点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

時間管理・タスク管理は無理ゲーである―オリバー・バークマン『限りある時間の使い方』

久々にビジネス書っぽいビジネス書を読んだんだけど、これはアタリだった。

こういう感じの本は、「身も蓋もない当たり前のこと」を正直に書いているもののほうが面白い。「人生が好転する思考術」とか、「悪用禁止の闇心理学」とか、「キャリアをブーストさせるコミュニケーションテクニック」とか、抽象的でよくわからない、具体性にかけるアドバイスばかり書いているいい加減な本よりも、「現実を見よ」という論旨の書籍に出会えたほうが、読み手にとって気づきを得られる可能性があると考えている。

本書の論旨は、「時間管理・タスク管理など、"効率の良い時間術"と喧伝される時間術は、やるだけほぼ無意味である」という内容だ。

これらの時間術は、そもそも前提からして無理がある。それは、「時間術さえこなしていれば、人生のあらゆる問題を解決できる」という前提だ。

効率の良い時間の使い方を、学習、あるいは体得することで、目の前の仕事は早く仕上がり、そればかりでなく仕事の質も向上させる。そして、余白の時間を使って自分の好きなことに時間を当てることができる。別の言葉で言い表すならば、これは「生産性の向上は正しいという前提」である。

果たしてその前提は妥当なのか?ということを、イントロダクションからフルスロットルで反論していく。

 生産性とは、罠なのだ。

 

 効率を上げれば上げるほど、ますます忙しくなる。タスクをすばやく片付ければ片付けるほど、ますます多くのタスクが積み上がる。

 人類の歴史上、いわゆる「ワークライフバランス」を実現した人なんか誰もいない。「うまくいく人が朝7時までにやっている6つのこと」を真似したって無駄だ。

 メールの洪水が収まり、やることリストの増殖が止まり、仕事でも家庭でもみんなの期待に応え、締め切りに追われたり怒られたりせず、完ぺきに効率化された自分が、ついに人生で本当にやるべきことをやりはじめる――。

 そろそろ認めよう。そんな日は、いつまで待っても、やってこない。

流行に対する「逆張り本」は眉唾で読むにこしたことは無い。極論が用意されている可能性が高い。だが本書の極論は面白いので、ブログで紹介したくなった。

なぜこのような論旨になるのか。著者は、人生の有限性を見つめよ、と説く。著者はハイデガーを引きながら、「人間の有限性こそが、人間というものを成立させる絶対的な条件(p.75)」であると主張する。人間という存在のなかに、既に時間の有限性が埋め込まれている。あまりにも自明であるために、我々はこのことを忘れてしまうのだ。

 時間をどう使おうか、と一瞬でも考える前に、僕たちはすでに時間のなかに投げ込まれている。この特定の時間、ほかでもない自分の人生の経緯。それが僕という人間を規定するのであり、そこから抜け出すことは決してできない。
 未来に目を向けると、そこでも同じように有限性が自分を縛り付けている。時間という大河の流れに、抗う術もなく運ばれていく自分。進んでいく先は、避けられない死だ。さらに厄介なことに、死はいつどの瞬間にやってくるかわからない。
 こんな状況のなかで、時間の使い方はすでに、徹底的に、制約されている。
 過去についていえば、自分がどこの誰なのかというのはすでに決まっていて、その限られた可能性の中で生きるしか無い。さらに未来についても、制約だらけだ。やることをひとつ選ぶだけで、ほかのあらゆる可能性を必然的に犠牲にしなくてはならない。(p.75)

ここで著者が言っているのは、1.有限の時間といものに人間は制約を受けていること、そして、2.決断は行動はその行動をすること以外の、あらゆる可能性を切り捨てるというトレードオフ関係にあるということである。

つまり、時間術や生産性アップライフハックというのは、所詮はその制約の範囲であれこれもがく行為でしかなく、喧伝されているほどのパワーを持っているわけではないことを認めよ、ということだ。

特に「重要なことはあれもこれも解決できる」と言われて時間術を実践中の人間の耳に痛いのは、あらゆる行動はトレードオフであるという部分だろう。「生産性をアップする時間術」と銘打った"ライフハック"を利用することで、「あれも、これも」とタスクリストやGoogle Calendarに記入してしまいがちだが、そのタスクを実行するということは、その他すべての行動を切り捨てることになる。

