『労働2.0』は「立志術1.0」だった
『◯.0系』(テンゼロケイ)と僕が呼ぶ本には、個人的ハズレが多い。図書館でたまたま見かけて借りて読んでみた『労働2.0』も、ご多分に漏れずハズレであった。ハズレ過ぎて面白かったので記事にした。
本書のハズレポイントは2つある。1つは「類書と同じことを書いている」こと。もう1つは、他の自己啓発本と同じく、「自分ができることを根拠に、皆もできると言っちゃってること」である。
1つ目の「類書と同じことを書いている」点。多くの自己啓発の教えと同じく、「気の持ちよう」と「とにかくやれ」が結論で、なぜわざわざ本にしたのだという疑念が浮かぶ。著者が最も繰り返す”Just Do It”はおそらく本書の核となるものである。
「確かに中田はすごい。でも、こんなこと、ビジネスの才覚が無いとできない」と思われたでしょうか。
いいえ、何度もお話してきた通り、私がしてきたことは"Just Do It”、これだけです。(P.166)
「これだけ」と書いてあるおかげで、他に書いてあることをすべて無に帰すのには驚く。このメッセージで良いなら、トランスフォーマーで主演を張った、シャイア・ラブーフのコレを見たほうが良い。理由は楽しいからである。
誤解しないで頂きたいのだが、著者の(本書執筆以外の)仕事に対して文句を言っているのではない。著者の仕事ぶりというのは、到底凡人が真似できるものではないし、まともに働いていない僕のような人間がとやかく言えるものではない。だが、彼は「自分ができるんだから皆もできる」という自己啓発では掃いて捨てるほど言われてきた例のアレを書いてしまった。
上記の引用部分の続きが、まさに著者にしかできないことを、誰もができることだと書いている部分である。
「有名人だからできたことでしょ?」という意見もあるでしょう。
確かに私は、今回の商売で知名度を活用しました。
しかし、たとえ有名でなくとも、別の何かを使っていたでしょう。たまたま使えるアドバンテージが、知名度だっただけです。(P.166)(中略)
サロンに参加してくれたメンバーや、ライブに来てくれるファンや、読者の皆さん、そんな方々と私の才能の差は、言ってしまえば「似たりよったり」です。
似たりよったりの人たちの間に差ができるとしたら、志の有無でしょう。(P.167)
商売というのは知名度が物を言う。でなければ大企業がこぞって広告宣伝費を投入したりしない。なかなか獲得できないからこそ金で知名度を買うのだ。
知名度が高ければ、心理学で言う所の、「単純接触効果」や「ハロー効果」が働く。メディアの露出の高さが、そのままその企業、人物が展開するビジネスの商品価値となる可能性は高い。もちろん無名の人たちへのフォローがこの中略の部分に書かれているが、正直何の慰めにもならない。知名度は本書が良しとする働き方、「やりたいことして、食べていく」にあたって、何にもまさる武器である。
そして極めつけは、「志の有無」という言葉が出てきた。つまり、「志さえ持てば俺のようになれる。やるときめたら、やれ。Just Do It。」というのが本書のメッセージである。
本書は『労働2.0』ではなく、立志術1.0であった。
これだけ繰り返されるプリンシプルはそう無い。
斎藤一人も、神田昌典も、堀江貴文も、松下幸之助も、スティーブン・コヴィーも、デール・カーネギーも、ナポレオン・ヒルも言っている。残念ながら、「そうは言っても」という反応が心の中に出てくるのが人間という生き物である。生物は進化をしても「死」への恐怖は捨てられなかった。世界の金融市場には気が狂いそうなほど金があっても、下々の人間は餓死の恐怖に怯えているのである。
やりたいことばかりやっていても、死んでしまっては仕方がない。
「そうは言っても」という態度が無くなるとき、人類は自己啓発書を捨てるだろう。そんなことはおそらく無いから、これからもこのような本がたくさん出てくるのだ。良い本が、著者が武器にしている「知名度」によって埋もれていく。悲しい話である。