点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

『マヤさんの夜更かし』──真夜中の通話は楽しい

 

本作は、怠惰な生活を送る魔女のマヤさん(表紙のキャラクター)と、漫画家志望の女性、豆山(まめやま)によって繰り広げられる、壮絶ゆるゆる深夜音声通話エンターテイメントである。

中野ブロードウェイの中の書店で購入した。試し読み用に吊るされたペーパーブックを読んでみると、なかなかにツボだったのでそのまま衝動買いをしてしまった。

インターネット上だけの友達と交流してきた経験がある僕みたいな人間は、深夜通話特有の、あの雰囲気を追体験できる。このニッチな部分にフォーカスを当てつつ、魔女のマヤさんというファンタジーな存在を備えたキャラクターがいることで、単なるスカイプ会話劇にならず、流れに動きを付けているのがいいなと思った。マヤさんのダメッぷり(ソシャゲ課金廃人、家事できない、おしゃれもイマイチ、魔法を使うと腹痛くなる等)も愛嬌がある。現代社会の悩める女性フリーター代表のような感じで描かれている。魔女なのに。

基本的には夜中の通話模様を描いており、基本的にそれ以外の描写は少ない。ほとんど2人の会話だけだが、かなりテンポが良いのですらすら読める。これだけ色々共有できて話せる相手がいたらな~とか、読んだら思う人も出てくるんだろう。

真夜中の通話の何が魅力的かといえば、もう本当にどうしようもない、どうでもいい話が、最高に面白く思えるところだ。僕も何回かネット、リアル問わず深夜に通話をしたことがあるけれど、中身なんて無くてもいいので、とりあえず頭に思いついた話題をふってみたり、相手が言ったことに対して受け答えをしているだけなんだけど、マジで楽しい。

もちろん親しい人間との会話であることは大前提なんだけどね。

この作品の中の2人を見ていると、ネット上だけの知り合いと音声通話をしているときのことを思い出す。豆山は、マヤさんと実際に会ったことはある。少しの間同じ病室で時間を共有した。だがマヤさんが本当に魔女であることだとか、マヤさんの素性についてはさほど知らない。けれど、いつも通話をしているので、人間性だとか、性格だとか、近況という一部の情報だけ知りすぎている。

こういう人間関係って、ネットに生まれがちじゃないかって思う。

互いのことをさほど知らずとも、仲良く喋ったりすることができる、不思議な間柄の、不思議な時間共有体験は、ネットならではだ。「こんなにウマが合うのに、会ったことすら無い」とか「もっと近くに住んでりゃ、実際にあって遊ぶのに」と思うような人物って、ネットで友達を作ったことがない人からすると不思議、というよりも気味悪いと思うんだけど、あるんですよそういうの。

マヤさんみたいに、人付き合いが少し苦手な人にネットをもたせるとこうなるよなという縮図として捉えるのも面白いかもしれないけれど、そうしたマジメぶった考察を受け付けない圧倒的ユル可愛さ。そうそう、こういうどうでもいい話ができる相手がいるって、それだけで人生結構楽しいよなぁ。漠然とそんなことを思える作品だ。

 

単行本

マヤさんの夜ふかし 1 (ゼノンコミックス)

マヤさんの夜ふかし 1 (ゼノンコミックス)

 
マヤさんの夜ふかし 2 (ゼノンコミックス)

マヤさんの夜ふかし 2 (ゼノンコミックス)

 

 

『哲学用語図鑑』──哲学に興味を持てるかの基準はこの本で

 

哲学用語図鑑

哲学用語図鑑

 

「教養持つべし!」の風潮を感じると、哲学の道を志す人が現れる。僕だ。

なんか良いじゃん哲学。特に西洋哲学。なんか、昔の誰それはこういう事を言ってたしね~とか嫌味なく言うとさ、頭良く見えるじゃん。

あとは、哲学知識を前提とした本が結構ある。哲学知識が豊富な本は読んでいると躓く。読んでいて、いきなり「ヒュームが言ったように」とか言われてもピンと来ない。せっかくその著者の視点を獲得しようと思っても、前提知識に欠損があり、うまく腑に落ちないということは、読書をすればするほど出てくる。