実際僕のカレンダーはそんな感じだ。最近趣味が増えてしまい、それの上達のための時間を確保しようとして、まっかっかである。まさに人生を"設計"しようとしているが、ちょっと冷静になれば、「無理じゃね?」となる。

今までの僕であれば、「やはり自分はスケジュール管理が下手の三日坊主……」と嘆き、バッドトリップ一直線だったのだが、本書を読んで考え方が少しだけ変わった。

「違う。そもそも考え方の前提が無理なのだし、その間違えた前提で立てたスケジュールなのだ。あれもこれも獲得しようとすることを、時間管理で解決させようという発想が、そもそも無理なのだ」と。

じゃあどうすれば良いのかという、本書なりの"処方箋"もしっかりと書いてある。巻末に10個ほど、本書のサマリーと共に具体的なテクニックが紹介されているのだが、その中から1つだけユニークだと思ったものを紹介する。

それが、失敗すべきことを決めるである。

ライフワークバランスを完ぺきにこなすことは不可能だ。仕事で稼ぎ、健康の維持し、人間関係を円滑にするなど、失敗すると大きめのしっぺ返しをくらってしまうような、なるべく失敗してはならないイベントがあることは確かだが、その他についてはどうだろう?

僕の場合、「趣味領域の上達」に関してとか、「日々掃除をする」こととか、やるべきことだと思っていても、失敗したとてそこまで人生に影響が出ない要素がある。それを先送りにしたり、タスクに置いていたとしても「失敗しても良いもの」として処理するのだ。

たとえば、今から2ヶ月は仕事を最低限にとどめて、子どもの世話に専念する。一時的にフィットネスの目標を中断して、選挙運動に専念する。その期間が終わったら、中断していた活動にエネルギーを振り向ければ良い。

「時間術を用いて、同時になんでもこなす」は幻想だ。忙しいシングルタスクや、愚昧なマルチタスクからは距離をおいて、一つずつ無理なくコツコツとやる。

それだけの、言ってしまえば当たり前のことを、果たして我々はどれだけ、日々意識しながら生きているだろうか。冷静に考えてみれば、「時間と戦っても勝ち目はない」ことに気がつく。愚直に、牛のように、ゆっくり歩みを進めるという方向性が、どうやら凡人たる僕の(あるいは僕のような悩みを持つ読者諸兄姉の)目指すべきものなのかもしれない。

実は邪神と戦っていた名探偵――『シャーロック・ホームズとシャドウェルの影』

シャーロック・ホームズ×クトゥルー神話というまさかのマッシュアップ作品。

僕はホームズはほぼ読んだこと無い。

『緋色の研究』と、短編集『シャーロック・ホームズの冒険』くらい。あとBBCのドラマ『SHERLOCK』シリーズ。いいよねカンバーバッチ。すげえ面白かった。

クトゥルー(クトゥルフ)神話に関してもニワカだ。

TRPGのルールブック『クトゥルフ神話TRPG』、H・P・ラヴクラフトクトゥルーの呼び声』『インスマス』『狂気の山脈にて』くらいしか読んだことが無い。元の文章が悪いのか翻訳が肌に合っていなかったのか分からんけど、恐ろしく読みにくくて挫折しかけた。TRPGでは日々お世話になっているけれど、小説としてのクトゥルー神話にあんまり良いイメージが無い。

そんな自分でもあっさり読めてしまったのが『シャーロック・ホームズとシャドウェルの影』だ。ホームズパロディ作品のことを、「ホームズ・パスティーシュ」と呼ばれるのだって知らなかったんだけど、本作はそのひとつ。もちろん原作者アーサー・コナン・ドイルが書いたものではない。

著者はジェームズ・ラヴクローヴ。SF短編「月を僕のポケットに」、『スカイシティの秘密 翼のない少年アズの冒険』の他、ホームズ・パスティーシュ作品を多数執筆している。

この作品を一言で説明すると、「あの名探偵ホームズは実は、クトゥルー神話の邪神たちと対決していた」という内容。

ホームズシリーズの特徴は、ワトソン視点で書かれている物語であるということなんだけど、本作では「ワトソンが今まで発表した小説は全て、本作品で描かれるクトゥルー神話の邪神たちとの戦いから目を背けるために書いた嘘である」という出だしで始まる。な、なんだってー!!

