点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

欲しいけど、よく考えたらいらないもの、それは『iPad』だ

ああ、iPad。欲しいなぁ。

電子書籍を大きな画面で読める。スマホに比べて画面が大きいから、ネット検索するときも、ちっこい文字に目を凝らして読む必要がない。スマホでゲームすると充電がすぐになくなるけど、iPadなら携帯の電池を気にせずに使える。ノートPCのようにも使えるし、動画を観るのも好きな体勢でできる。ごろ寝しながら映画鑑賞なんて最高じゃないか。

ああ……ほしいなあ……。

と、1年で8億回くらい思うのだが、よく考えるといらないのだ。

考えれば考える程、優先順位は下なのである。iPadを買うんだったら、そのお金で本を買ったほうがよろしい。書店にある本で、よほど特殊なジャンルで分厚い本でなければ、どんな本でも買える。僕が愛している文庫サイズのものならば……と考えると、そっちの方が楽しい。

そして決定的な理由がひとつ。僕はノートPC持っているのだ。

ノートPCは重いし、基本的に座っている状態でないと使うことは無理だ。

しかし、電子書籍はPC版Kindleあるし、ネット検索なんてタブレットよりも便利だし、最近ゲームをやらない。そもそもスマホでできるゲームよりもスーパーファミコンの方が好きなので、本当にゲームは買う動機にはならない。電池を気にせずに使えると言うが、モバイルバッテリーを買えば良い。動画を観るのも好きな体勢で、と書いたが、別にノートPCを置いて、同じ目線でソファに寝っ転がるようにして見れば何も問題が無い。

ノートPCのように使えると書いたが、僕がPCでやりたいことはタブレットでやろうとすると少し厄介なものが多く、PCの代用品としては、正直使えない。電子書籍用デバイスになるのが関の山である。

という反論を8億回出してきたが、僕は今後もおそらく、iPadを欲しがるだろう。理由は簡単かつ軽薄で、正直人に言うのは恥ずかしいのだけれどさ。

iPadで作りました!とかiPadを使って仕事してますとか、iPad1台でなんかやりましたとかってカッコいいやん。スタイリッシュだし。え?それPC使ってないで作ったの?的なアレ。僕はだいぶ前に共有されたiPadの魅力に、未だに取り憑かれているのだ。さすがApple様、宣伝・洗脳がお上手である。

僕のような人間は、iPadがあれば、今より充実した人生を送れるとか、より優れた文章を書けるようになるかもしれないという類の、根拠に欠ける幻想を抱く。電子情報上のものに対して幸せを感じるよりも、身の回りの普遍的で、小さな幸せをたくさん見つける方が、自分の人生をより豊かにしてくるれるだろう。

例えば、自分でつくった料理が案外美味しかったことや、今日読んだ本が面白かったこと、散歩をしていたらいいアイディアが思いついたことや、湯船に浸かったときの身体がほぐれていくのを気持ちがいいと思ったこと……など。

iPadならできないことも、簡単にできる。

そう、リアルライフならね。

 

 

でもiPad欲しいわ。いらないけど欲しい。

116,000円だとよ!!

Apple iPad?Pro (11インチ, Wi-Fi, 256GB) - スペースグレイ

Apple iPad?Pro (11インチ, Wi-Fi, 256GB) - スペースグレイ

すげー!一番いいのだと21万する笑

Apple iPad?Pro (12.9インチ, Wi-Fi, 1TB) - シルバー

Apple iPad?Pro (12.9インチ, Wi-Fi, 1TB) - シルバー

 

 

睡眠障害者による朝の禊

おはよう。

一口ゲロってあるじゃん。たった今あれで喉を焼かれた。

食道も焼けるように熱い。しかし窓の隙間を通ってくる外気は冷たい。北関東では雪が観測されるほどの冷え込み具合だ。寒の戻りというやつなんだろうけど、いくらなんでも戻りすぎ。

世の中には思い込みでどうにかなる問題と、ならない問題がある。この寒の戻りは、どうにもならない問題である。自然というカオスをコントロールする術を、人間は会得していない。思い込みでどうにかなるのが、睡眠障害であるらしい。

