点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

K君

 僕の趣味は、ほとんどK君によって影響を受けたものであると言っても過言ではない。

 K君は小学生から現在まで関係が続いている友人である。ここまで長い友人は、後にも先にもK君ただ1人である。

 K君は神童であった。K君の才能を初めて体験したのは、小学校2年生頃の、夏休みの宿題だ。アサガオのスケッチが、小学生とは思えない画力であった。僕は母の影響で、絵を描くことが好きだったが、上手ではなかった。すぐにK君に接近し、どんなふうに描いているのかなどを尋ねた記憶がある。

 K君はさらに、脚本家としての才能を発揮する。マリオを題材とした演劇を完成させ、演出、出演をこなした。これにも金魚のフンのごとくにまとわりつき、参加した。幸運なことに意気投合し、3年生から4年生のときにはコントを考えて、クラス全員の前で披露したりするということをした。人に注目される快感を味わった。

 読書はK君がいなければ始めなかった。彼は小学校2年か3年のころ、児童文学の金字塔である「『ハリー・ポッターと賢者の石』を60分で読んだ」と豪語した。人間にそんなことが可能なのか?と思って自分もチャレンジしたところ、4時間ぐらいかかった。これが、僕にとっての初めての能動的な読書体験だ。

 音楽制作も、K君の影響である。これは小学校5、6年生のころ、『大合奏バンドブラザーズ』というニンテンドーDS用ソフトが発売され、これに作曲機能が備わっていた。彼は耳コピからオリジナル曲まで、このソフトで多くの作曲をしていた。もちろん僕も真似して買った。最初に僕が耳コピしたのは、ドラマ『TRICK』のテーマソングである『Mystic Antique』で、三連符の概念を知らなかった僕は、テンポ調節と休符で、それっぽく聞こえるように調節した記憶がある。

 ニンテンドードリームという雑誌に『バンブラやろうぜ』という楽譜を掲載するコーナーがあることを教えてくれたのもK君である。そこで初めて三連符を知った。

 中学校になると、僕は硬式テニス部の部員との交流が増え始めて、次第にK君とは疎遠になっていった。別に仲が悪くなった訳ではない。またいつでも遊べるだろうという感覚であった。結局、自然消滅的な薄さにまでなってしまったが。なので、中学校の思い出はあまり無い。彼に訊いても、「小学校5年生から高校卒業間際までの記憶がない」と主張するので、彼との中学時代の思い出は虚無である。風のうわさで、ムードメーカーのS君とバンドを組もうとしているとか、音楽講義をしているとか、作曲活動に勤しんでいるという情報が入ってきていた。僕はそのころ、ラージャンすら倒せない実力で『モンハン2ndG』を友人と楽しんでいた。

 高校は別になったので、もっと疎遠になった。携帯電話も高校2年生になってから購入したので、連絡先は家電しか知らなかった。高校生活はハンドボール部の部活動だったり、陰キャ陰キャといじられたり、高校時代に出会った映画博士のアリクイ君らに、金魚のフンのごとくまとわりついたりすることに忙しかったから、2年生までは1回も会わなかった。

 再会は、高校3年生の初秋だ。別の友人の縁で、K君のいる高校の文化祭に行ったときである。本当は会う予定は無かったのだが、最後の文化祭で、この期を逃したらいよいよしばらく会わないぞ……と思ったので、なんとかして探そうとした。K君と同じ高校の友人に名前を訊いても、どのクラスに居るか分からない。何か探せる手段は無いかと探していたところ、クラスTシャツを展示しているコーナーがあった。

 クラスTシャツとは、文化祭や体育祭の折に、クラスの団結力の証として作るダサいTシャツのことであり、大概はクラス全員の名前が入っている。僕はこれを素通りしようとしたが、同行していた友人が、「これで探せるのでは無いか?」と言ってきたので、血眼になって探した。K君の名前はおそらく、他には居ないだろうという名前だったので、すぐに見つける自信があった。

 すでに時刻は15時。文化祭も終了の時刻が近づいていた。クラス数がやけに多く、探すのに手間取った。先程のすぐに見つけるという自信はすっかり萎えてしまったせいか、友達が僕の代わりに見つけた。このときほど、ウォーリーを探せ!やミッケ!をもうちょっと真面目にやっておけばよかったと、己の過去を呪ったことはない。

 このあとK君のクラスに赴き、再会するに至った。そこで彼は作曲の専門学校に行くことを話してくれた。なんだと!俺も行こうかな!とこの時も思ったが、お金が無かったので夜間の大学に行くことにした。しかし、その再会から、耳コピや作曲という趣味が復活した。

 出かける元気が出たらまた遊びに誘おうと思う。