点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

『クラゲのふしぎ』

クラゲのふしぎ (知りたい★サイエンス)

クラゲのふしぎ (知りたい★サイエンス)

 

図書館で見つけた。

何事にも興味を持つことが肝心だと思い、全然今まで読んでこなかった「いきもの」系の本に手を伸ばしてみて大当たり。一発目がクラゲだったから良かったのか、他の生物よりも、僕の興味を引くものがあったのか。ともあれ、本書に限らずクラゲ本の何冊かを見事に購入しくなってしまった。まだ買ってない。早く欲しい。

クラゲがどういう生物であるかということを、詳しく語れる人はあまり見かけない。

没個性に悩む人は自己啓発本よりもこれを読もう。この一冊を読破するだけで、相当のクラゲ知識が身につく。まあ、モテるためにだったり、面接とかには使えねえけど、そういうのが良いんじゃないか。

ところでクラゲって何だろう。

クラゲの多くはイソギンチャクやサンゴなどの仲間である刺胞動物門に分類される。姿形がえらく違うが、同じ仲間である。

また、水生生物の生活型の定義上、クラゲはプランクトン(浮遊生物)に該当する。プランクトンなんてクジラが餌にする目に見えないほどの粒みたいな想像をしていた。本書によるとプランクトンの定義は「遊泳能力がないか、あっても弱いため、水の流れに逆らえず、水中で浮遊生活を送る生物のこと」らしい。

ちなみに、水流に逆らえるマグロやイカ、クジラやジュゴンなどのことをネクトン(遊泳生物)と呼び、プランクトンとネクトンを合わせてペラゴス(漂泳生物)と呼ぶ。ついでに、ペラゴスとの対比で、海藻類、カニ、貝など水の底に生息しているものをベントス(底生生物)と呼ぶ。

もう海洋生物について考えることにしか使えない知識だけど、こういうの仕入れるの好き。特に誰に話すわけでもないけど。水族館行ったら絶対にクラゲ見まくろうっていう気にさせてくれるだけだけど。

そういえば、クラゲといえば不老不死だよね?と思える読者の方は、クラゲに対するアンテナの感度が良い。ベニクラゲの存在は有名だ。

ヒロロクラゲ類のベニクラゲ。
このクラゲだけは、人類が夢見てきた若返りを、いとも簡単に、常温でたったの2日で、しかも繰り返しおこなうことができる、不老不死の動物です。

クラゲの成長段階を本書の通りざっくりとまとめると、受精卵→プラヌラ幼生→ポリプ(イソギンチャクのような姿)→ストロビラ(ビラビラのついたイソギンチャク)→エフィラ(若いクラゲ)→成熟したクラゲとなる。ベニクラゲはいかにして不老不死を体現するか。

ベニクラゲは外敵に襲われて傷ついたり、水温や塩分濃度によって生存に支障をきたすストレスを受けると、泳げなくなって海底に沈みます。そして、全てのヒドロクラゲ類がたどるように、クラゲらしいゼラチン質の部分が退化し、職種は消え、体全体が肉団子のような塊になります。

普通のクラゲであれば、あとは海に溶けるのみだが、

しかしベニクラゲだけは、キチン質の膜を肉団子全体に覆うことができ、そのまま海底の堅いものに付着します。そして、身体の至る所から植物の根のようなものを伸ばし始めます。その根(ヒドロ根)がある程度伸びると、茎のようなもの(ヒドロ茎)を一本だけ上方に伸長させ、先端に華のような構造(ヒドロ花)を作ります。ここから、若返ったポリプが誕生します。

つまりベニクラゲは、老化するとポリプに戻ってストロビラ、エフィラ、クラゲ、ポリプ、ストロビラ……という具合に生きながらえるのだという。歳を取っては若返りを繰り返すというのは、それ不老ではないんじゃないのかというツッコミはやめよう。言葉のインパクトって大事だよね。

こんなのは序の口。クラゲの種類や毒、食生活や感覚器官、うんちについて、水産業における被害、標本の作り方に至るまで一通りを優しく解説してくれる。難しいと感じる所は読み飛ばしてもいい。世の中を賢く生きるためにはどうすればいいかと、ライフハック記事を読み漁ったり、ビジネス本を読むのもいいけれど、クラゲの不思議に目を向けてみるのもいい。可愛さと不思議さ、なによりも怖さが同居するクラゲの魅力にハマる一冊目として。