哲学は金儲けにすぐに役に立つ情報ではない。さらにあなたを幸せにする方法論を説いているわけでもない。現世利益を与えてくれるか、定かではない。だから結構ないがしろにされるきらいがある。

哲学書は、私はこのようにして、この事象、この問に対して考えました!ということが書かれてある。歴史と同じで、なるほど昔の人は世界をそういうふうに見ていたのか!とか、ほうほうそういう世の中の味方もあるよな!といった楽しみ方が、学び始めの人たちには適している。すぐに使ってやろうだなんて思わないほうが良い。

そんな暇人向けの学問の入り口に、本書『哲学用語図鑑』は最適だと考える。まずこの平易な解説で、「面白い」と感じないようなら、今すぐに哲学を学ぶということは避けても良いかもしれない。「当たり前のことを疑う。それについて私はこう思う。」という側面を持った分野なので、「いやそれは……当たり前だから別によくね?」と思ってしまうならば、読むだけ損に感じてしまうかもしれない。それを本書の図解と解説を読んでみることで、自分にとって哲学が性に合っているかいないかを測定できる。

哲学というジャンルは面白いことに、「哲学をしたことを文章におこした本」という本物の哲学本よりも、「哲学入門書」の数が圧倒的に多い。それだけ哲学をすることは難しい、人の哲学を理解するのは難しい。それは仕方がない。その人くらいしか、そんなこと考えなかったんだから。その考えを、その人自身が平易な文章で残してくれなかった場合、理解に苦しむ。ヘーゲルとか、ヘーゲルとかね。ヘーゲル苦手。

たまに哲学入門書から読むのではなく、原典から読み進めなさいという哲学攻略法を聞く。なぜなら、飽和状態の哲学入門書の一冊一冊で、捉え方が違う可能性があるからだ。間違った前提から読んでしまっては、原典を曲解しがちになってしまうのだ、という。でもそれってあまり関係ないと思う。いきなり純粋理性批判読んで哲学っておもしれ~という人が現れたら、もう素質ありまくりで、それほど哲学を必要としない僕らのレベルを超え、マジモンの哲学者になったらいいよレベルだと考える。

僕らみたいに、「趣味で読書やってま~~す。読書楽しい~~」とか言っているうちは、自分の興味を持てる範囲のところから読んでいくのがよっぽど楽しい。むしろ一つの考え方からそれだけ色んな人に別々の視点を与えるのってすごくないか?ということで、入門本を読み漁っちゃうのもありなんじゃないか。そうやって入門本を読み漁っていると、絶対にここは皆こういうふうに書いてあるな、ということが分かる。で、ちょこちょこ違うものがでてきたら、原典を読んでみる。そのときに、自分は誰寄りの意見を持ったのかな?という整理の仕方でも全然いいんじゃないかって思うのだけど、どうなんでしょう。

兎にも角にも、もしあなたが、哲学の言葉の意味を手っ取り早く分かりやすい文章で理解したいというのであれば、本書は必ずや役に立つ。有名所を抑えてあるから、考え方や意味さえ覚えてしまえば、哲学知識前提の本を読んだとき、ネットコラム、ブログ記事を読んだときでも、「それわかりまっせ」アピールくらいできるレベルになると思う。

そして哲学とはどういう世界なのかということに少しでも興味があるなら、読んでみてほしい。自分は過去の西洋哲学を面白いと感じ取ることができるか?ということを試すことができる良書だ。

 

哲学入門

哲学入門

 
14歳からの哲学 考えるための教科書

14歳からの哲学 考えるための教科書

 
哲学入門 (ちくま学芸文庫)

哲学入門 (ちくま学芸文庫)

 

 

『絵はすぐに上手くならない』──上達の道は険しいという当たり前を説く

 

絵はすぐに上手くならない

絵はすぐに上手くならない

 

