点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

『代替医療解剖』──「プラセボでも効けばよかろう」は正しいか

 

代替医療解剖 (新潮文庫)

代替医療解剖 (新潮文庫)

 

僕がプラセボ効果を初めて知ったのは、小学校のときだ。

6年生のころ、移動教室といって、日光東照宮とか戦場ヶ原などを2泊3日で散策するというイベントがあった。東照宮のある栃木県日光市まではもちろんバスを使っての移動となる。当時、乗り物酔いがひどく、遠足でバスや電車を使うときは、酔い止め薬を常備していた。

出発する前、先生には持ち物の中身を見せなければならなかった。ニンテンドーDSが流行っていて、トランプやUNOなど、認められたおもちゃ以外が入っていないかを確かめるためである。そのとき、カバンの中の酔い止めを見られた。昔らか使っていて、コレさえあれば問題ないと信じていた酔い止め薬だ。それを見た先生が、

先生「おお、酔い止めなんて飲んでるのか。」
Achelou「そうなんです。これ飲めば酔わないんです」
先生「いいけどなあ、そういうのはプラセボ効果って言って、飲むと酔わなくなるとお前が信じているから酔わなくなるんだよ。気休め程度にしかならないんだ」
Achelou「え、そうなの……」

その先生の一言で、僕の中の酔い止めの認識が変わってしまったらしい。酔い止めを飲めども気分が悪い。疲れもあってか、帰りのバスではゲーゲー吐いてしまって、しばらくは友人からのイジりに耐えなければならなかった。

薬学博士の村田正弘氏を会長とするNPO法人 セルフメディケーション推進協議会が運営するサイトには、酔い止め防止薬の主成分は抗ヒスタミン薬に分類されるものだと書かれている。抗ヒスタミン薬は一般的に、花粉症などのアレルギーを沈静化させる効果で知られているものだ。乗り物酔いは内耳の感受性によって発生するらしく、その感受性を鈍くして、関係している嘔吐中枢への刺激を抑えるために、抗ヒスタミン薬が用いられる。

6. 一般用医薬品の選び方、使い方(2) 乗物酔い防止薬 | 薬についての知識 | セルフメディケーション・ネット - NPO法人セルフメディケーション推進協議会(SMAC)

参照したこのページにも記載のあるとおり、乗り物酔いが発生する原因として、心理的影響の割合は大きいらしい。僕が先程の先生の一言でゲーゲー吐いてしまったのは、僕の乗り物酔いについては心理的な要因に拠るものである可能性が大きいようだった。

先生、僕はプラセボだろうがなんだろうが、黙っていて欲しかった。実に身勝手だが先生を軽く恨んだ。僕はもう一生酔い止めが効きそうにない。

この頃から僕は、プラセボ効果については肯定的になった。有効成分が入っているにもかかわらず、あの先生の一言で酔い止めが効かなくなったからである。プラセボでも効けばよかろう、地獄を見ずに済むのだ、と本書を読むまでは思っていた。

代替医療解剖』の内容は、ざっくりとまとめてしまうと、代替医療と呼ばれる行為は、プラセボ効果以上のものが期待できるのか?ということを考察したものだ。主に「鍼治療」「ホメオパシー」「カイロプラクティック」「ハーブ療法」について本当に効果があるのかということを検証した研究論文を根拠に話が進んでいく。

本書の基本姿勢は、《科学的根拠に基づく医療》(エビデンスベースト‐メディシン)である。頭文字を取ってEBMとか言われている。本書によれば、カナダのデーヴィット・サケット教授によって1992年に提唱されたと書かれている。ではその定義とは何か。

サケットはこれを次のように定義した。「科学的根拠に基づく医療とは、一人ひとりの患者の治療方針を決めるにあたり、現時点におけるもっとも優れた科学的根拠を、最新の注意を払いつつ、明示的に、分別を持って利用することである」

医者の主観や根拠の薄い民間療法的なものを、治療方針には入れないという考えだ。この考え方がしっかり広まるのが、このサケット教授出現まで待たなければならなかったというのが恐ろしい。科学的根拠を作るために用いられる検証方法は、主に「ランダム化臨床試験」と呼ばれるものだ。国立がん研究センターが運営するサイトには、

研究の対象者をランダムに2つのグループに分け(ランダム化)、一方には評価しようとしている治療や予防のための介入を行い(介入群)、もう片方には介入群と異なる治療(従来から行われている治療など)を行います(対照群)。一定期間後に病気の罹患率・死亡率、生存率などを比較し、介入の効果を検証します。

