点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

時間管理・タスク管理は無理ゲーである―オリバー・バークマン『限りある時間の使い方』

久々にビジネス書っぽいビジネス書を読んだんだけど、これはアタリだった。

こういう感じの本は、「身も蓋もない当たり前のこと」を正直に書いているもののほうが面白い。「人生が好転する思考術」とか、「悪用禁止の闇心理学」とか、「キャリアをブーストさせるコミュニケーションテクニック」とか、抽象的でよくわからない、具体性にかけるアドバイスばかり書いているいい加減な本よりも、「現実を見よ」という論旨の書籍に出会えたほうが、読み手にとって気づきを得られる可能性があると考えている。

本書の論旨は、「時間管理・タスク管理など、"効率の良い時間術"と喧伝される時間術は、やるだけほぼ無意味である」という内容だ。

これらの時間術は、そもそも前提からして無理がある。それは、「時間術さえこなしていれば、人生のあらゆる問題を解決できる」という前提だ。

効率の良い時間の使い方を、学習、あるいは体得することで、目の前の仕事は早く仕上がり、そればかりでなく仕事の質も向上させる。そして、余白の時間を使って自分の好きなことに時間を当てることができる。別の言葉で言い表すならば、これは「生産性の向上は正しいという前提」である。

果たしてその前提は妥当なのか?ということを、イントロダクションからフルスロットルで反論していく。

 生産性とは、罠なのだ。

 

 効率を上げれば上げるほど、ますます忙しくなる。タスクをすばやく片付ければ片付けるほど、ますます多くのタスクが積み上がる。

 人類の歴史上、いわゆる「ワークライフバランス」を実現した人なんか誰もいない。「うまくいく人が朝7時までにやっている6つのこと」を真似したって無駄だ。

 メールの洪水が収まり、やることリストの増殖が止まり、仕事でも家庭でもみんなの期待に応え、締め切りに追われたり怒られたりせず、完ぺきに効率化された自分が、ついに人生で本当にやるべきことをやりはじめる――。

 そろそろ認めよう。そんな日は、いつまで待っても、やってこない。

流行に対する「逆張り本」は眉唾で読むにこしたことは無い。極論が用意されている可能性が高い。だが本書の極論は面白いので、ブログで紹介したくなった。

なぜこのような論旨になるのか。著者は、人生の有限性を見つめよ、と説く。著者はハイデガーを引きながら、「人間の有限性こそが、人間というものを成立させる絶対的な条件(p.75)」であると主張する。人間という存在のなかに、既に時間の有限性が埋め込まれている。あまりにも自明であるために、我々はこのことを忘れてしまうのだ。

 時間をどう使おうか、と一瞬でも考える前に、僕たちはすでに時間のなかに投げ込まれている。この特定の時間、ほかでもない自分の人生の経緯。それが僕という人間を規定するのであり、そこから抜け出すことは決してできない。
 未来に目を向けると、そこでも同じように有限性が自分を縛り付けている。時間という大河の流れに、抗う術もなく運ばれていく自分。進んでいく先は、避けられない死だ。さらに厄介なことに、死はいつどの瞬間にやってくるかわからない。
 こんな状況のなかで、時間の使い方はすでに、徹底的に、制約されている。
 過去についていえば、自分がどこの誰なのかというのはすでに決まっていて、その限られた可能性の中で生きるしか無い。さらに未来についても、制約だらけだ。やることをひとつ選ぶだけで、ほかのあらゆる可能性を必然的に犠牲にしなくてはならない。(p.75)

ここで著者が言っているのは、1.有限の時間といものに人間は制約を受けていること、そして、2.決断は行動はその行動をすること以外の、あらゆる可能性を切り捨てるというトレードオフ関係にあるということである。

つまり、時間術や生産性アップライフハックというのは、所詮はその制約の範囲であれこれもがく行為でしかなく、喧伝されているほどのパワーを持っているわけではないことを認めよ、ということだ。

特に「重要なことはあれもこれも解決できる」と言われて時間術を実践中の人間の耳に痛いのは、あらゆる行動はトレードオフであるという部分だろう。「生産性をアップする時間術」と銘打った"ライフハック"を利用することで、「あれも、これも」とタスクリストやGoogle Calendarに記入してしまいがちだが、そのタスクを実行するということは、その他すべての行動を切り捨てることになる。

実際僕のカレンダーはそんな感じだ。最近趣味が増えてしまい、それの上達のための時間を確保しようとして、まっかっかである。まさに人生を"設計"しようとしているが、ちょっと冷静になれば、「無理じゃね?」となる。

今までの僕であれば、「やはり自分はスケジュール管理が下手の三日坊主……」と嘆き、バッドトリップ一直線だったのだが、本書を読んで考え方が少しだけ変わった。

「違う。そもそも考え方の前提が無理なのだし、その間違えた前提で立てたスケジュールなのだ。あれもこれも獲得しようとすることを、時間管理で解決させようという発想が、そもそも無理なのだ」と。

じゃあどうすれば良いのかという、本書なりの"処方箋"もしっかりと書いてある。巻末に10個ほど、本書のサマリーと共に具体的なテクニックが紹介されているのだが、その中から1つだけユニークだと思ったものを紹介する。

それが、失敗すべきことを決めるである。

ライフワークバランスを完ぺきにこなすことは不可能だ。仕事で稼ぎ、健康の維持し、人間関係を円滑にするなど、失敗すると大きめのしっぺ返しをくらってしまうような、なるべく失敗してはならないイベントがあることは確かだが、その他についてはどうだろう?

僕の場合、「趣味領域の上達」に関してとか、「日々掃除をする」こととか、やるべきことだと思っていても、失敗したとてそこまで人生に影響が出ない要素がある。それを先送りにしたり、タスクに置いていたとしても「失敗しても良いもの」として処理するのだ。

たとえば、今から2ヶ月は仕事を最低限にとどめて、子どもの世話に専念する。一時的にフィットネスの目標を中断して、選挙運動に専念する。その期間が終わったら、中断していた活動にエネルギーを振り向ければ良い。

「時間術を用いて、同時になんでもこなす」は幻想だ。忙しいシングルタスクや、愚昧なマルチタスクからは距離をおいて、一つずつ無理なくコツコツとやる。

それだけの、言ってしまえば当たり前のことを、果たして我々はどれだけ、日々意識しながら生きているだろうか。冷静に考えてみれば、「時間と戦っても勝ち目はない」ことに気がつく。愚直に、牛のように、ゆっくり歩みを進めるという方向性が、どうやら凡人たる僕の(あるいは僕のような悩みを持つ読者諸兄姉の)目指すべきものなのかもしれない。