点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

散歩日誌 2021/05/01

近所に自然公園を見つけたのが3日前だ。

存在は知っていたがなかなか行く気になれなかった。久しぶりに身体が動くようになったので散歩に出かけるついでに足を運んでみた。大当たり。散歩にうってつけな場所であると判明した。今後もお世話になるだろう。

そこは敷地内を一級河川が通っており、側を歩くと気持ちが良い。小山もあって、歩くだけで良い運動になる。いい塩梅に緑が生い茂るなかに風通しの良い東屋などもあって、そこに座れば心地よい。ああ、やはり自然は良いなぁ、という心地にさせてくれる。

僕の地元は東京都の東大和市というところだ。その東大和市と埼玉県の境目には、狭山丘陵なる緑地があり、そこにも自然公園があって、実家で療養していたときには、気が向いたときに散歩をして、自然はいいなぁという心地にさせてくれた。

 

www.sayamaparks.com

今の住まいの近所にある自然公園はちょうど、そこのミニチュアバージョンのような場所だ。地元の人間にしか分からない例えしかできない己の文才を呪う。

話を近所の自然公園に戻す。気分良く歩いていたが、途中で低気圧による頭痛が発生した。休憩するために目に留まったベンチに座ろうとしたところ、鳥の糞だらけだったので、せっかくのいい気分が台無しとなった。

すぐ近くのきれいなベンチに座ろうとしたとき、ふと思った。自然がいいなぁとか思っておきながら、鳥の糞という至って自然なものに対しては、不快感を覚えたのだ。

いやそりゃ鳥の糞なんだから、嫌なのは当たり前だというツッコミもできるが、一度そう思ってみると、何かがおかしいことに気がつく。目の前の鳥糞は自然物であるが、僕がそれまで感じていた自然はみな、人工物であった。

緑地は美しく手入れが行き届いているし、小山には石段が敷かれ、東屋なんてのは人工物の代表格だ。そもそもベンチという存在は自然の中には無いものであるし、心地よいと感じた河川だって、氾濫を制御するための堤防がある。

自然公園であるはずなのに、自然なものは人工的に整備された緑の中に、たくましく生きる昆虫やハト、カラス、カモなどの鳥類など、外部からやってくる生き物、そして排気ガスが混じった大気のみだ。

あんなに自然に囲まれるのはいいなと思っていたのに、鳥の糞という自然なものへの注目によって、それ以外のほぼすべてが、不自然なものに見えてしまった。

これから先、僕は自然を見ても「ああそうか、これは全くの無為自然ではないのだな」と思う人生を過ごさねばならなくなってしまうのか。

少し調べてみると、人の手が一切加わっていない、かつ自然の力でその環境が維持される「原生林」は、この日本の国土に4%も無いほどであるらしい。レアすぎる。

無為自然」をそのまま自然の定義に設定すると、おおよそ日本では自然を味わえない。つまり自然(仮)を楽しむしかないのだが、僕は諦めの早い性格なので、きっと何もストレスなく、近所の自然公園の中のツギハギの自然(仮)を、自然として認識するだろう。

明日も、明後日も、これから一生、僕は自然(仮)の力を借りて、のんきに「自然はいいなぁ」と思いながら散歩をする。