ランダム化比較試験/無作為化比較試験 (らんだむかひかくしけん/むさくいかひかくしけん):[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ]

とあるから、要するに「数量的・統計的な観点から確からしい治療法か否か」を判断できる方法である。

ちなみに、著者たちは「代替医療」と聞いてアレルギーを示す者たちではない。《科学的根拠に基づく医療》の基準に基づき、有効であると判断されれば、それまで代替医療として使われてきた方法論も、十分に患者の治療方針に加えることができるため、フラットな視点から検証しようという姿勢だ。批判だけで終わる医療本にはない好感を持てた。

ネタバレしてしまうと、本書で取り上げられた代替医療の多くは、「プラセボ効果以上のものが期待できない」か「部分的に効果がある」のどちらかであった。

まとめてみると、

  • 鍼はいくつかの痛みや吐き気について肯定的な論文が複数あるが、効果に一貫性が無いためどちらとも言えない。
  • ホメオパシーは、プラセボ効果以上を期待できないとする論文が大半である。
  • カイロプラクティックは腰痛には一定の効果が見られるが、首周りなどの施術により頸動脈の内壁が損傷され脳梗塞に至る危険がある。
  • ハーブ療法はハーブの直接的な毒性、他の薬との相互作用によって引き起こされる間接的反応、汚染および混ぜ物の危険性という3点から、安全であるとされたハーブ以外を用いることは危険がある。安全なものをしっかりと使えば有効なものもある。

 このような感じ。

個人的に読んでいて面白かったのが「ホメオパシー」。「ほとんど水(やアルコールなどのもともとの溶剤)と変わらないほどに薄めた毒をもって毒を制す」という変わった代替医療だけれど、インドやヨーロッパで今でも健在。日本でも支持層がいる。もしそれが本当なら、僕の渋り腹は一度下水になってうんこの成分が殆ど無くなったであろう水道水を飲んでいれば立処に治るはずなのに。莫大な金が動いているとなるとまともに働いているのがアホらしくなる。「健康に生きたい」という願望は悲しいくらいに考える力を失わせることがよく分かる章だ。

ところで、プラセボでも効けばよかろうと思っていた僕だったが、落とし穴もある。本書でも書かれていることだが、その他の手段への道を閉ざしてしまう、もしくは本当に有効な手段を、迅速に選べなくなってしまう可能性がある。

代替医療の特徴として、「さも万能であるという印象を喧伝する」というものがある。鍼治療やツボ押しなど、ここに鍼をさせば、ここのツボを押せば、対応した体の部位の問題が解決するという具合だ。一つの技術で身体すべてを見ることができると説く。残りのホメオパシーカイロプラクティック、ハーブ療法にも言える。副作用への言及や、リスクなどについてはさほど触れることがない。

代替医療は、費用面でも同等か、保険が適応できない治療法で、通常医療よりも高くつく場合がある。お得とは言えない。同じ効果が期待でき、費用も安く、効き目の効果がある治療と、費用は同等か、それ以上であるにもかかわらず、医療に携わる者たちのお墨付きをもらえていない治療法のどちらを選択するかということになる。

「効けばよかろう」という思考停止や、「俺はこちらを選択する」という自己選択によって発揮される不思議な人体パワーを期待するよりも、誠実な医者による《科学的根拠に基づく医療》を受けたいと思うのは変だろうか。

代替医療を支持する人々から見ると、長いものに巻かれた哀れな人間め……という文句の一つや二つ言いたくなるかもしれない。確かに通常医療は各代替医療を凌ぐ市場が存在する。その土壌を荒してほしくないがためのプロパガンダではないか?それもあるだろう。だが自分の命や健康に関わることだ。統計的に確からしく、メリット・デメリットのしっかりとした説明がある治療法の方が誠実だと思ってしまう脳になった。

正直、本書を読んだことによって、代替医療に対するポジティブな認識は消し飛んでしまった。もうエキゾチック!ニューエイジ!他とは違う方法かっこいい!とはなれない。本当に根拠のないものへの希望をぶち壊してくれたお陰で、プラセボ効果そのものは認めるが、手放しに肯定することへの諦めもついた。