そもそも出会いからして嘘。

『緋色の研究』でホームズとワトソンが出会ったいきさつはこうだ。

第二次アフガニスタン戦役に軍医として参戦していたワトソンが帰還し、偶然バーで自分の外科手術助手をしていたスタンフォード青年と再開。スタンフォードに「下宿先探しているんだけど」と相談したところ、「めちゃ良い物件に住み始めたんだけど広いし家賃高いからルームシェアしてくれる相手いねえかなって言ってたホームズって男を知っている」と言って引き合わせることになる。

病院の研究室で血痕の新たな解析方法を研究していたホームズと初めて出会った時、握手をしただけで「あなたはアフガニスタンにいましたね」と言い当てワトソンが面食らうシーンはおなじみだ。

今作ではワトソンが兵役から帰還した軍医であり、ロンドンにやってきたところは同じだが、何やら不穏だ。原作では肩に銃を受けていたワトソンだが、今作では鉤爪で抉られたような傷跡を「これは銃痕……これは銃痕……」と自己暗示しながら、その他いろいろ含みのあるモノローグを披露しつつ登場する。

ロンドンでは、治安の悪い路地裏のパブで冴えないギャンブルをしたのち、元助手のスタンフォードを発見。しかし以前の元気な様子ではなく、顔面蒼白で、浮浪児の少女を売春しようとしている。あまりの堕落っぷりに驚くワトソン。「あ、スタンフォード君じゃ~~ん、久しぶり~一緒に飲もうよ~~」と割って入って阻止しようとすると、客をかっさらわれると思ったのか、売人たちが臨戦態勢に。ナイフも取り出される始末。どうなる……

と思っていたら、奥の方でちびちび酒を飲んでいた老人が、いきなり売人どもをボコボコにする。これが、とある事件の調査のために、変装していたシャーロック・ホームズその人だった。しかも、ホームズがマークしていたのはスタンフォード。騒動が終わってみると、なるほどスタンフォードの姿はない。

どういうことなのか説明を求めるワトソンに、ホームズは「だったらベイカー街二二一Bに来ないか」と誘われる……といった感じ。

全体的にかなりアクション要素が強い作品だ。ホームズのダイナミックな活躍っぷりは、読んでいて純粋に楽しい。

理性的なホームズが、冒涜的で、宇宙規模の影響力を持ち、人間をハエ程度にしか思っていない邪神たちの存在を認めざるを得なくなってからが本番。憔悴しつつも、邪神の力を使って何やら悪事を働こうとする勢力を相手取り、その野望を阻止すべくワトソンと奮闘する様子は、単なる推理ものに終わらない、怪奇アクション小説の一面もある。

ホームズ、クトゥルー神話、どちらか一方を知らないとちょっとついていけないかもしれない。ただそれは、逆に言えば、どっちか知っていれば、特にクトゥルー神話知っているなら、ニヤニヤしながら楽しめるはずだ。

一気に読み終わってしまった。三部作の一作品目らしいので、続編が翻訳されることを望む。

続巻が発売されなかったら?

その時は<正気度判定>です。

 

平沢進『RUBEDO/ALBEDO』は結局好き

digital.susumuhirasawa.com

思想的な部分は相容れなくなっちゃったけど、相変わらず僕は平沢進を聴いている。

染みる~。気持ちいい~。

10年以上聴いちゃっている音楽は、作者がどんなになっちゃっても、とりあえず聴いてしまって、ちくしょーとか思いながら「ここが俺のツボなんやな」と再認識させられてしまう。分からされる。年甲斐もなく、戻ってくるのはココなんだ……とかなる。

原曲の面影を重視しながらも、結構改変されているアレンジ具合。安心感や安定感がありながら、同時に新しい刺激をリスナーに届けてくれる。いいじゃんいいじゃん。

なんなら、ここから平沢入ってもいいんじゃない?ライブ定番曲が多めだし、なんかアルバム購入しなくても全編聴けるっぽいし。とか思うのはファンだからかもしらんけど。

FUJI ROCK 2019は過去の記事で情緒を爆発させながらレビューしたことがあるんだけど、そのライブアレンジ音源が手軽に聴けるのも純粋に嬉しい。

あと、正直最近のライブ特典音源に対しては僕の好みとのズレがあったり、「え!?違うところそんだけー!?」みたいなマイナーチェンジバージョンばっかりだなあという不満があったから、新しいところ満点てんこ盛り盛りのデレを見せてくれて、僕みたいな老害ファンも納得って感じのアルバムになっていると思う。

