点の記録

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書評『これからのエリック・ホッファーのために』

 

これからのエリック・ホッファーのために: 在野研究者の生と心得

これからのエリック・ホッファーのために: 在野研究者の生と心得

  • 作者:荒木 優太
  • 発売日: 2016/02/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

ざっくり一言でこの書籍を説明すると、サブタイトルにある通り、在野研究者の個人史をまとめ、そこから在野で研究するのに重要なエッセンスを抽出するという内容だ。

在野研究者という言葉に馴染みがない人もいるかもしれない。これも簡単に言うと、大学などの研究機関に所属せず、たとえ学問以外が生業になっている状態であっても、仕事以外の時間で学問に励む人間のことを指す。

著者は有島武郎の研究を専門とする在野研究者のひとりだ。修士号は取得しているが、アカデミズムの本流からは距離を起きつつ、論文を出し、このような在野研究に関する書籍などを出す。『在野研究ビギナーズ』もおすすめ。

本のタイトルにもなっているエリック・ホッファーは、アメリカの社会哲学者として知られる人物だ。

この男、7歳で視力を失う。15歳で奇跡的に視力が回復するまで、教育というものにロクに接することができずに生きた。その後は季節労働者として働く合間、図書館に足繁く通い、様々な学問を独学でマスターする。僕からすると、もうこの段階で怪物めいている。

沖仲仕(おきなかし。船舶への荷揚げ荷下ろしを行う港湾労働者)に落ち着くと論文を書くようになり、学問の世界へ参入するものの、65歳までは沖仲仕として労働していたという。

波止場日記――労働と思索 (始まりの本)

波止場日記――労働と思索 (始まりの本)

 

こうした怪物じみた人間のエピソードが16人分も入っている。独学会のスター南方熊楠や、ソ連崩壊を的確に予言した『ソビエト帝国の崩壊』で名を轟かせた小室直樹などの有名どころから、馴染みのない在野研究者の名前も出てくる。

僕はぜひ社会人の皆さんに、哲学者の野村隈畔(のむらわいはん)氏を紹介する部分を読んでいただきたい。特に労働に対して後ろめたい何かを抱えていたり、学歴コンプレックスがある、そこのあなたに。

野村はベルクソン研究家である。彼もまた、大学には属さずに哲学を研究していた。それどころか、アンチアカデミズムを声高に主張していた。学問を志し上京するも金がなく、大学に入れなかった恨みつらみを、自著に残しているという。

野村を紹介する節のタイトルが「絶対に働きたくない」である。労働は妻に押し付け、自分はゴロゴロしながら学問をしていたという。妻が働いても食えるほどの稼ぎがあるわけでもないのに。それを堂々と自著で語っている。

刮目せよ。これが真の労働嫌いによる開き直りだ。

「現代のような社会において強く生きようとしたり、何かやらうなどゝ努力するのは、実に人間の恥辱である。自由の滅亡である。その人は即ち呪ふべき現代を肯定してゐるのである。社会奉仕などいふ無意味な観念で自己催眠をやつて、事業を起こしたり下らない現行を書き薙ぐつたりすることは、現代に対する降伏である。況して労働神聖論などを持ち出して現代人の心理を瞞着するが如きはお話にならない。ゴロ〳〵して寝てゐることが労働だという意味においてのみ、そは神聖である」(P.76 野村隈畔『自由を求めて』より引用) 

極めつけに、自分の学説に共感した女学生と駆け落ちの末、情死(心中)した。やばい。

ちなみに著者は、野村の生き方より以下の心得を抽出している。

それは1.私淑の精神、2.コンプレックスの解消、3.業績は形に残せ、である。

1について。師を持たなかった野村は自分で模範となる人物を設定していた。これによって孤独の中にあっても、哲学研究を続けることができた。

2について。野村のアンチアカデミズムはルサンチマンの裏返しのようであり、真の意味で大学から自由になっていないのではないか。ルサンチマンは早めに解消しなければ、判断基準が鈍る可能性アリ。

3について。文句たらたら言いながらも、野村はコンスタントに作品を上梓。著作家になってから10年足らずで10作品ほど書き上げているので、遅いペースでは無い。結果、デジタルライブラリーで閲覧できるような哲学的史料を後世に残し、学問的に良い影響を残した。国立国会図書館デジタルコレクション - 野村隈畔

どんなに労働は嫌いでも、情熱を注げる何かを持っている人間は、どこかで強さが顕現する。

僕が用意したオチが凡百な自己啓発的教えに酷似しているのが情けないが、労働とは別の軸を持つことの重要さを改めて痛感する。