そもそも、病気にならず、西洋・東洋・その他代替医療の世話にならないようにすることが一番なので、まずはそこから……なんだけど、今度はその健康を維持するための手段に、代替医療が紛れ込んでいたりするもので、根が深すぎて引っこ抜こうにも難しい。生きているということは、常に死と隣り合わせと腹をくくる他無いのだと、プチ絶望した次第だ。

ちなみに、『代替医療解剖』は『代替医療のトリック』の文庫版なので、こちらを持っている場合は購入する必要はない。

代替医療のトリック

代替医療のトリック

 

 

『千夜千冊エディション 本から本へ』──レビューからにじむレビュアーの思想を味わう

1冊の本について語る、ブックレビューを作るというのは難しいというイメージがあるが、それは誤解だ。

ある程度の型を決めれば、それほど難しいことではない。どういう本か?どういう場面が面白かったのか?なぜその部分が面白いと思ったのか?著者は何者か?という一連の情報を理路整然と組み立てることができれば、とりあえず「読める書評」は完成する。書評の作り方とか、書き方とかは、一般的な文章作成の手引き書(『理科系の作文技術』とか)書評サイトHONZ代表で、今ではビジネス本作家として売れっ子の成毛眞氏の書評の型を参考にすれば良し。

Achelouはずいぶん大それた事を言うなと思うかもしれないが、そんなことはない。「それほど難しいことではない」というのは想像よりもハードルは低いという意味だ。簡単に質の高いブックレビューが一瞬で書けるようになる、という無責任なことは書いていない。現に僕は、型にはめるだけで毎回ヒイヒイ言いながら文章をこさえている。まったく説得力のあったものではないが、一応、それでも、日常の出来事を面白くエッセーにまとめるよりは、簡単かと思う。本を媒介にして自分の考えを主張できたりもするので、ブックレビューは文章を書き慣れていない人からすると、実に良い練習になるんじゃないか。とってもブログ向きのコンテンツだと思う。

ところで、「面白いブックレビューを書く」というのであれば、これは簡単なことではない。先程までの話とは別だ。全くの別。面白いブックレビューを書ける型とか方法とか、そういうのは存在しない。あったら教えてくれ。僕もそういうの書きたい書けるようになりたい。

文章の面白さは、書き手の鍛錬度合いやセンスに依ってしまう。型を守ることに終わらず、書き手固有の魅力がにじみ出ている文章は、書評だろうが、そうでなかろうが面白い。ブックレビューは本の紹介に務めるべきだとする声もあるけれど、本の紹介だけだとなんだか味気ない気もする。

だから、僕にとって『千夜千冊』の松岡正剛氏によるブックレビューは面白い。

「本について語る」という行為自体をどのように捉えているかで、松岡氏の文章は好き嫌いが分かれる。松岡氏のブックレビューは本の概要紹介にとどまらない。まさしくその本についての松岡氏の所感を綴ったものであるから、取り上げた本と関連する別の本の話や著者の話、著者が影響を受けた思想から松岡氏の体験記まで、様々な情報が渦を巻いて眼前に現れる。本文中で使われている言葉の偏差値が高くて、一見混沌としているように見える場合もあるが、そこから松岡氏の考えやら思想やらが垣間見えたり、読み取るのが面白い。

千夜千冊は、セイゴオおすすめの本を紹介してもらうために読むのではない。読書と編集工学で形作られた松岡正剛というフレームを通すと、この本はこのように理解できるという捉え方を楽しむために読むものだ。少なくとも、僕はそんなふうに楽しんでいる。偏見を捉えてそれを味わう。ブックレビューであっても普通の書物を読むときと同じような楽しみ方ができるのは本当に凄い。

この本はブログ『千夜千冊』のダイジェスト版なので、本の内容に関しては全部ネットで確認することができる。テーマごとによりすぐりの記事を取り上げたこちらの本の方が、効率よく松岡正剛に触れることができるけど、失敗したくないという人は、こちらから千夜千冊へアクセスしてどうぞ。

松岡正剛の千夜千冊

『カウボーイ・ビバップ』──モブも含めて全員格好良い

COWBOY BEBOP Blu-ray BOX (通常版)

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『カウボーイ・ビバップ』を見始めたのは確か大学生の頃だった。

サブカル知識をたくさん身につけ、オタク界隈でマウントを取れるような人になろうと思っていたからである。しかし、当時は『カウボーイ・ビバップ』の印象は、「なんでこんなに評価が高いのか」というものだった。ただ、あるきっかけがあってそれも一変した。今では「登場するモブまで全部格好良い!最高!!」という感じ。