これは睡眠障害である僕にとっての僥倖である。

と思いきや、睡眠障害であるという自覚が睡眠障害を誘発するということで、本末転倒ここに極まれりという具合だ。

非常に落胆している。しかも、睡眠の質に問題が生じるらしく、入眠時に寝付くことができず、2徹目あたりで気を失うように眠るというのがサイクルになってしまってきている僕が求めている情報ではなかった。

改善の技法を求めてたどり着いたのはこの「パレオな男」というサイトだ。アラフォーアンチエイジング研究科によるブログで、あのメンタリストDaiGoの有料チャンネルで語られている内容が、ほとんどこのブログによるものであるという噂まで存在する。

yuchrszk.blogspot.com

このブログの主張の根拠は、主に海外の大学で発表された論文を元に作成されているらしい。変に、「黙って寝ろ!」と言われるよりも権威性がプラス。プラセボ的効果も期待できそうなサイトだ。今後とも読んでいこうかな、と思ったのだが、意識高い系の香りがプンプンしておる。精神を病んでいる状態で、自己啓発にぶち当たるのはよろしくない。情報の取捨選択が求められる。

と思ったら、こんな記事を見つけてしまった。

yuchrszk.blogspot.com

 この中に急性不眠と慢性不眠の違いが説明されている。週に3日以上、寝付けない眠れない状態が2週間続けば急性不眠、3ヶ月続くと慢性不眠である。僕は残念ながら慢性不眠である。この3ヶ月、継続して夜に眠れたことは少ない。睡眠障害アイデンティティ睡眠障害を誘発するように、入眠障害なども誘発する可能性ってあるのかな……。おっと。睡眠障害は思い込みでどうにかなるのであった。そんなことは考えてはいけない。このブログでは「認知行動療法」によって不眠の改善が可能であると説く。

してその認知行動療法とは「刺激制限療法」というものだ。

yuchrszk.blogspot.com

5ステップとか多すぎないか?という愚痴を言っているようじゃあ、入眠マスターにはなれない。この刺激制限療法の5ステップは次の通りだ。

1.本当に眠くなったときだけベッドに横になる。

2.ベッドは睡眠以外の目的で使わない。ベッドでスマホを使っちゃいけないのはもちろん、本を読むのも、食事をするのもNG。

3.ベッドに入ってもどうしても眠れないときは、布団から出て別の部屋へ(別室がない場合はベッドから出るだけでOK)。再び眠気が襲ってくるまで待機し、眠くなったら寝室へもどる。このとき、時計などは見ないで、「眠れない」と思ったらすぐに部屋を出るのがコツ。とくに、眠りにつけないまま10分以上ベッドにいるのは絶対にNG。

4.それでも眠れない場合は、寝られるまでステップ3をくり返す(つまり何度でも寝室を出る)。

5.どれだけ睡眠時間が短かったとしても、朝は必ず同じ時間に起きる。8時間しっかり眠れたときも、3時間しか寝られなかったときでも、起床時間はつねに一定に保つ。

(同上ブログより引用 2019年4月11日)

というものであるらしい。なるほど、確かに僕はベッドとなるところで本を読んだりブログを書いたりしている。ベッドをベッドという用途以外で、猛烈に使っている。さらに、寝付けないときはそのままベッドの中にいる。というか泣きじゃくったり、うめいたりしているので、起き上がろうにも難しいことがほとんどだが、これも改善しなければならない点に入る。

眠れない場合は何度も寝床を出ると書いてあるな。いい運動になるくらい往復することになるだろう。朝必ず同じ時間に起きるというのは厳しい。これが一番むずかしい。他は改善できても、睡眠薬を飲んだ後にねると、昼ごろまで寝てしまうことがある。今日は効かない日みたいなので、全く眠れていない。

朝6時に起きれるようにしたいなーとか思っていたので、もう起きている時間だ。もう眠れないではないか。どうしてくれる。ココらへんはいくら悔いても時間は戻らないので、今後の参考にしてみる。

