点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

カント『啓蒙とは何か』

永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫)

永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫)

 

 

さっくり読める哲学古典。気持ちの良い出落ちである。

啓蒙とは何か?序文で粗方、著者カントの言いたいことが凝縮されている。

啓蒙とは、人間が自らの未成年状態を抜けでることである。

ちなみに、未成年状態の、未成年というのは、他人の指導がないと頭を使えない人のことらしい。

未成年とは、他人の指導がなければ、自分自身の悟性を使用し得ない状態である。

教えてくれる人がいなければ、自分の頭を使いたがらない人って確かにいる。いい年こいて無知蒙昧であるのは、一体誰のせいであるか。それはお前のせいだ、とカントは言う。なぜお前のせいなのか?持って生まれた頭の良い、悪いではなく、悟性(ここでは簡単に、物事を理解する能力、と思ってほしい)を使うように導く者がいなかったとしても、悟性を使おうとする決意や勇気が必要で、それが欠けちゃだめだよ!ということだ。

序盤でかっ飛ばしている。畳み掛けている。

それだから「敢えて賢かれ!」「自分自身の悟性を使用する勇気を持て!」 ──これがすなわち啓蒙の標語である。

カントの呼びかけは、果たして成功したか失敗したか。そりゃ、多くの哲学者に影響を与えた批判哲学の祖、認識論に超越論的観念論とかいう発想の大転換をもたらしたお人であるから、その界隈、もしくはインテリ一般には届いたかもしれない。カントに影響を受けた哲学者は数えきれないほどいる。

しかし、頭の良い人間に飼いならされた無知蒙昧を地でゆく我々のレベルの人間には、カントの情熱は行き届かないんじゃないか。

社会のベルトコンベアーに乗ったら、そこに乗っている方が気楽である(いやいや、その気楽さがいけないんじゃないの?とカントは批判しているんだけどね……)。

でも、人間というのは本来、気楽に生きるべき生物でなんじゃないか、と僕なんかは思ってしまう。良いストレスと悪いストレスがあると思うけど、感じる必要のない悪いストレスと腹を割って向き合うほど、現代人は暇じゃない。そういうストレスと向き合うことが良いとも限らない。

自分の頭で考えることがいたずらに増えても、かえって不幸せではないのか。理性や悟性では説明できない事柄にぶち当たってしまった時、経なくてもよい余計なプロセスを経て、理屈をこね回して一個一個の事象に当たる。これって、たまにやる分には良いけど、基本的には時間の無駄だよなあ。時間の無駄とかいうやつは哲学向いてないんだろうけど、無駄になっちゃうよなぁ。

自分の頭で考えた方が良いこと、考えなくても問題ないこと、考えないほうが良いこと、というのが、世の中にはまばらに存在するんじゃないか。啓蒙の状態を目指すよりも、自分がどんな状態になりたいのか、というのが先行しなければ、ストレスで死にそう。ただ啓蒙状態を提示された当時の人たちは、どんな気持ちでこの小論を読んだんだろうね。

自分の頭で考えたいことを、誰に教わるでもなく、自然とやってしまう状態というのが、精神的にも身体的にも、それこそ理性や悟性の健全さという側面から見ても、なんだかいい状態な気がするんだよね。

読んでて楽しかったのは、未成年状態、つまり自分の頭で考えることができない人間って、こういう感じだよね~と語っている部分があるんだけど、どんな時代でも、頭のいい人から見るバカって、同じような印象持たれるんだなぁと面白かった。