『カウボーイ・ビバップ』はサンライズが制作したSFアニメ作品。

舞台は2071年、火星を中心とした太陽系。

主人公はモジャ頭の長身痩せ型の男スパイクとゴリマッチョなヒゲ面で義手のジェット。彼らはボロ宇宙船「ビバップ号」を拠点としている賞金稼ぎ(カウボーイ)だ。金に余裕はない。賞金首を狙う過程で発生した損害賠償や慰謝料などでパーになってしまうこともしばしばである。後になって現れる訳ありヒロインのフェイ、幼いにもかかわらず凄腕ハッカーであるエド、そしてデータ犬というやけに頭が良い犬のアイン(この犬がかわいい)が、緩い絆で結ばれつつ、賞金首を追う生活を26話で描く。

冒頭でも書いたとおり、「なんでこんなに評価が高いのか」という第1印象だった。何故かと言うと、第1話が暗い。落ちもヤマもいまいち。声優の演技がとても自然な感じで、そこは好きだと思ったけれど、正直こういう話が続くのはキツいかも……と思った。なので、そこまでモチベーションもあがらず、ギリギリ忘れない程度に、2ヶ月間くらいの期間で全話を観るという感じになってしまった。つまらない必修科目を淡々とこなす感覚であったのがいけなかったのかもしれない。

じゃあなんでこの記事書いているのか。

友人のアリクイくんが「ビバップのオールナイト上映のチケット取れた!」とはしゃいでいたのを聞いて、そういえばビバップってあったな~という感じにしか思っていなかったんだけど、急遽出張に行かねばならないということで、泣く泣くそのチケットを譲ってくれた。今では少し申し訳ないけれど、本当に感謝したい。

僕が行ったのは『カウボーイ・ビバップ』の前半13話を夜9時から翌日朝5時前までに見切るという内容のものだった。「オールナイト○本立て!」系の上映イベントは、以前挑戦したことがあった。その時は、クリストファー・ノーラン作品3本で、『インセプション』の途中で寝た。

今回も寝ないようにしなきゃと思っていたけれど、それは杞憂に終わった。面白すぎて寝ている場合か!あっという間に13話に到達し、興奮さめないうちに帰宅してしまって、あまり眠れなかった。睡眠を取ってから、残りの全話を観た。そのまま計3週目に突入して観た。ビバップの世界観に、いまさらながらかなり魅力を感じるようになった。

この作品、いいな……と思ったのは、ビバップ号の船員それぞれの「訳あり」エピソードと、しっかりとその設定に基づく行動を取っているので、まったくのSFにもかかわらず、感情移入が容易だ。ただその感情移入は、観ている最中に起きるのではない。観た後になって、ふと「ああ、だからああいう事を言った」「そうか、だからあんなことをした」と想像するのが楽しい。そういう味わい深い作品だ。遅効性の毒のようにじわじわ効いてきて、観ていないときなどに思い出し、こみ上げてくるものがある。

モブキャラやサブキャラなどにも同じように「あれってそういうことかも」と考えるようになる。敵味方、メインキャラサブキャラ関係なく、ほとんどすべてに魅力を感じるようになる。気がついたらもうやられている。恐ろしい作品だ。

たまに狙いすぎたキザっぽいセリフが飛んでくるので、それがちょっと恥ずかしく感じてしまう人がいるかもしれない。でも20〜30代なら、そんなことを思う暇もなく、この世界観にどハマりできるはず。

こういう楽しみ方、魅力の種類って何かに似てるなと思いをめぐらしてみると、小説を読んでいるときに感じる感動のソレかと思われた。最初の印象はいまいちでも、ある気付きを得て、しかもその気付きが原因で、また読み返したくなる。『カウボーイ・ビバップ』が長年に渡って愛されてきた理由がここにある気がする。でなければ、わざわざオールナイトイベントが満席にはならない。

先日亡くなった石塚運昇さんの演技に溺れることができる作品でもある。

まだ観てないというなら、とりあえず1話でうーんと思っても、最初の5話まで観てほしい。なんなら、そのまま最後まで観てほしいし、繰り返し観てほしい。

カウボーイビバップ サントラ1

カウボーイビバップ サントラ1

 

内容が好きになれないなあと思っている人でも、サントラはアニメ・サントラの中でも名盤と名高いので、音楽から入ってくださるのもいいですね!