藤田覚『幕末の天皇』

 

幕末の天皇 (講談社学術文庫)

幕末の天皇 (講談社学術文庫)

 

王政復古までの道のりを光格天皇の出現からわかりやすく書いている一冊。

皆さんは「幕末」のイメージってどんな風に持っているだろう。僕は日本史に疎く、教科書レベルの知識すら無いような人間で、中学の歴史の授業の中でも、世界史の中国史に次いで二番目に退屈な部分であったという印象だ。

縄文・弥生の文化形成の過程はワクワクするし、飛鳥時代聖徳太子というヒーローがいた。仏教伝来という日本文化にとって重要な場面でもある。奈良・平安は正直私的歴史つまらんランキング第3位なのであまり知らない。面白い本あったら教えてください。日本史ではなんといっても鎌倉、南北朝、室町、安土・桃山の権力争いが見えやすい部分が面白いし、人気がある。テレビゲームで題材にされることも多く、ここの時代だけやけに詳しいゲームオタクが結構いたりする。

江戸時代に入ると社会は全体的に見て安定期を迎え、それまでの時代と比べると、コロコロと権力が移り変わることが無かった。つまり僕的に面白いと思うところが無かった。

正直、第二次世界大戦前までの間の日本の動きそのものに興味を持つことができなかった。僕はセンター試験を政治・経済で受けた。高校の日本史は南北朝時代以降は未履修だ。その頃には中学の頃の歴史の知識なんてもう無い。テレビも見ないので今やっている西郷どんも見ていない。つまり無知であった。激動の時代という印象が無かったせいで、今まで幕末には手付かずだった。こんなにも面白いものだったとは。

本書のテーマは「はじめに」でしっかりと書かれている。

孝明天皇は、欧米諸国の外圧に直面し国家の岐路に立ったとき、頑固なまでに通商条約に反対し、鎖国攘夷を主張しつづけた。それにより、尊王攘夷民族意識の膨大なエネルギーを九州市、政治的カリスマとなった。(中略)天皇・朝廷は、幕府からも反幕府勢力側からも依存されうる高度な政治的権威を、いついかにして身につけていったのであろうか。そこのところを考えてみようというのが、本書の主要なテーマである。

このテーマは、江戸時代の幕府と天皇を含む公家のパワーバランスを知っていないとピンとこないかもしれない。

江戸時代の天皇は猪熊事件という公家のスキャンダルを発端にどんどん低くなっていく。時の天皇後陽成院は退位に追い込まれ、徳川家康禁中並公家諸法度という天皇を含む公家と幕府との関係性を規定し、公家への介入に法的な根拠を得る。本書によれば、禁中並公家諸法度制定の狙いは、

天皇・朝廷が現実政治にコミットしない、というよりコミットできないように法を定めたのである。

というところにある。交渉のルートもシステム化され、将軍→老中→京都所司代→禁裏付→武家伝奏→関白→天皇となる。武家伝奏は朝廷の窓口にあたるが、幕府からも給料をもらっており、朝廷の仕事も幕府の仕事もこなす。ここに幕府に忠実な人間を置くことで、幕府側の意向をとおしやすくするなどして、朝廷をコントロールした。

この他にも様々な根回しの結果、天皇は形式上、武家よりも上ではあったが、書式上は天皇と将軍は同格だったし、「将軍宣下」という天皇から将軍であると認めてもらうための儀式のときも、将軍は決して上京などはしなかったという。天皇代理の勅使がおもむいて、天皇の代わりに任命するという手続きを取っていたというから、よほど公家という立場が、政治やときの権力者によって軽んじられていたのかが伺える。

そんな状態から、どうして公家は冒頭で語られているような、「幕府からも反幕府勢力側からも依存されうる高度な政治的権威」を得たか?きっかけは、18世紀末に起きた「天明の大飢饉」である。

天明の大飢饉のピークであった、天命七年五月二十日から二十四日にかけて、江戸では米屋(およびコメを蓄えていそうな所)をおもな対象に大規模な打ちこわしが続き、幕府による江戸の支配はマヒ状態となってしまった。江戸で大規模な打ちこわしがおこったのは、これが初めてである。

