点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

他者に対する無力感

身近に感じていた人間が、陰謀論にハマったり、自然派ママになったり、マルチに引っかかっていたり、怪しいオンラインサロン会員になったり、自己啓発信者になった時の、あの置いていかれた感じ。

カルト宗教に入っていた場合などは諦めがつくのだけれど、上に挙げた例は、「もしかしたらまたこちら側に戻ってきてくれるかもしれない」という変な期待がある。その期待は大半裏切られる。

寂しさと同時に、腹立たしささえ浮かんでくるあの感じの正体は、きっと自分の力では、どうすることもできないのだという、どうしようもない圧倒的無力感だ。

あちら側に行ってしまった彼らが戻ってくるには、ある程度の痛い目に遭わなければならないだろう……という悲観的な未来予測も、無力感に一役買っている。

僕も自己啓発の強烈な魅力によって、あちら側に落っこちた経験があるから分かる。衝撃的な出来事が無ければ、彼らは複雑な現実を受け入れず、誰かに見せられている単純化された世界のカラクリを喧伝する。残念ながら世界はそんなに単純ではない。

例えば、世界を覆う資本主義においても、ビッグスケールな陰謀を引き起こすのは不可能に近い。経済主体は政府の数、企業の数、家計の数を合計した数ほど存在するので、裏で糸を引きようがない。大手IT企業や製薬会社が大きな仕組みをデザインしたのだという見方は魅力的だし、そう見える側面もあるが、現在の経済を巡る勢力図は、経済主体がそれぞれ、限定合理的に意思決定した結果自然に出来上がったものであって、陰謀が引き起こしたものではない。

あちら側への入り口は、世の中に対する違和感、主に我々を束縛する社会の仕組みや、よく考えてみるとオカシイ常識に対する発見だ。そこに疑問を持つことは普通の人間にだってある。スタート地点は一緒なのに、どうしてそっちに行ってしまったのだ、と思う。

製薬会社の暴利を貪る策略、世界を裏で牛耳るユダヤの金持ち、人身売買を行う白人の権力者、先進国における選挙の不正、先進技術に対する神経症レベルの恐怖や憎悪などが、自分や周囲の人間の生活に対してどのくらい影響力があるのかを冷静に判断してほしい。自分が生きやすい社会にしたいなら、住んでいる自治体の公共サービス、政治がどうなっているのかに関心を持ったほうが良くないか。

それができないほど社会で疲弊しているのかもしれない。社会や世界の仕組みが恐ろしく複雑化し不明瞭なので、掴んだ、あるいは掴まされた、ある意味で整合性の取れた思想に傾倒したい気持ちは分かるが、やっぱり世の中そんなに甘くない。

あるいはピュアで、自分の信頼するメディアや人物の発言にもろに影響を受けているだけなのかもしれない。どっちにしろ、近くの僕や友人や家族や地域社会の人間の言葉に耳を傾けることは、少なくとも数年~数十年(範囲広すぎて説得力ゼロかもだが)は無い。

インターネットによって、一人ひとりが怪しい情報にコミットすることができるようになってしまって以来、こうした無力感を味わうことが多くなった。僕も自己啓発へ傾倒していた時は、周囲からそんなふうに思われていたのだろうから人のこと言えないのかもしれないが。悪いことは言わねえ。複雑怪奇不明瞭極まりないカオスな現実へ戻ってこい。頼む。

ああ、無力なり。

 

陰謀論の正体!

陰謀論の正体!

 
完全教祖マニュアル (ちくま新書)

完全教祖マニュアル (ちくま新書)