点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

クソ期再考

何度もクソ期がぶり返す。食欲がわかず、スマホを数分いじっては投げを繰り返し、焦燥感で何かしようと思っても長く続かず、それに落ち込み布団で寝転がって一日が終わるような状態を、僕はクソ期と呼んでいる。医学的な専門用語では、おそらく「混合状態」と呼ばれるものだと考えられる。

認知行動療法を身に着けたおかげで、自分の心を数値化、ラベル化することができるようになり、「もしかしたら衝動的に自死をするかもしれない」という不安は少なくなったが、希死念慮が消える訳ではない。

僕のクソ期の心理的配分は、焦燥感4:無力感3:希死念慮1~3:無理やりなポジティブ思考1~2といった具合だ。こんな人間が自分の目の前に居たら、「ちょっと休んだら」と声をかけるだろうという想像をすることで、クソ期であっても仕事を休んで良しという倫理観を構築するに至る。根拠は、希死念慮がある人間を外に出したくはないからだ。

クソ期であってもうつの底であっても、やることは変わらない。寝ることである。休むことである。だが、経験したことのある人なら分かってくれるだろうが、ただ寝そべり耐えることはキツイ。

クソ期は鈍重になるとはいえ、身体が動く。寝ていると「でもなんかしなきゃ」という心地がしてきて、これがトラップなのだ。

「今後この病気とうまく付き合えなかったらどうしよう」から始まり、「何かできないか」に到達する。動き出すと「こんなときこそポジティブシンキング!」が発動する。しかし大抵通常時よりも不出来になる。それを失敗と認識すると「やっぱり無理だった」という穴にはまり、最終的に「俺なんてクソだ」へと急降下する。急降下しないままだと、無理だった→ポジティブシンキング!→無理だったのループへと入る。

バランスの悪いポジティブシンキングには弊害があるので、バランスの取れた楽観視を取るようにすればよいのでは?という解決策がある。健全な人生には、リスクを折り込んだ楽観視が必要不可欠である。だが、頭が働かない状態でバランスなんて取りようがない。そのため、疲弊し続けるだけなのだ。

今こうして寝そべりながらブログを書いているのは、自分の思考の濁流をコントロールするための突貫工事、対処療法である。少しでも社会と繋がれる営みをすることで孤独感を癒やし、文章を書くことができるかという試験運転でもある。また、統合失調症などに見られる支離滅裂な思考や、処理できていない妄想が混入していないかのチェックにも使っている。

内容はともかくとして、意味のつながらない、変な文章を書いていたら連絡してほしい。よろしくです。

 

【補足】

クソ期でお世話になっているのは、ネットの友人が譲ってくれたKindleだ。スマホのようにたくさん機能がついていないし、SNSで気分を毒される心配も無い。救われている。もう少しマシな精神状態に戻ったら、直接お礼を言おうと思う。ありがたい。

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何世代か前のKindle Paperwhite。目にも優しくて重宝している。

 

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  • 作者:伊藤 絵美
  • 発売日: 2011/02/01
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