ファンからするとこれで2,000円は安い。

軽く現時点での全曲の感想を覚え書きしておく。

01.TOWN​-​0 PHASE​-​5 2019

1番記憶と違った曲。こんなロックな入りだったかしら!リズムボックスだよ!カウベル!「可視海」みたい。

うっすら後ろで原曲が流れながら、FUJI ROCKの再現だからだろうけれど、生ドラム(打ち込み)にパーカッションが入れ替わっていて、ギター重視のミックスになっている。

4つ打ちのTOWN-0 PHASE-5はこんなにも力強いのか。

ズンズンと行進していく感じ、いいなーー。

ボーカルのミックス具合全然違くて一瞬新録かな~?とか思ったけど、ちょっと分からない。多分『救済の技法』と同じテイクかなあ。新録だったら嬉しいね。

全曲の中でも1番ライブ感がある仕上がりになっている気がする。音がモヤ付いていると感じる人もいるかもしれないけれど、これはこれで良いな~って感じ。いぶし銀。渋さがあると思う。

ストリングスの音も差し替えているのかな?Hollywood Stringsっぽく聞こえる。サビのコーラスも控えめになっているけれど、個人的には全然埋もれている感じはしないからナイスバランス調整って気がする。

僕らの1曲目だよね。

02.Archetype Engine 2019

ベースになっているのは第9曼荼羅バージョンのArchetype Engine。ダウンロードコンテンツ版よりも音のバランスが良い。ギターリフやソロのフレーズが分かりやすくかっこいい。初めての人に寄せているのかな。

相変わらずボーカルの音量小さい。聞かせたいのはそこじゃないんだろうなって感じ。でも原曲のサビの、あのこってり馬鹿コーラスとか、サビ前のティンパニのハッとする感じが好きなので、個人的な好みからは外れている。ループ音楽なんだし、そういうメリハリがしっかりしているほうが好みだなあ。

03.フ・ル・ヘッ・ヘッ・ヘッ 2019

ベースはLIVEビストロンの2005年版だと思う。前の2曲とうってかわって、平沢のボーカルが近いしドライだし。流れで聴いていると、結構「お~」となる。

そういえば、あんまりこの曲単体で聴いたことなかったな。セトリの中で聴くことが多かった。ライブで入りを間違えてた部分とかの展開こうなってたんだ。しっかり聴けて嬉しい。そっちに気を取られていて、FUJI ROCK当日は全然気がつかなかった。いいアレンジだと思う。

こういう曲調だから、ずっと聴いていると飽きるし、後半はノンストップで突っ切るというのが売りの曲だし、前後半の部分でしか変化つけられんからアレンジ難しい曲だと思う。でもそこでベストなアレンジシている感じがある。

ラスト付近のバカティンパニー残してくれて嬉しい。

後半からクワイアのサンプル使っているのかな。オケヒじゃなくて、コーラスヒットって表現したほうがいいのか分からんけど、盛り上げていく感じが今の平沢さんっぽくなっていて、この混ざり具合がバランスいい。

04.夢みる機械 2019

ベースは『変弦自在』のストリングスバージョン『夢みる機械』。イントロ以外はそれほど大きなアレンジは無いと思う。ガットギターがエレキになっているくらいかな。ちゃんと聴き比べしていないけど、多分全体的に少しだけリバーブが深めになっているのかも。なんか聴き心地が違う気もする。

僕は過激な「サビのバカコーラス大賛成だけどなんでメインメロディー聴こえにくくしてしまったのだ学派」なので、全然期待していなかったんだけど、やっぱり今回もメインメロディーのボーカルラインはコーラスに埋もれちゃった。

なんか他のバージョンよりもメインメロディー聞こえやすい?とか思ったけど、多分長年積もりに積もった願望が認知の歪みを引き起こして、勝手に僕の脳がメインメロディーを拾おうとしている結果だと思う。

そういえば2021年もこのバージョンだったよね。気に入っているのかな。イントロかっこいいもんな。

05.Jungle Bed 1.5

今回の目玉曲のひとつだ。段違いでカッコいい。今日だけで10回以上聴いている。

2019年FUJI ROCKで聴いた時は本当にぶち上がったなあ~。思い出しちゃう。それまで歌詞がついていなかった(ナレーションを歌詞と呼ぶのなら違うのかもしらんけど)曲に歌詞がつくのは賛否あるんだろうけど、「これこれ~~こういうの待ってた~~」っていうメロディーライン。文句なしですよね。不穏に低めのボーカルで入って、一気に唐突に情緒を揺さぶるハイトーンに移るのって、結構冒険だと思うけど、「平沢さんならOK」って感じ。どうも、信者です。

歌詞の語感もいい。

「生きる」の発明者は誰?

