点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

日記:MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)マラソンで健康になりそう

完全に日記寄りの記事です。リハビリ。

DTMで仲良くなった人たちの集うDiscordに参加している。そのなかで、映画をウォッチパーティーしようという流れが発生した。

その第1段として企画されたのが、「時系列順MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)マラソン」である。一発目から重い。

攻殻機動隊とか銀河英雄伝説とかシュヴァンクマイエル作品とかアイカツとか、謎候補たちがひしめき合っていたのだが、ちょうど「アイアンマンを観たら面白かった」という人がサーバー内に居たこと、僕が「そういえばマーベル映画、ある程度観たけど全然記憶にないや」と発言したこと、そしてマーベル作品大体履修していてストーリーを解説してくれそうな人がいた事などが要因となって、このマラソンが自然発生した。

なぜ公開順ではなく、ストーリーの時系列順にしたのか?について深い理由は無い(思い出せない)が、何かの作品を観るたびにストーリーの整理をするのが面倒くさいと判断されたからだったと思う。

ディズニープラス公式の資料を引用すると、時系列順はこうなる。

「◆」がつくタイトルは、ディズニープラスで配信中の作品です。

キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー
キャプテン・マーベル
◇アイアンマン
アイアンマン2
インクレディブル・ハルク
マイティ・ソー
アベンジャーズ
アイアンマン3
マイティ・ソー/ダーク・ワールド
キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー
アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス
アントマン
シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ
◆ブラック・ウィドウ
ドクター・ストレンジ
スパイダーマン・ホームカミング
ブラックパンサー
マイティ・ソー バトルロイヤル
アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー
アントマン&ワスプ
アベンジャーズ/エンドゲーム
◆ロキ
◆ホワット・イフ…?
◆ワンダヴィジョン
◆ファルコン&ウィンター・ソルジャー
スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム
◆シャン・チー/テン・リングスの伝説
◆エターナルズ
ホークアイ
◆ムーンナイト
URL:
https://disneyplus.disney.co.jp/blog/maximum-guide/mcu-series.html

基本的なスケジュールとしては2~3日連続して2本視聴するというものだ。約4時間パソコンの前に拘束されるので、お互い無理せず、私生活優先であることを確認しあい、欠席したからといってBANされたり、超人血清の実験体などにはされないことが約束された。

重大なネタバレになるシーンが含まれる作品(特にブラック・ウィドウ)については、然るべきタイミングで視聴するなど多少のスケジュール変更が必要である。初見の方は注意されたし。ディズニーのトラップにあったがために、エンドゲームのカタルシスが半減する。マラソンチームに有識者が居てくれて本当に良かった。

基本的にはこのリストに沿って視聴し、5月22日にはようやく『アベンジャーズ/エンドゲーム』まで観終えた。長く苦しい戦いに一旦の終止符が打たれた。

と思っていたのだが、全然そんなことはなかった。これからマラソンチームは、「MCUフェーズ4」と呼ばれる領域に突入することになる。コロナ禍の影響なのかなんなのか、劇場公開が控えられ、ドラマ作品が豊富になっており、一つの作品を追いかけるのがこれまで以上に困難になる。ドラマは『ワンダヴィジョン』以外は宿題になる予定だ。

また、当チームでは様々な理由により、ホークアイ」ことクリント・バートンへのヘイトが高く、出てくるたびに「クソ弓おじがよっ!」などの罵声が飛び交うようになってしまった。精神的な支柱となっていたヒーローの退場などもあり、モチベーションに翳りが見られるが、現在公開中の『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』をできれば劇場公開中に観たいので、今後も視聴を続けることになっている。

また、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』を視聴するために、過去のスパイダーマン映画の視聴も同時並行で実施していた。マラソンチームメンバー全員がサム・ライミ版の「スパイダーマン」「スパイダーマン2」を視聴済みだったので、

スパイダーマン3
アメイジングスパイダーマン
アメイジングスパイダーマン2
■スパイダーバース

を視聴した。これから、

スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム
■ヴェノム

■ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ

この3本を視聴して、5/27(金)にはノー・ウェイ・ホームに挑戦できる。

エンドゲームが終わったあとの終着点は、とりあえずノー・ウェイ・ホームとマルチバース・オブ・マッドネスだ。

走りきったら一本一本、簡単なレビューをしていこうと思う。真面目に批評するのではなく、多少ふざけた内容になるだろうから、MCUファンは読まないほうがいいと思う。

で、タイトルの「健康になりそう」って何なのかというと、これもなんてことは無い。ルーティンができたので規則正しい生活ができるようになった、という面白みのないことだ。

これまで幾度も規則正しい生活というものを実践しようとしては失敗してきたのだが、今回このマラソンを初めてから、0時30分には睡眠に入っていることがほとんどになった。睡眠薬を服用しても眠れなかった頃が嘘のようだ。

それにしてもなぜヒーロー映画で眠れるのか?僕なりの仮説だが、カロリーが高い映画を視聴することによって脳をパンクさせ、ある種のリラックス状態が作られるからではないかと踏んでいる(だがこれは誤りである。明滅の激しい映像、ブルーライト、爆音などは眠りを確実に妨げる)。

基本的にヒーロー映画は元気になるため、細かいことに悩まなくなってきた感じもある。もちろん例外もある。特にキャプテン・アメリカが出てくる映画はずっと考え事をするハメになる。が、それは本当に例外的で、基本的には脳死でボーッと観ることができる。それがリラックスに繋がり、眠りを妨げるどころか、ほぼ毎日、夜しっかり眠ることができる生活にしてくれているんだろう。生きる意義を見つけている人間を見ることは気持ちがいい。自分のことを棚に上げで、安心することができる。

