点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

藤田覚『幕末の天皇』

 

幕末の天皇 (講談社学術文庫)

幕末の天皇 (講談社学術文庫)

 

王政復古までの道のりを光格天皇の出現からわかりやすく書いている一冊。

皆さんは「幕末」のイメージってどんな風に持っているだろう。僕は日本史に疎く、教科書レベルの知識すら無いような人間で、中学の歴史の授業の中でも、世界史の中国史に次いで二番目に退屈な部分であったという印象だ。

縄文・弥生の文化形成の過程はワクワクするし、飛鳥時代聖徳太子というヒーローがいた。仏教伝来という日本文化にとって重要な場面でもある。奈良・平安は正直私的歴史つまらんランキング第3位なのであまり知らない。面白い本あったら教えてください。日本史ではなんといっても鎌倉、南北朝、室町、安土・桃山の権力争いが見えやすい部分が面白いし、人気がある。テレビゲームで題材にされることも多く、ここの時代だけやけに詳しいゲームオタクが結構いたりする。

江戸時代に入ると社会は全体的に見て安定期を迎え、それまでの時代と比べると、コロコロと権力が移り変わることが無かった。つまり僕的に面白いと思うところが無かった。

正直、第二次世界大戦前までの間の日本の動きそのものに興味を持つことができなかった。僕はセンター試験を政治・経済で受けた。高校の日本史は南北朝時代以降は未履修だ。その頃には中学の頃の歴史の知識なんてもう無い。テレビも見ないので今やっている西郷どんも見ていない。つまり無知であった。激動の時代という印象が無かったせいで、今まで幕末には手付かずだった。こんなにも面白いものだったとは。

本書のテーマは「はじめに」でしっかりと書かれている。

孝明天皇は、欧米諸国の外圧に直面し国家の岐路に立ったとき、頑固なまでに通商条約に反対し、鎖国攘夷を主張しつづけた。それにより、尊王攘夷民族意識の膨大なエネルギーを九州市、政治的カリスマとなった。(中略)天皇・朝廷は、幕府からも反幕府勢力側からも依存されうる高度な政治的権威を、いついかにして身につけていったのであろうか。そこのところを考えてみようというのが、本書の主要なテーマである。

このテーマは、江戸時代の幕府と天皇を含む公家のパワーバランスを知っていないとピンとこないかもしれない。

江戸時代の天皇は猪熊事件という公家のスキャンダルを発端にどんどん低くなっていく。時の天皇後陽成院は退位に追い込まれ、徳川家康禁中並公家諸法度という天皇を含む公家と幕府との関係性を規定し、公家への介入に法的な根拠を得る。本書によれば、禁中並公家諸法度制定の狙いは、

天皇・朝廷が現実政治にコミットしない、というよりコミットできないように法を定めたのである。

というところにある。交渉のルートもシステム化され、将軍→老中→京都所司代→禁裏付→武家伝奏→関白→天皇となる。武家伝奏は朝廷の窓口にあたるが、幕府からも給料をもらっており、朝廷の仕事も幕府の仕事もこなす。ここに幕府に忠実な人間を置くことで、幕府側の意向をとおしやすくするなどして、朝廷をコントロールした。

この他にも様々な根回しの結果、天皇は形式上、武家よりも上ではあったが、書式上は天皇と将軍は同格だったし、「将軍宣下」という天皇から将軍であると認めてもらうための儀式のときも、将軍は決して上京などはしなかったという。天皇代理の勅使がおもむいて、天皇の代わりに任命するという手続きを取っていたというから、よほど公家という立場が、政治やときの権力者によって軽んじられていたのかが伺える。

そんな状態から、どうして公家は冒頭で語られているような、「幕府からも反幕府勢力側からも依存されうる高度な政治的権威」を得たか?きっかけは、18世紀末に起きた「天明の大飢饉」である。

天明の大飢饉のピークであった、天命七年五月二十日から二十四日にかけて、江戸では米屋(およびコメを蓄えていそうな所)をおもな対象に大規模な打ちこわしが続き、幕府による江戸の支配はマヒ状態となってしまった。江戸で大規模な打ちこわしがおこったのは、これが初めてである。

江戸以外でも大規模な農民蜂起が起こってはいたが、将軍のお膝元での大打ちこわしによって、それまでの将軍の「御威光」「武威」は失墜してしまった。これは当時の御庭番梶野平九郎も嘆いる。身内からも「こりゃ駄目だ」と思われるほどに落ちぶれてしまったところ、現れたのが光格天皇だ。

光格天皇は、この天明の大飢饉による御威光失墜に伴って、幕府に対して飢饉で飢えて苦しむ民衆をなんとか救済するようにと口出し、指図をするという前例の無いことをする。千五百石の救い米を出すという判断をしたにも関わらず及び腰だった幕府に対して、はよ出せはよ出せと使いをよこして迫っていた。こうして幕府は救い米を放出し、ここに「朝廷が幕府に指図した成果」をつくることができた。

その後の光格天皇がやってのけた天皇権威の強化策の見事さは読んでいて面白いから、僕の安っぽい文章で語るのはもったいない。ざっくりいうと、それまで廃止されたり略式化されていた朝廷の儀式や祭事を復古させ、日本の君主は天皇であるという意識を再び知識人並びに民衆に植え付けた。それを受け継いだ孝明天皇は、ハリスらの来航の折に、通商条約締結に対して真っ向から反対し、幕府に対して鎖国攘夷を主張し続けることができた。

