点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

僕らの失敗は全部農業のせいかもしれない──『とてつもない失敗の世界史』を読んで

とてつもない失敗の世界史

とてつもない失敗の世界史

 

 

他人の不幸は蜜の味である。中野信子氏の著書『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』にもある通り、人間は残念ながら、他人の失敗に安心感や快楽を覚える生き物だ。僕はここ数日、極度な自己批判的体質でありながら、『とてつもない失敗の世界史』を読んでいる間、自分のことを棚に上げ、地位も名誉も勝ち取った(あるいは生まれたときから約束された)人間たちの、恐るべき失敗の歴史を読みながら、ゲラゲラ笑っていたのだ(もちろん笑えない失敗もあるよ)。

本書はイギリス人ジャーナリストである著者が、イギリスジョーク盛り盛りでお送りする、失敗にまつわる歴史雑学書である。

ダニエル・カーネマンの『ファスト&スロー』の人間観を参考にしながら、人間はいかに認知バイアスを引き起こし、合理的な選択を逃す生き物であるかを解説した上で、歴史上のありとあらゆる失敗を見ていく。

大きく分けると、自然環境変化(破壊)、政治システムやプロセス、戦争、テクノロジーの進歩にまつわる失敗が、10章立てで書かれている。筆致は軽快だが、内容は毒っけ甚だしいユーモアが随所に登場する。

本書を読むと、「農業の出現」は人類の失敗の中でも最たるものであると思うことができる。何を言っているのだと思うかもしれないが、農業が生まれたことによって、地球全体が災いに包まれたのだ。

 基本的に、農業の起源は「富の格差」というこじゃれた概念の起源でもあった。ほかの皆より物をたくさん持っているエリートたちが出現し始め、みんなを顎で使い始めたからだ。それに、農業は戦争の起源でもあったかもしれない。というのは、村ができると隣村から襲撃される恐れが出てくるからだ。(中略)

 ざっくり言うと、この学派の考え方はこうだ。現代の世界で起こっている数々の悲惨な出来事は、元をたどれば、どこかの誰かが何千年も前に土の中に種をつっこんだせいである。(P.40)

「戦争」と「格差」だけでも十分に罪深いが、農業には余罪がまだある。農業を行うには、畑を耕し、治水を行う必要がある。つまり自然界を急激に変化させなければ、農業を行うことはできない。我々の祖先は、見事にそれをやってのけた。こうした環境の急激な変化をもたらしたおかげで、「干ばつ」「水質汚染」「生態系破壊」など、自然界の破壊が進む事態に発展していく。

ここまで言われてしまうと、僕が今抱えている「金がない」とか「健康ではない」というような課題も、1万2千年前くらいに農業をはじめたヤツらの仕業となるのではないか。(?)なんといっても、生まれた時から負けゲーなのだ。これは現代の政治構造が云々とかそういう話ではない。農業という文明を持ち始めた古代人の時代のツケを、我々は今払っているのである。

だからといって、妖怪のせいではなく、農業のせいなのね!とか言うと農業を真剣にやっている人間からは怒られ、万が一農業の恩恵を受けられないとなると、明日の飯もままならなくなるのが現代人だ。下手に楯突かず、穏やかに生きよう。

そしてこうした自然破壊の失敗の後に登場してくるのは、頭が良い学者や、社会的地位の高い人間達である。

能力があり、権力を手に入れ、崇められる対象であったとしても、もちろん過ちは犯す。古代人が土に種を突っ込んだことが、見方を変えるだけで人類の過ちになるのだ。ぼんやりと分かっていたことだけれど、この本を読んで、ようやく肩の荷が降りる気がした。人間は失敗しないことなど不可能である。