点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

「朝のみそぎ」とヤル気術

『知的トレーニングの技術』のP.44には、「ヤル気術」という題材で、学習におけるモチベーションの維持には習慣化が寛容であるという内容が書かれている。

本書は独学、学習の方法論を、過去の知の巨匠に求め、参考にし、実用可能なものを読者が実践できるようにまとめられている。このヤル気術では、フランスの作家ポール・ヴァレリーの「朝のみそぎ」が取り上げられている。

知的トレーニングの技術〔完全独習版〕 (ちくま学芸文庫)

知的トレーニングの技術〔完全独習版〕 (ちくま学芸文庫)

 

彼の「朝のみそぎ」と呼ぶ知的習慣は、ヤル気術の典型例だろう。
 ヴァレリーは毎朝夜明け前に起床し、数時間孤独のうちに思索・瞑想し、想を練り、知性を自由の世界に遊ばせ、その時々の思いつきをノートに書きとめる努力を日課として、二三歳から死ぬまで続けた。『手帳』と呼ばれて刊行されているこのノートは、二五四冊、三万ページに及ぶ。 (P.44)

フランスの日の出は日本に比べると遅い。冬は8時台だ。だから5時とか6時とかに起きればよろしい。日本人が夜明けまでにいろいろ夢想する時間を作ろうとすると、夏などは朝の4時に起きなければならないのに対して、フランスではそれよりも約2時間遅い。ヴァレリーにあこがれて、自分でも「手帳(カイエ)」をしたためようとした日本人は、睡眠不足に陥り、思索の時間と寿命を等価交換する羽目になるかもしれない。

ヴァレリー全集カイエ篇〈1〉 (1980年)

ヴァレリー全集カイエ篇〈1〉 (1980年)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1980/06
  • メディア:
 

もちろん、ここで『知的トレーニングの技術』が取り上げたい大事なことは「習慣化」だ。

早起きして想像の世界へダイブすることは、方法論のひとつであって、これを即座に真似するべしということでは無い。ヤル気を持続させるための例は他にも、森鴎外らが取り上げられている。また、ヤル気は外的要因ではなく、内発的な力によって動くものであり、医学や心理学が動機づけの研究をしても、大抵うまく言っていないという辛口なコメントも見受けられるのが面白い。

ヤル気の最も理想的な状態は、「自発的な選択から自然と体が動いてしまう」という状態だと思われる。これは既存の心理学などの用語であえて言うと、ミハイ・チクセントミハイらが「フロー」と呼ぶような心理状態に近い。しかし、フローには前提条件となる様々な要素が8つほどあり、ヤル気の持続という視点に立つといささか煩雑だ。目指すべき状態が煩雑であると、なかなか続かないし、手段が目的化してしまうことがある。

つまり、ヤル気を出すための方法を探していたのに、そのヤル気を出す方法を達成するのに努力するという本末転倒はなはだしい事態に陥る。フロー状態に持っていくための努力が達成されていない自分がいけないと自己嫌悪などにも嵌る。すると精神を病んでしまう可能性すらある。だから、僕はヤル気の理想状態の条件を、「自発的な選択から自然と体が動いてしまう」の一点(もしくは「自発的な選択」と「自然と体が動く」の二点)だけに絞っている。

ヤル気を出すための方法論に、論文やら科学的データを根拠にする必要はさほど意味をなさないというのは、自己啓発難民であった僕も思うところだ。先述のとおり、『知的トレーニングの技術』でも教育学や医学などは動機づけを解明しきれていないことに触れている。悪質だろうが良質だろうが、最近のセルフヘルプの特徴は、「医学や認知科学を根拠に○○をしましょう」であるが、残念ながら人間の認知はそんなに単純なものではない。

ヤル気、つまりエネルギーになるのは、その人その人で違う。こう書くとひどく当たり前のことだが、それを無視して方法論だけに頼っても無駄なのだ。ヴァレリーには「朝のみそぎ」をするだけの、内発的な動機があったはずだ。自然と体が動くなにかがあったに違いない。そういったものが見つかっていない内から、無理やりヤル気をひり出そうとしても、糞詰まりを起こすだけだと、夜明け前に思う今日このごろである。