技術習得の際、効率の良い方法は無いものか?と方法論を知ることに躍起になる人がいる。

効率の良い練習方法を知ることは何も悪いことではない。むしろ、誤った努力をすることによって、せっかくの才能が無駄になってしまうパターンも考えられる。

しかし、知識偏重タイプの我々まよえる子羊は、方法論を知ることにとらわれがちである。この方法はどうだ?大変そう……あの方法はどうだ?これも自分に合わない……と、何か練習法に自分にとっての正解があるのだ!と右往左往する。すぐに上手くなる方法が、どこかに転がっていないものかと血眼になるのだ。

TwitterFacebookなどのSNSや、イラスト投稿サイトとして大成功しているPixivなどの登場と普及によって、個人の作品を世に知らしめるインフラが整った。僕がフォローしている人の中にも、絵を描くことが好きで、自分が描いたイラストをTwitterにアップロードしている人が何人かいる。

しかし、そのような今はまだ名も無き絵描きたちは、現実と理想とのギャップに苦しみもがき、「どうなったら絵が上手くなるのかわから~~ん!」という魂の叫びを日々不特定多数のフォロアーに向けて発信している。気持ちはわかる。

小学校の頃入っていた漫画クラブ、中学高校の美術の時間などの数少ない美術体験のさなかで、美術的センスの無さに愕然とした僕などは、「確かに絵がうまくなったらどんなに良いだろう。楽に、自分の思い通りに絵が描けるというのは、どんなに心地よいだろう」と妄想してしまう。その境地に到達したら、どんなに心地よいだろう。早く絵が上手くなりたい!そうすればこの地獄から開放されるのだ。

しかし、本当はそんなこと無い。

「上手にできる=苦労が少ない」というのは、卓越した名人芸を傍観する凡人が、思い描きがちなことである。

例えば野球などの好プレーを見るときなどはどうか。いとも簡単にやってのけているように見えているが、果たしてそうだろうか。彼らはピッチャーからボールが放たれる瞬間、バッターがボールを打つ瞬間、打たれたときのボールの行方などに猛烈な集中力を発揮して、自分のチームが優位に立つよう、瞬時に行動をしなければならない。テレビ画面で見ると楽そうに見えるが、実際はそんなこと無いはずだ。

ハイパフォーマンスをいつも引き出せるわけではない。楽にできないからこそ、日々練習するのだし、コンディションを整え、1試合1試合真剣に取り組むのである。

『絵はすぐに上手くならない』という著作は、こうした当たり前のことを、「絵を描く」という行為においても当てはまるのだ、と書いてくれている。

上手な人でも必至に形をとり、遠くから何度も眺めて形を直し、一心不乱に描き込み、ようやく絵が完成するのです。むしろ画家の大先生や有名なアーチストのほうが、命を削らんばかりに凄い形相で画面に向かっていることでしょう。ですから、誰しもが「最初から楽に描ける」わけはなく、「うまくなったら楽に描ける」こともないと思ってください。 

漠然と絵がうまくなりたい、と思っている人は、絵が上手くなるための練習期間や製作期間の苦しみに目を向けようとしない。

当たり前だけど、絵が上手い人というのは、少なくとも人並み以上に絵を描いているし、サヴァン症候群などの病気でなければ、「目で見たものをとっさに絵に描く」という芸当は、できるはずがないのだ。心のなかで「自分は天才だ!」と思うのはモチベーション維持の観点からすると大変宜しいが、そうは言ってもいきなり技術レベルが大天才になる方法は存在しない。

本書はこうした精神論的な主張や、迷える絵描きが一度は思う「あるある」に対して、著者なりの意見をしっかりと主張してくれている。

「絵が上手くなるのにデッサンは必要か?」
「絵が描けないのは身体のどこに問題があるのか?」
「どういったトレーニング方法が自分には合っているのか?」

ということなどにも、「こうしてみましょう」と優しく教えてくれる。

漠然と絵がうまくなりたいと思っている人、絵をはじめようにもなかなか気力が沸かない人などは、本書を読むことによって「絵を描くとはどういうことなのか」という奥深いテーマの一端を知ることができる。