江戸以外でも大規模な農民蜂起が起こってはいたが、将軍のお膝元での大打ちこわしによって、それまでの将軍の「御威光」「武威」は失墜してしまった。これは当時の御庭番梶野平九郎も嘆いる。身内からも「こりゃ駄目だ」と思われるほどに落ちぶれてしまったところ、現れたのが光格天皇だ。

光格天皇は、この天明の大飢饉による御威光失墜に伴って、幕府に対して飢饉で飢えて苦しむ民衆をなんとか救済するようにと口出し、指図をするという前例の無いことをする。千五百石の救い米を出すという判断をしたにも関わらず及び腰だった幕府に対して、はよ出せはよ出せと使いをよこして迫っていた。こうして幕府は救い米を放出し、ここに「朝廷が幕府に指図した成果」をつくることができた。

その後の光格天皇がやってのけた天皇権威の強化策の見事さは読んでいて面白いから、僕の安っぽい文章で語るのはもったいない。ざっくりいうと、それまで廃止されたり略式化されていた朝廷の儀式や祭事を復古させ、日本の君主は天皇であるという意識を再び知識人並びに民衆に植え付けた。それを受け継いだ孝明天皇は、ハリスらの来航の折に、通商条約締結に対して真っ向から反対し、幕府に対して鎖国攘夷を主張し続けることができた。

幕末維新史でも、天皇は政治的に利用されてきたという説明で片付けられてしまいがちであった江戸時代の天皇像は、この本で変わる。幕末期の天皇は、ただただ利用され、時代のなすがままに王政復古が実現されたのではなく、朝廷の権力回復に執念深い努力を費やしていたという一面があったということを、本書では知ることができる。教科書では知ることができない、熱き男たちのドラマを見よ。

収益を前提にしないで導入したアマゾン・アソシエイトの収入でCD1枚を買う

ブログを書いて3年ほど経過して、ようやくCD1枚買える副収入を得ていることが判明し、それでCDを買いました。自分のブログ記事に本の表紙を写すのに、著作権的なリスクが少ない方法は無いものか?と探していたときに思いついたのが、Amazonのアソシエイトを導入することでした。当ブログは本を売る気で記事を書いていません。殆どが僕の読書感想です。

アフィブログ界隈では、読書ブログは最も収益の見込めないジャンルであるらしいです。それもそのはず、日本人の半分は読書を月に1冊もしません。だったら映画なり家電なり健康食品なり情報商材なりを売ることにしたほうがよっぽどお金になりそうです。もし読書ブログで収益をあげたいのであれば、現代人の悩みを解決してくれる、役立つ本を紹介する必要がありますが、となれば、売れっ子自己啓発&ビジネス本著者の本を何回も何回も宣伝することになりかねません。このブログの影響力なんぞ海の中に漂うもずく以下ですが、そんなことをして、世の中に自己啓発難民を少なからず作ってしまうのは忍びないわけです。

そんなわけでアマゾン・アソシエイトを使った収益なんてものはまったく想定していなかったのですが、そういえばいくら貯まっているのか?と確認してみると、3500円ほど貯まっていました。おお、ラッキー!それをアマゾンギフト券に交換しました。これで本でも買うかな、と思ったのですが、買えていなかったCDがあったので、それを購入。本を紹介して得た資金を、CDに変換してしまいました。日本史・世界史の図録をこれで買おうかと思っていたのですが、発売当初に買えずにウダウダしていたので。

買ったのはコチラ。

回=回

回=回

 

この記事を読んで、読書ブログなんて儲からないからやめよう、と思った人はそのままやめたほうが良いかなと思います。読書ブログというのは、自分の好きな本を、儲け度外視にして、好き勝手に語るから面白いのであります。儲けという視点を入れてしまうと、読みたい本の種類も変わってきて、自分の本心に嘘を付きながら、その本について、思ってもいない「素晴らしい点」を時間を使って纏めて、殆ど毎日それをする必要があります。さらに、それでもって「読書好き」というキャラクターを演じる必要がでてきてしまいます。それは僕にとっては辛いです。

僕はブログとは公開オナニーであるべきであると再三繰り返しています。我慢しながらするオナニーはもはやオナニーではありません。あ、うーん、そういうプレイとかもあるかもしれないけれど、ブログでは不向きです。どうせやるなら、アソシエイトやアフィリエイトでガッポガポ稼ぐぞー!というモチベーションからではなく、自分の性癖を曝け出すかのように、好きな本を紹介しまくって欲しいと思います。