点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

『5分で「やる気」が出る賢者の言葉』/齋藤孝

 この本は著者が「こりゃいい」と思った言葉を、名を残した人物の著作やら伝承やらから抜き出して、1人5分程度で読める長さで紹介・解説し、モチベーションを高め、憂鬱状態から抜け出そうという本だ。よくあるやつだ。

 感想をさきに言っちゃう。本書自体はあまり好きじゃない。ただ、この本をきっかけに、「やる気」とか「気の持ちよう」の危うさについて考えることができたのは良かった。

 この本を読めばサブタイトルにある「プチ欝」から脱却できるかというと、これは非常に個人的な問題になるのでなんとも言えない。名言解説本としても特に新しいものではないので、著者のファンではない場合は特に読まなくても良い気がする。

 ところでプチ欝というのはどういうものか。本書によれば、病気ではないものの「どうにもやる気が出ない」という状態というような書き方で表現されている。著者はプチ欝の原因とは何かということにも言及している。

ふとしたことからプチ欝になってしまいそうな人に共通していること、それは「物事を複雑に考えすぎている」ことではないか。

 本当は独立した別々の事柄をつなげて、複雑でやっかいな事態に自分でしてしまう。もっとシンプルに考え、優先順位第一位のことをしっかり定め、脇目も振らずに力を尽くせば突破できるのではないか。

 元も子もないことを言ってくれるもんだ。それができない人が本書のような啓発本を取るというのに。また、こんなことも言っている。

 功なり名を遂げた賢者というのは、実はどん底を味わっていることが多い。どん底で、なぜ心が折れずに、這い上がることができたのか。

 それは孔子の言う「一を以て貫く」シンプルさを、"心のワザ"として身につけていたからだ。

 このスタンスはあまり賛成できない。

 まず、モチベーションというのは元来、人によって種類や必要とする強度が違うため、画一的な方法論による管理は難しい。名言集で改善するなら誰でもやっている。

 さらに、プチ欝の人に対して、「賢者のどん底物語」を見せるのは危険である。読者の人生を安易に賢者と相対化することで、「自分はこんなちっぽけな問題でメゲるダメなやつだ」と思わせてしまう可能性があるからだ。このような書き方では、「これ読んで元気を出して欲しい」という著者のメッセージは伝わらない。

 僕みたいな卑屈な人間にとって、本書は『5分で「希死念慮」が出る賢者の言葉』となりうる。

 また、どん底から這い出ることができた要因を、"心のワザ"に焦点を当てるような書き方も、プチ欝を増強するのに一役買う。これはつまり、多くの自己啓発本が持つ「結局気の持ちよう」という論理に収まってしまっている。「結局気の持ちよう」というのは、自己責任であるということである。鬱の手前にいるような人に「自分で自分の心の面倒を見ろよ。元気出せよ」と言っているようなもんで、これは逆効果になる可能性がある。

 どん底から這い上がることができた要因が、ひとえに"心のワザ"のおかげであると言えない例を挙げる。ビクトール・フランクルの例だ。この手の本で人気だが、なぜか紹介されていない。ビクトール・フランクルは『夜と霧』の著者だ。第二次対戦中、ユダヤ人収容所において自分以外の家族を殆ど皆殺しにされ、自身も収容所に捕らわれていた身でありながらも、同じく収容されてしまった人たちの心のケアをした精神科医だ。

 さて、彼は「不屈の精神」や著者の言う"心のワザ"があったから助かったのか。たしかに絶望的な状況下においても生きる希望を失わない"心のワザ"を持っていたかもしれない。常人に真似できるものではない素晴らしい胆力の持ち主であった。そこを否定したり、ネガティブに解釈する人はなかなか居ないだろう。しかし生き残った要因というのは、彼の精神状態以外にもある。その一つには、「運が良かったから」というのが考えられる。

 メンタルが健全であることに越したことはないが、絶望の縁からの脱却には、多くの要因があり、"心のワザ"のみで片付くわけではない。家族や友人知人のサポート、時代、文化、環境など、個人を取り巻く様々な要因が絡みあっていたはずだ。物事を複雑に考えすぎていることがプチ欝の要因であると著者は主張するが、物事をシンプルに認識したからと言って、プチ欝なりうつ病のリスクが消えるということではないのだ。

 僕はむしろ、社会の不確実性というものを無視した精神論を身に着けてしまうと、「精神上の自分」を強い存在だと勘違いしてしまい、自分のストレス耐性を見誤る可能性があると思っている。これは不健全極まりない。「気の持ちよう」で対応できない極度のストレスにさらされたとき、頼みの綱の強い自分が崩壊してしまう。すると、もう何もすることができなくなってしまうのだ。

 また、ストレス耐性というのはセロトニン受容体という遺伝子の型が影響している可能性も捨てきれない。これは『脳科学は人格を変えられるか?』に詳しく載っている。打開策も載っているから興味ある人は読んで欲しい。とにかく、先天的な要因が指摘されている以上、これまた運の要素が絡んでくる。自分がどのような性格であるか、というのは、自分の経験や環境以外にも様々な要素が複雑に絡み合って、偶然そうなっただけだ。プチ欝もうつ病も、そうした偶然が重なっただけかもしれない。

 そっちのほうが救いが無いと思われるかもしれないが、下手に夢を見て落ち込むことを繰り返すよりは、自分の現状を的確に知り、戦略を練ることも重要なんじゃないかな。

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 
脳科学は人格を変えられるか? (文春文庫)

脳科学は人格を変えられるか? (文春文庫)