の場合はこんな感じだ。

何もきっかけが無いようなところから(もしかしたら無意識に何かトラウマを思い出しているかもしれないけれど)、そわそわしたり、不安感に苛まれたりする。だんだんと過去の選択を悔いたりする方向へ向かう。続いて将来を悲観し始める。自分は社会や家族のお荷物だと負の妄想に耽り、最終的には「死んじゃおうかな~」とか思うようになる。台所の包丁で死ぬなあとか、ハサミでベロを切れば死ぬかなあなど、具体的な方策がおもいうかばれ初めたら、手足をバタバタさせて気を紛らわす。そして落ち着くのを待つ。ウグーとかグワーとか口から言語ではないものが出てきて、酷いときは悲しみを伴って涙があふれる。これが短いと30分、多いと1日中そういう状態が続く。

この変調を健全な人たちへ伝えるにはどうしたら良いかということを思ったのだけれど、これは下痢に近いことが分かった。四六時中腹を下している僕が言うんだから間違いない。うつ病は下痢に似ている。専門的知識を持つ人からの攻撃を避けるために申し上げておくが、飽くまでも「似ている」だけという主張なので誤解なきよう。うつ病=下痢とは言っていない。

うつ病の気分変調のどうしようもなさと予測不能さは、下痢のそれによく似ているのである。下痢の予測不能さといったらない。おいおい、このタイミングでお腹いたくなるか!?というところでグルグルする。そして、どうしようもない。考え方を変えればお腹も痛くなくなり、排便のタイミングもずれる!というわけではなく、最悪粗相をすることとなる。

抑うつが現れるタイミングも、どうしようもなさも、そんなもんだ。

さらに、下痢に対する即効性のある特効薬が無いことと、うつ病に対する特効薬がないもの似ている。下痢の場合、腹を下しているときは、便を排出する以外に回復の道は無い。水分補給をしながら、とにかく消化器系からウイルスや軟便を出し切るのだ。

うつ病の場合、認知行動療法のひとつに「筆記開示」というものがある。エクスプレッシブ・ライティングとも呼ばれるこの方法は、一定の時間、自分が思う不安や苦痛をノートに思いつく限り書きなぐるというものである。なぜこういう方法によって心が落ち着くのは、今時分が抱えている不安や死にたいという感情を出し切ることによって、脳のメモリが空き、心に余裕が生まれ始めるからではないか、と分析されている。

僕には結構効くのでやりたいのだが、これを忘れる。やり始めると20分ほどで心が落ち着いてくるのを体験しているから、可能であれば毎回やりたい。だが、身体が動かないという場合もあるので、習慣にするというのは、どうだろう。可能な限りやってみるという努力目標を立てる以外に無い。

あとは、うつ病も「時間が解決してくれる」場合が多いと聞く。優しい人は、うつ病を「心の風邪」と形容してくれる。風邪程度であれば、いずれ治るという希望をもたせてくれる。僕の知り合いにはうつ病10年選手などもいるけれど、働いたりはできているので、人生をまるごと諦めてしまうのはまだ早いということだ。

それ以外に関しては、読書ができるようになった以外は特にやれることがなくて、酷いもんである。本を読める気分のときは、なんだか頭の回転が早くなったような気がして、小説でも哲学書でも、何でも読めているような気がするので非常に楽しいのだけど、そこから前触れ無く、そわそわや不安へとじわじわと、時には一気に変調する。このことも今度、医者に報告してみる。

とにかく伝えたかったことは、うつ病は下痢に似ているということでした。そんだけ。

おしマイケルッ!