幕末維新史でも、天皇は政治的に利用されてきたという説明で片付けられてしまいがちであった江戸時代の天皇像は、この本で変わる。幕末期の天皇は、ただただ利用され、時代のなすがままに王政復古が実現されたのではなく、朝廷の権力回復に執念深い努力を費やしていたという一面があったということを、本書では知ることができる。教科書では知ることができない、熱き男たちのドラマを見よ。

収益を前提にしないで導入したアマゾン・アソシエイトの収入でCD1枚を買う

ブログを書いて3年ほど経過して、ようやくCD1枚買える副収入を得ていることが判明し、それでCDを買いました。自分のブログ記事に本の表紙を写すのに、著作権的なリスクが少ない方法は無いものか?と探していたときに思いついたのが、Amazonのアソシエイトを導入することでした。当ブログは本を売る気で記事を書いていません。殆どが僕の読書感想です。

アフィブログ界隈では、読書ブログは最も収益の見込めないジャンルであるらしいです。それもそのはず、日本人の半分は読書を月に1冊もしません。だったら映画なり家電なり健康食品なり情報商材なりを売ることにしたほうがよっぽどお金になりそうです。もし読書ブログで収益をあげたいのであれば、現代人の悩みを解決してくれる、役立つ本を紹介する必要がありますが、となれば、売れっ子自己啓発&ビジネス本著者の本を何回も何回も宣伝することになりかねません。このブログの影響力なんぞ海の中に漂うもずく以下ですが、そんなことをして、世の中に自己啓発難民を少なからず作ってしまうのは忍びないわけです。

そんなわけでアマゾン・アソシエイトを使った収益なんてものはまったく想定していなかったのですが、そういえばいくら貯まっているのか?と確認してみると、3500円ほど貯まっていました。おお、ラッキー!それをアマゾンギフト券に交換しました。これで本でも買うかな、と思ったのですが、買えていなかったCDがあったので、それを購入。本を紹介して得た資金を、CDに変換してしまいました。日本史・世界史の図録をこれで買おうかと思っていたのですが、発売当初に買えずにウダウダしていたので。

買ったのはコチラ。

回=回

回=回

 

この記事を読んで、読書ブログなんて儲からないからやめよう、と思った人はそのままやめたほうが良いかなと思います。読書ブログというのは、自分の好きな本を、儲け度外視にして、好き勝手に語るから面白いのであります。儲けという視点を入れてしまうと、読みたい本の種類も変わってきて、自分の本心に嘘を付きながら、その本について、思ってもいない「素晴らしい点」を時間を使って纏めて、殆ど毎日それをする必要があります。さらに、それでもって「読書好き」というキャラクターを演じる必要がでてきてしまいます。それは僕にとっては辛いです。

僕はブログとは公開オナニーであるべきであると再三繰り返しています。我慢しながらするオナニーはもはやオナニーではありません。あ、うーん、そういうプレイとかもあるかもしれないけれど、ブログでは不向きです。どうせやるなら、アソシエイトやアフィリエイトでガッポガポ稼ぐぞー!というモチベーションからではなく、自分の性癖を曝け出すかのように、好きな本を紹介しまくって欲しいと思います。

数学コンプレックス増強

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教養のために数学を勉強してみようとして数ヶ月経つけれど、いまいち数学コンプレックスが抜けない。数学に対する興味関心は増えども、肝心な数式の理解については、いまだ中学数学の域を出ない。写真にある、『フェルマーの最終定理』『物語 数学の歴史』『数学序説』などは読み物として面白かったが、理解の質が雑学のソレと変わらない。いや、それだけで昔の僕からすると重大な進歩であるが、いつまでもこんな理解度で同じところをぐるぐる回っていても面白くない。

数学の学習は試験のためにやっているわけではないので、別段焦る必要もないが、締切のない分、本腰を入れるのが難しい。どうしても日々の生活のことや、仕事、他の趣味が優先され、しっかりと数学に向き合うことができていない。理数系の本が増えるたびに、僕の数学コンプレックスも比例して日増しに強くなる。

とある偉い人は、「劣等感はうまく使えば成長の糧とすることができる」というような事を言うが、別の人は「劣等感なんてつまらんものは捨てろ」と言う。ストレスフリーでポジティブ・シンキングな今流行っているビジネス本には、後者の意見が多い。僕はしばらくビジネス本に迎合していたが、何をするのにもストレスを感じると、途端にやらない性格になってしまった。なので、今度は前者を支持するようにした。

劣等感に限らず、行動しない人間の特徴としては、「感情に振り回される」ことであると考えている。より楽しい、よりストレスの掛からない方法論は無いものかと右往左往する。方法論をさがすモチベーションは一丁前にあるのに、肝心な学習や技能習得に至らないのはなぜか。嬉しいだの、楽しいだの、気持ちがいいだの、清々しいだの、感情を拠り所にするのではなく、それらをきっかけや道具にしてしまう。すると、劣等感だの、焦燥感だの、憂鬱感だのといった、一見ネガティブな感情も、役に立ってくる場合もある。あるだろう。あれば良いな。

数学コンプレックスを刺激するために、教養書は息抜き程度に覚えつつ、中学や高校の数学の参考書とかをなぞっていくという、地味な作業をやっていくしか無いかな~とか思ってます。数学得意な方、アドバイス等ありましたら是非に。