点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

「改善」の為の情報を仕入れることをやめた

メンタルヘルス改善の技法については、しばらくの間、情報を仕入れないことにした。

理由は、僕はどこまでいっても自己批判的な気質であるからだ。

自己批判気質というのはやっかいなもので、例えば「これこれがメンタルに良い」とか「こういう風な考え方をすればメンタルが回復する」という情報を仕入れ、実践しようとし、失敗に終わると、仕入れた情報を無視して、自己批判が始まる。一度自己批判が始まると、「ああ自己批判をしてしまった」という自己批判が引き起こされ、負のスパイラルを形成する。

例えば、2010年代以降目につくようになった、セルフ・コンパッション(自己への慈悲)のワークをやろうとする。しかし自分への慈悲の感情の高まりが感じられないとか、このワークを日課にしましょうというミッションを破ってしまったりすると、セルフ・コンパッションの思想はどこへやら。「自分はメンタル改善のために本気になれていない」とか「自分はどうせこのワークやってもダメだ」というような、こじつけ、論理の飛躍によって、最終的に自己批判へと自動的に思考が傾く。

これは反射のようなものだ。長年の思考パターンの積み重ねだ。自己批判が僕の常識であり、自己批判することが僕にとって慣れ親しんだ(例えそれがメンタルに悪影響を及ぼすものであっても)心の反応なのだ。

そこに、問題解決的なアプローチで、様々な解決策を実践しようとしても、失敗の数だけ、より精神を蝕む。真面目な人間が自己啓発に喰われるのも、同じような仕組みだと考える。自己啓発に頼らないといけないような課題があるという思考自体が自己批判的なので、そういう人は自己啓発なんてやらないほうが良い。もっと言うと、あらゆる「改善」から逃れるべきかもしれない。

「改善」は自己批判気質の人間には毒だと思う。

自己批判が大好きな僕のような人間は、改善をするために、まずはフラットに誤りや課題を認識する練習からスタートさせる必要がある。ネガティブに現状を見る癖は、改善の邪魔だからだ。

しかし、その練習で失敗をすると、更に改善項目が増える。失敗すればするほど、その失敗を克服するための改善行動について思案し、改善すべき項目がどんどん増える。すると身体が音を上げる。ゲロでも吐かせて思考停止させようと、自律神経が胃酸を押し上げる。

では、僕はどうすればいいか。

これは答えを出さない方が良いと判断した。

答え(プランや解決策)を出すと、その方向性にそぐわない行動を取った時、自己批判が始まる。常日頃から自己卑下と自己批判を繰り返しているのに、わざわざそこに、自己批判する可能性の高まる思考をすることは、本末転倒だ。

「諦めれば良い」とか「ありのままの自分を受け入れる」とか「自分の好きなことをして気を紛らわす」とか「自己批判を活かして長所を伸ばす」とか「マインドフルネスをする」とか、もう、そういうのも「考えない」……というのも一つの方向性に該当するので、自己批判気質との付き合い方は、「不明」で終わらせることにする。

希望があまり無い内容になっちゃった。

もし、希望をもたせるなら、いつか、いつの間にか、自己批判の癖が無くなっていればいいな、という態度で、日々なんとなく生きることかな……ということしか、もう思いつかないや。