今日からこのPCは殆ど使えないことになるが、健康のためだ。背に腹は変えられん。しかもノートPCだから、使う場所は変えられる。

改善の兆しが見えたら、このブログでも報告しようと思う。睡眠薬の持ち越し効果で、日中もぼーっとすることが多い。ゆくゆくは睡眠薬いらずの人間になるために、頑張るぞ。

ん?頑張っちゃいけないのか。眠れないを改善するコツは眠るぞと思わないことであると、2番めの記事にちゃあんとそう書いてある。うつもそうだけど、不眠症はつらい。長生きしたい。永遠に眠るぞ!とはまだ思えないくらいには、まだまだ人生でやりたいことがあるのだ。

うつ病は下痢に似ている

気分の落ち込み方はそれぞれだろうが、僕の場合はこんな感じだ。

何もきっかけが無いようなところから(もしかしたら無意識に何かトラウマを思い出しているかもしれないけれど)、そわそわしたり、不安感に苛まれたりする。だんだんと過去の選択を悔いたりする方向へ向かう。続いて将来を悲観し始める。自分は社会や家族のお荷物だと負の妄想に耽り、最終的には「死んじゃおうかな~」とか思うようになる。台所の包丁で死ぬなあとか、ハサミでベロを切れば死ぬかなあなど、具体的な方策がおもいうかばれ初めたら、手足をバタバタさせて気を紛らわす。そして落ち着くのを待つ。ウグーとかグワーとか口から言語ではないものが出てきて、酷いときは悲しみを伴って涙があふれる。これが短いと30分、多いと1日中そういう状態が続く。

この変調を健全な人たちへ伝えるにはどうしたら良いかということを思ったのだけれど、これは下痢に近いことが分かった。四六時中腹を下している僕が言うんだから間違いない。うつ病は下痢に似ている。専門的知識を持つ人からの攻撃を避けるために申し上げておくが、飽くまでも「似ている」だけという主張なので誤解なきよう。うつ病=下痢とは言っていない。

うつ病の気分変調のどうしようもなさと予測不能さは、下痢のそれによく似ているのである。下痢の予測不能さといったらない。おいおい、このタイミングでお腹いたくなるか!?というところでグルグルする。そして、どうしようもない。考え方を変えればお腹も痛くなくなり、排便のタイミングもずれる!というわけではなく、最悪粗相をすることとなる。

抑うつが現れるタイミングも、どうしようもなさも、そんなもんだ。

さらに、下痢に対する即効性のある特効薬が無いことと、うつ病に対する特効薬がないもの似ている。下痢の場合、腹を下しているときは、便を排出する以外に回復の道は無い。水分補給をしながら、とにかく消化器系からウイルスや軟便を出し切るのだ。

うつ病の場合、認知行動療法のひとつに「筆記開示」というものがある。エクスプレッシブ・ライティングとも呼ばれるこの方法は、一定の時間、自分が思う不安や苦痛をノートに思いつく限り書きなぐるというものである。なぜこういう方法によって心が落ち着くのは、今時分が抱えている不安や死にたいという感情を出し切ることによって、脳のメモリが空き、心に余裕が生まれ始めるからではないか、と分析されている。

僕には結構効くのでやりたいのだが、これを忘れる。やり始めると20分ほどで心が落ち着いてくるのを体験しているから、可能であれば毎回やりたい。だが、身体が動かないという場合もあるので、習慣にするというのは、どうだろう。可能な限りやってみるという努力目標を立てる以外に無い。

あとは、うつ病も「時間が解決してくれる」場合が多いと聞く。優しい人は、うつ病を「心の風邪」と形容してくれる。風邪程度であれば、いずれ治るという希望をもたせてくれる。僕の知り合いにはうつ病10年選手などもいるけれど、働いたりはできているので、人生をまるごと諦めてしまうのはまだ早いということだ。

それ以外に関しては、読書ができるようになった以外は特にやれることがなくて、酷いもんである。本を読める気分のときは、なんだか頭の回転が早くなったような気がして、小説でも哲学書でも、何でも読めているような気がするので非常に楽しいのだけど、そこから前触れ無く、そわそわや不安へとじわじわと、時には一気に変調する。このことも今度、医者に報告してみる。

とにかく伝えたかったことは、うつ病は下痢に似ているということでした。そんだけ。

おしマイケルッ!