点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

人権としての教育──教育、学習の権利と義務の構造を知る

人権としての教育 (岩波現代文庫)

人権としての教育 (岩波現代文庫)

権利として、教育はどのように保障されているのか。

僕らは義務教育を受け、当たり前のようにある程度の教育を施されている。僕らの世代で文盲の人は珍しく、四則演算ができない人間は稀だ。たとえ学校に行かなくても、この2つは最低限身についているという人が殆どではないか。それはなぜだろう。

戦後の日本が、教育を受ける権利の主張ができるようになり、それを保証するという世界的な機運によって、学校制度が整備されていったというのが一般的な理解だ。そうした通俗的な理解よりも一歩深く知りたいなら、『人権としての教育』は非常におすすめの一冊だ。

本書は2部構成となっている。

第1部「国民の学習権と教育権」では、学習権、教育権そのものの構造について、1から解説されている。第2部「日本における教育と教育法」では、戦前から戦後にかけての教育法の歴史を、法制度を主軸にふり返る。

本書一冊で、教育、学習の権利の正確、法律の構造や問題点、そしてそれらをめぐる社会の動態を知ることができる。ながらく絶版状態にあったらしいが、今年の夏に岩波現代文庫入りとなった。その際に追補改訂され、『「国民の教育権と教育の自由」再論考』と『憲法と新・旧教育基本法』が収録されたのが本書だ。

僕の興味関心と一番マッチしたのは、第1部2章「子どもの発達と子供の権利」だ。地元の子ども会や、冒険遊び場を運営するスタッフとして活動をしていたため、子どもたちの教育に関する文献に出会えたのは良かった。第7節「人権と子どもの権利」では、次のように書かれている。

子どもの権利の視点は、人権思想の展開の中できわめて重要な意味をもち、人権思想の内実を豊かにする視点である。すでにみてきたように、子どもにとっての学習権というのは、子どもの人権の中心であると同時に、その将来に亘ってその他の人権の実質的保障のために不可欠のものである。しかも子どもの権利を保障するためには、親の人権が保障されていなければならず、子どもの学習権が保障されるためには、同時に教師の権利(その人権と教育権)も保障されていなければならない。(P.70)

子どもの人権、ここではとりわけ学習権だが、これを考えるということは、それを支える大人の人権も保障しなければならない。当たり前の視点のようで、実は蔑ろにされているように思える。大人の生存権が保障されない限り、その子のあらゆる権利が保障されることは極めて難しい。子どもの権利を考えることは、当時の人権思想を展開していく際に、極めて重要な切り口であったことが伺える。

僕はこの本を読んで、一口に「子どもの権利」と言っても一筋縄では行かない奥深さを知った。

子どもの権利を強調するということは、「人権の捉え方を人間の存在の多様な様態(子どもであり、老人であり、障害者であり、健常者である。)と、多様な要求にそくして内容を豊かにすることを強調する(P.386)」ことに繋がる。つまり全国民の権利にまたがる非常に重要な視点であり、その構造を分析して理解するには、膨大な労力がかかる。

全国民の権利ということは、この手のテーマに取り組む際には、著者のような憲法学的な視点が不可欠だということも学んだ。どの水準の憲法理解が必要であるのか、またどのように論考していくのかという資料として、教育をめぐる権利の研究者を目指す人や、教育の分野で活躍するプロにとっての必携書となるのでは。