点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

『絵はすぐに上手くならない』──上達の道は険しいという当たり前を説く

 

絵はすぐに上手くならない

絵はすぐに上手くならない

 

技術習得の際、効率の良い方法は無いものか?と方法論を知ることに躍起になる人がいる。

効率の良い練習方法を知ることは何も悪いことではない。むしろ、誤った努力をすることによって、せっかくの才能が無駄になってしまうパターンも考えられる。

しかし、知識偏重タイプの我々まよえる子羊は、方法論を知ることにとらわれがちである。この方法はどうだ?大変そう……あの方法はどうだ?これも自分に合わない……と、何か練習法に自分にとっての正解があるのだ!と右往左往する。すぐに上手くなる方法が、どこかに転がっていないものかと血眼になるのだ。

TwitterFacebookなどのSNSや、イラスト投稿サイトとして大成功しているPixivなどの登場と普及によって、個人の作品を世に知らしめるインフラが整った。僕がフォローしている人の中にも、絵を描くことが好きで、自分が描いたイラストをTwitterにアップロードしている人が何人かいる。

しかし、そのような今はまだ名も無き絵描きたちは、現実と理想とのギャップに苦しみもがき、「どうなったら絵が上手くなるのかわから~~ん!」という魂の叫びを日々不特定多数のフォロアーに向けて発信している。気持ちはわかる。

小学校の頃入っていた漫画クラブ、中学高校の美術の時間などの数少ない美術体験のさなかで、美術的センスの無さに愕然とした僕などは、「確かに絵がうまくなったらどんなに良いだろう。楽に、自分の思い通りに絵が描けるというのは、どんなに心地よいだろう」と妄想してしまう。その境地に到達したら、どんなに心地よいだろう。早く絵が上手くなりたい!そうすればこの地獄から開放されるのだ。

しかし、本当はそんなこと無い。

「上手にできる=苦労が少ない」というのは、卓越した名人芸を傍観する凡人が、思い描きがちなことである。

例えば野球などの好プレーを見るときなどはどうか。いとも簡単にやってのけているように見えているが、果たしてそうだろうか。彼らはピッチャーからボールが放たれる瞬間、バッターがボールを打つ瞬間、打たれたときのボールの行方などに猛烈な集中力を発揮して、自分のチームが優位に立つよう、瞬時に行動をしなければならない。テレビ画面で見ると楽そうに見えるが、実際はそんなこと無いはずだ。

ハイパフォーマンスをいつも引き出せるわけではない。楽にできないからこそ、日々練習するのだし、コンディションを整え、1試合1試合真剣に取り組むのである。

『絵はすぐに上手くならない』という著作は、こうした当たり前のことを、「絵を描く」という行為においても当てはまるのだ、と書いてくれている。

上手な人でも必至に形をとり、遠くから何度も眺めて形を直し、一心不乱に描き込み、ようやく絵が完成するのです。むしろ画家の大先生や有名なアーチストのほうが、命を削らんばかりに凄い形相で画面に向かっていることでしょう。ですから、誰しもが「最初から楽に描ける」わけはなく、「うまくなったら楽に描ける」こともないと思ってください。 

漠然と絵がうまくなりたい、と思っている人は、絵が上手くなるための練習期間や製作期間の苦しみに目を向けようとしない。

当たり前だけど、絵が上手い人というのは、少なくとも人並み以上に絵を描いているし、サヴァン症候群などの病気でなければ、「目で見たものをとっさに絵に描く」という芸当は、できるはずがないのだ。心のなかで「自分は天才だ!」と思うのはモチベーション維持の観点からすると大変宜しいが、そうは言ってもいきなり技術レベルが大天才になる方法は存在しない。

本書はこうした精神論的な主張や、迷える絵描きが一度は思う「あるある」に対して、著者なりの意見をしっかりと主張してくれている。

「絵が上手くなるのにデッサンは必要か?」
「絵が描けないのは身体のどこに問題があるのか?」
「どういったトレーニング方法が自分には合っているのか?」

ということなどにも、「こうしてみましょう」と優しく教えてくれる。

漠然と絵がうまくなりたいと思っている人、絵をはじめようにもなかなか気力が沸かない人などは、本書を読むことによって「絵を描くとはどういうことなのか」という奥深いテーマの一端を知ることができる。