だってさ。安直かもしれないけれど、なんとなく中期っぽいじゃない。その後一気に、

ライオンを見よ
息の音に邪気を吐き熱く喰う

体温を見よ
凍てつき覇気を削ぎ愛を消す

とか言い出して一気にマッドな啓蒙をしだすのも、なんだか一周回って格好いい気がしてきている。

ザ・Synth1って感じのシンセも、軽いシリコンテクノポップに馴染んだ耳には気持ちがいい。こんなにうねらせていたんだなあ。

ミックスも全曲の中で1番好みのバランスって感じがしている。気合入っていると思う。

06.牛人

平沢ファンクラブのグリーンナーブ退会しちゃっているから音源持ってなかったんで有り難い。まじで全然今まで聴いてこなかったんで新鮮に聴けている。FUJI ROCKの平沢出場ティザームービーで流れた謎のカッコイイ新曲ってイメージが抜けていなかったんだけど、今回の収録でいろいろイメージ変わりそう。

ところでギターアルバムどうなったんだろ。なんかあのゲームみたいな企画、いまいち乗れなくて進捗全然分からんです。

Bメロの浮遊感すごい。サビ前の不穏な感じに自然につながるし、そこだけ切り取って聴いてもかなり印象的なフレーズでがっつり耳に残る。3分ちょっとという尺も丁度いい。フェスでの空気入れ替え曲という立ち位置にしては格好良すぎる一曲だと思う。

07.Nurse Cafe 2019

ベースは『Switched-On Lotus』版の「Nurse Cafe」。僕は平沢さんの楽曲の中で1番聴いているのが、『SIREN』版の「Nurse Cafe」でして、統計上1番好きな曲だ。

自分でもカバーしちゃった。(これは露骨な誘導です。書き手の醜い自己顕示欲に注意してください。)

www.youtube.com

なんでわざわざこの話をするのか?

そう、イントロのオペラサンプリングの話をしたいから。このカバー作る時、本当はサンプリング元を突き止めて原曲再現!みたいにしたかった。SIREN版のあのコラージュ感は、きっとサンプリングしとるからだ!!と踏んだから。でも結局分からなくて、自分で歌った。2番のエセカウンターテナーも、その延長線でせっかくだしみたいな感じに入れちゃった。今となっては余計なことしたかなって思っています。

耳コピしきれなくてちょっと間違えてるし。こういうことも起きるだろうからサンプリング元を突き止めたかった。悔しい。

今回のバージョン、SIREN版で使っていた音源ではないところから持ってきた同じメロディーラインのサンプリングを挟み込んでいる。テッ↓テッ→テー↑テッ↓テッ→テー↑のところ。それと、なんか「フォ~~~ルテ~~~~~」みたいな新しいサンプリングもぶっ込んできている。大袈裟だけど、有りだと思うんですよ。周りのオケが静かになったタイミングだしね。作ってて楽しかっただろうな……。

『Switched-On Lotus』でわかりにくかったBメロのストリングスフレーズも、ミックスがしっかり住み分けされていて聞きやすくなったというのは、平沢耳コピヘッズ共には朗報だと思う。スイッチョン版好きな人、良かったね!

長くなっちゃった。最後に、ところで、詳しい人。このオペラのサンプリング元知りませんか?

