『完全教祖マニュアル』
2009年に発売された教祖になるための実践本である。
嘘だ。その体裁を取った宗教理解と文明批判の書だ。ただ、「最後の最後まで教祖になりたい人向けのビジネス本」の体裁を崩さないのが良い。
宗教に全く興味がない人が読んでも面白い。ライトな宗教理解には留まるが、筆致がユニークで知識を吸収しやすく、これ一冊では足りないが、雑談の中の宗教知識の引用元としては使える。
個人的に、この本の宗教観がシンプルで好きだ。
「宗教は信者をハッピーにするためのもの」で、宗教団体はその目的を遂行する集団である、というものだ。かなりドライに、社会のなかの機能として宗教を見る。たしかに乱暴かもしれないが、教祖側の動機として本質をついている気もする。一応ほら、この本は教祖になりたい人の為のものなので、そこらへんの教祖マインドについてもご指南頂けるわけです。
伝統宗教設立の時代背景や教祖の行動をそのまま、真実として読むと、「宗教は多くの人間たちを支配するために生み出された」というありがちな説明の仕方では納得の行かない部分が出てくる。
多少の脚色がされていると理解はしているが、モーセもイエスもムハンマドも仏陀も、その当時の人間が抱えていた何かしらの問題を、心の底から解消させたいと思えなければできない行動をしていたし、その後数千年単位での思想への影響力を持つというのは、到達できなかったのではないか。
「宗教は信者をハッピーにするためのもの」というこの姿勢は本書の中でずっと貫かれている。
例えば、神の機能はこうだ。
宗教で大切なことは、それが正しいかどうかではなく、人をハッピーにできるかどうかです。神もこれと同じで、「いる」と仮定した場合に、そこからどんな素晴らしいことを得られるか。問題はそこなのです。つまり、あなたが神のどんな「機能」を期待するのか、そこから考えればいいのです。
信者をハッピーにするための存在、それが神である。
もっと言うと、信者がハッピーであれば神がいなくても宗教は成立する。
仏教は神を持たない宗教としてスタートし、現在でもその思想が伝わる程の力を持っているのは、釈迦の教えが信者の苦しみを救済していたからである。神が居たからではない。
ただ、その後釈迦が神のような存在になったり、阿弥陀信仰などの神的な存在が表れたりというバージョンアップを経て現在に至る。これも社会の要請や釈迦の死後数百年後の仏弟子による社会分析の結果、教義に手を加えた方が、信者をハッピーにできるからと考えられたからだ。
実践編になると、かなりのビジネス本にありがちの論理を使って、現代における勧誘活動を論じる。人々のハッピーの為には手段を選ぶな。自分の宗教(商品)を信じろ。
社会的弱者と親族を味方につけることからはじめ、戸別訪問の実施とコミュニティイベントの充実による基盤づくり。
他宗教・他宗派への攻撃や対話のバランス、異端の追放や教団への迫害への対処などのコミュニティマネジメント。
信者の中に金持ちを取り込み、資本主義社会の穢れとしての寄付の要請や、出版・不用品や免罪符の売買、効率の良い喜捨文化の生成や、あえて寄付をすることでの内外へのイメージアップを含めた、包括的な収益確保の術などなど。
実はこの部分、宗教問わず、自己啓発セミナー、オンラインサロンを開催しているインフルエンサーにとっては、かなり役に立ってしまう可能性がある。
宗教とインフルエンサーのサロンは似ている。どちらもフォロアーをハッピーにさせるのが目的であり、さらに無形のものが主要コンテンツであるところだ。
某オンラインサロンは、成果物である絵本やそれを原作としたアニメよりも、造り手側の「思想」や「生き方」が核のコンテンツとなっている。フォロアーはその作品の中にインフルエンサーの放つ哲学を見つけ、意味づけし、哲学をどんどん内面化していった結果、フォロアー同士の自主的な活動が増える。
思想を商売にする人間たちは、本書の言葉の「教義」とか「教団」とかを、「自身の伝えたい信条や哲学」に、「信者」を「自分を推してくれているフォロアー」に変換すると良いだろう。ファンの獲得の技法は、小手先のビジネステクニックではなく、伝統的な宗教に学ぼう。ハッピーな人を増やすのだ。
さて、特定の思想への傾倒をハッピーとしない人間、つまり上のような活動を「オンラインカルトだ」と批判したい人であっても、本書は役に立つ。教祖が使ってくるこれらの手口を先回りして、批判の材料にするのだ。
実は、安易な他者への追従を避け、人生の手綱を他人に引かれないようにすることこそがハッピーであるという立場の人たちにこそ読んでほしい一冊だ。色んな意味で、悪用厳禁。
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