点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

憧れの書評スタイルは、「日常から始める書評」

現実の事象や、自分が普段考えている問題意識、体験したことなどから、それについて書いている本に結びつけ紹介する、というやり方に憧れがある。

「日常から始める書評」だ。

「本書は~」から始まるのではなく、「そう言えば昨日、Twitterでこんな人を見つけた」とか、「この映画を見てたらこんな疑問を感じた」とか、「友人と話していていたらこの本を思い出した」みたいにして、自然な導入から入っていくパターンだ。

まず、このスタイルで前提になるのは、僕の人生経験だ。

エピソードトークだ。

だが、究極の出不精(理由はコロナ禍、病気、貧困など)なので、パターン化された単純な人生を送っている。憧れのスタイルで書評するには、ちと人生経験が貧弱である。

実は、本を読むことでエピソードには事欠かない。しかしそれは所詮他人のエピソードであって、引用術に長けていなければ、読む側はヤラセ感を覚える。エピソードの引用は、かなり慎重にやる必要がある。

また、他人のエピソードのパッチワークでできあがったエントリーというのは、存在意義が危うい。既に似たようなものは、誰かが書いている。不可能に近いことだが、どうせだったら誰も読んだことが無いようなものをこさえたい。

一旦話をそらす。「日常から始める書評」やりたい!と思ったきっかけがある。

ハマっているコンテンツに『ゆる言語学ラジオ』というYou Tube番組がある。サポーターコミュニティにも入っちゃった。これが最高に楽しい。これがきっかけで、「日常→本紹介」の図式でやりたいと思うようになった。

この『ゆる言語学ラジオ』、日常我々が全く違和感なしで使っている"ことば"に対して、言語学的視点で切り込みを入れ、新しい気付きをリスナーに与える。ついでに、パーソナリティ二人の高い雑学力によって、うんちく情報入手源としても重宝している。

パーソナリティ2人の言う通り、言語学、特に日本語学などの知見というのは、今流行の職種の人間からすると、全く役に立たない。しかし、「役に立つ」/「役に立たない」という二分法を端っから捨て、「学問的知識によって世界の見え方を(少し)面白く変える」という刺激を我々に与えてくれる。

 

これは読書にも言える。本を読むことで、その知識がいまやっている仕事に直接役に立つことは、ほぼ無い。もちろん、自分の仕事の充足に、ピンポイントな知識を提供してくれる書籍もあるだろうが、それは書籍全体の量からすると驚くほど少ない。

ではなぜ本を読むのか。読みたくなるのか。それは先程の、ゆる言語学ラジオが提供してくれるそれと同じで、「世界の見え方を(少し)面白く」してくれるからだ。僕の読書モチベーションは、今のところそれ以外にない。そしてそれは、最高の娯楽であって、もっと多くの人にこれを体験してもらいたいという思いがあるので、本のことをブログで書いている。

で、僕の憧れの書評スタイルである、「日常から始める書評」というのは、その本を読んだことによって、「Aに見えたものがA'、あるいは全く別のBに見えるようになった」ことを、読者により効果的に伝えられる形だと考えている。

別に、「この本は~」から始まるオーソドックスな書評のスタイルでも可能かもしれない。ただ、本の単なる縮小再生産、劣化コピー、要約文に終止する可能性も大きいし、その途中に出てくる評者のエピソードは、うまく書かないと邪魔になる。

「日常から始める書評」はエッセイの形式を取る。エピソードを核として論を展開していく。だから心境の変化、視点の変革を伝えることを、躊躇なく可能にする。

だが、その分かなり難易度が高い。

冒頭に書いたが、豊富な人生経験がベースに必要である。で、その体験を面白く言語化できる能力は必須。また、本は日常のエピソードを補強する引用として用いることになるため、芯の食った引用力が求められる。

さて、人生経験が貧弱な僕の場合、この戦略を実現のものにするには、外交的になり、いろんな場所にでかけ、様々な体験をすることが求められる。だが、言い訳的で恐縮だが、持病の躁うつType2によってまともな暮らしをしていないので、これが限られる。

せめてできることは、本を読みながら、日常の問題や社会情勢と結びつける方法だ。これだと文章に生っぽさは少ないが、まずは練習だ。いろいろ試してみる。

手始めに、図書館で借りてみた『夫婦・カップルのためのアサーション』を次回の書評にしますと宣言してみよう。

現在、結婚しておらず、付き合っている人もいない自分がこれを読んでみて、どんなことが書けるのか。……激薄になるかも。