助けて。

08.AURORA 2019

ベースは「AURORA 3」かな。

やっぱりAURORAはすげえいい曲。メロディーがまっすぐで、情緒を直接揺さぶってくる。アレンジ元がはっきりしている音源の中では好き嫌い別れるアレンジしていると思う。イントロのグリッジ音やオーバードライブされた棘のあるシンセと、しっとりしたAURORAの世界観は合わない!みたいなことを考える人は多そう。

でも曲を通しで聴いてみると、しっかりと音の役割を分けている気もする。AメロやBメロでは、ルート弾きのギターを左チャンネルに添えて原曲よりもノイジーにしている代わりに、元の「AURORA 3」で使われている音色を尊重している感じがある。

Bメロで入ってくるホルンのフレーズ大好きだから、それが埋もれずにしっかり聴こえてうれしい。

帯域を埋めるギターを3本も使うアレンジだからこそ、音の住み分けはしっかりしている気もする。原曲よりもモヤリが少ない感じ?(そのかわりギターががっつりモヤっている?こんなもんかしら?ギター詳しくないからよく分からん。テキトー言っている可能性大。)

ちなみに僕の再生環境はiPhone付属のイヤホンです。音楽作っているときも基本はこれ。スピーカーなんて置こうもんなら苦情間違いなしの住環境だからね……。マスタリングヘッドホンも買う余裕無いしね。なのでちゃんとした環境で聴いたら全然違う印象になるかも。あくまでも個人の意見と好みってことでよろしくです。

09.白​虎​野 2019

「お待たせ」曲。のはずなんだけど……。

う~~~ん。これ明確に僕の好みじゃない部分がある。イントロの入り、めっちゃ良い。原曲のハープのカットアップエレキギターのコールアンドレスポンス。でもその後いきなり『点呼する惑星』とかで使われているような「ピュオワワワワワアアアンンン↑↑↑」みたいなアナログシンセSEが入るんだけど、ちょっとチープ過ぎないかなって思ってしまった。

この音めっちゃ何回も鳴るんだけど、その度に「白虎野」から現実にワープさせられちゃう気持ちになる。入りで「ピュオワワワワワアアアンンン」、サビ前のブレイクで「ピュオワワワワワアアアンンン」、間奏で「ピュオワワワワワアアアンンン」、そして後奏でダメ押しの「ピュオワワワワワアアアンンン」。

嗚呼、僕を白虎野に帰しておくれ。

10.HOLLAND ELEMENT 2021

全国8000万人のP-MODELファンの皆さんおまたせしました。

「おめーらこのアルバムではよお、これが聴きたかったんだろ?」と言わんばかり。見事に入れてくれました。ありがとうございます。本当に嬉しいよね。分かる。僕も嬉しい。

あのFUJI ROCK2021から待つこと2年。配信では「カバーで空耳すんなボケ」とお叱りを受け、全世界の耳コピ芸人が吹き飛んだ。他人に寄生して自己顕示欲を晴らしていた僕も吹き飛んだ。

嬉しい嬉しいって書いたのは、今回のリリースで「カバー黙認」の狼煙があがった!とかではなくて、(というかそういう風に全然捉えていない)純粋にこのバージョンの音源が欲しかったから。

イントロのシンセフレーズでは全然どんな曲か分からんサプライズ方式からの、書き下ろし歌詞によるシャウト気味な入りで面食らい、おなじみのベースのフレーズで脳がようやく「理解」っちゃったねした時、ドーパミンがドバるんだよ。

ごめんね怪文章で。でもそうなんだ。皆そうだったに違いないんだ。

近年の平沢さんが取り入れた、多分NIのSESSION HORNSなんだろうけど、おリッチなブラスセクションで奏でられるイントロ後半部分、良いよね。その後も鳴り止まず、終始ブラスが目立つアレンジは、脳が喜ぶしか無い。

配信で聴いたときは生ドラムだったこともあって、もっとパーカッションが重く聴こえていたから、そこらへん物足りなさがあるかも。「平沢サウンドに重さを求めるな」と言われちゃえばそれまでなんだけどさ。ゴリッとした感じもっと出しても、平沢さんの声とはバランス取れると思うんだけどなあ。トーシロが偉そうにすんません。

結論:でも最終的に全部好きになりそう

僕は平沢(サウンド)信者にもかかわらず、なんかこの記事でいろいろ偉そうに書いてるけれど、多分時間がそれを解決してくれて、最終的にこのアルバムに関しては「おおん、全曲ええよな」ってなりそうな雰囲気がある。

無批判ではいられなかったから「ピュオワワワワワアアアンンン」とか書いちゃったけど、数年後、「いやあれはあれでいい。ピュオワワワワワアアアンンン」とか言ってそう。カラオケで再現しながら歌ってそう。

ワープ!!!

 

おしまい。