みなさんも、心身ともに健康になりたければ、寝る前にヒーロー映画を観るという習慣を身に着けると良い。

ヒーロー映画のその他の効用については、長くなってきたので別の機会に書きたい(今書くのが面倒くさい)。

それではいずれ、今更感強いけれど、『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』のレビューでお会いしましょう。

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||の感想(ネタバレあり)

タイトルはTwitterのミュートワード避けである。誠に卑しい悪知恵であり、こんなタイトルをつける卑しい人間のエヴァ感想なんぞ卑しいに決まっているので、読みたくない人はブラウザバックを推奨する。

さらに言えば、「シン・エヴァ 感想」と検索すれば読めるような他の記事と同じような感想であることも予告しておく。

なお、シン・エヴァは一度しか見ていないし、それまでのシリーズも3周した程度なので、ガチガチのエヴァファンからすると間違いだらけだ!とか、解釈違い!などあるかもしれないことを断っておく。これは解説ではなく感想、日記なので、設定やストーリーの正確性については、各自資料を読まれたし。

あとこれがいちばん大事なことだが、ネタバレもする。注意されますよう。

短い感想

個人的に100点満点中100兆点だった。

僕の「これが見たかった」を満たすと同時に、庵野監督の「これでケリをつけてやる」という細部に渡る気迫が伝わって、TVアニメ〜新劇場版のエヴァシリーズに気持ちよくさようならと告げることができた。シンジと共に、ようやく大人になれた気がした。

思慮深い人はさらなる考察や、シンジがラストに作った新世紀に思いを馳せるのだろうけれど、僕にはその気力がない。

そして僕の個人的なエヴァ理解には、そうする必要がもう無い。大人になったシンジは我々の心配の外に飛び出してしまった。庵野監督の心からも、我々視聴者の心の中からも。

シン・エヴァとこれまでの作品の違い

シン・エヴァに至るまでのTV版、旧劇場版〜新劇場版:Qに至るまでの作品は、人の不全感がテーマだったと思う。そしてシン・エヴァではそれにケリをつける作品だ。

訳がわからないまま世界の宿命に巻き込まれるシンジ、人の手によって作られ入れ替え可能な生物と自認する綾波エヴァパイロットになるために生まれ無償の愛に憧れ飢えていたアスカ、これらの子どもたちをエヴァとセットで管理し、謎の生命体使徒との攻防を制御しようとする周囲の大人たち、つまり全ての登場人物が抱える、この世や人の心のままならなさ、不全感を全面に押し出したものであった。

僕とあなたの関係性の変化が、世界に多大なる影響を与えてしまう。主要な登場人物全員がそういう状況に置かれた世界観のなかで、それぞれのポジションで抱える問題の根本的な解決が、なかなかできない。旧劇場版では、主要メンバーにおいては、様々な人間関係上の不和や使命の未達成を抱えたまま人類がオレンジジュース……違ったLCL溶液に変化してひとつになるという皮肉さがある。

 

さて新劇場版では、旧劇場版とは少し毛色が違う。特に破では、シンジの行動にシンジ自身の意志が明確に見て取れる箇所があり、ラストシーンでは「これはハピエンにワンチャンあるんでないか?」と期待させてQへと続く。

しかし、自分の希望どおりに判断し、行動した結果、ニアサードインパクトなる厄災(人類にとってだが)が発動し、14年間の眠りから目覚めたシンジが知るのは、自分の行為が人類にさらなるダメージを与えることになったということだった。親父の言うとおりにエヴァにのり、周囲の人間の期待に押しつぶされながらも従い、わずかな自分の希望どおりに頑張った結果がこれかよ!と、とにかくシンジが不憫である。本当に可愛そう。これがQまで。

 

シン・エヴァはそうして不全感やサバイバーズ・ギルトを抱えまくったシンジが、そしてゲンドウの暴走を止められなかった元ネルフ、現ヴィレのメンバーが、そのケリをつけるための物語だ。そしてゲンドウの、シンジに対する懺悔の物語でもあった。

自分たちの前の世代のやらかしたことを、次の世代が落とし前をつけるというのは、同じく庵野監督作品である『シン・ゴジラ』で見せられたストーリー図式と似ている。シンジはゲンドウの、ミサトは父である葛城博士の尻ぬぐいのために、最終局面で大活躍をする。

シンジ、大人になる

人間は大事な物の喪失により青年から大人になるというメッセージを、岡田斗司夫ガンダムから読み取った。それはエヴァにも見受けられる。

シンジは物語中盤、無償の愛を向けてくれていた綾波型クローンを眼の前で失うことで、散々泣きはらした後に最終作戦同行を願い出る(泣きはらす描写は無いが、作戦同行を願い出るシーンでは、シンジの目元が腫れている)。親父がしでかしたことを責任持ってケリをつけようと決意をしたのが、母のクローンの死であった。母の記憶が殆どないシンジの、母(的なもの)との別れであったのだと思う。この出来事が、シンジをまず青年に変身させた。

そこからのシンジは、他者のメッセージを、他者の視点から、または俯瞰した視点から理解しようとする。視聴中、終盤のシンジは大人への階段を昇っている最中に思えた。人により大人の定義は異なるだろうが、「自我以外も尊重しながら行動できる」ことは、大人になるための条件であると思う。

最後に父に真っ向から対峙し、父を理解しようとするシンジは、これまでのエヴァのシンジには無いキャラクター性を帯びている。他人の言葉を受け止め、自分なりの言葉に言い換えたりして、自分はあなたの話を聞いているのだと伝える。し、シンジ……!成長したのう……!と自分のことを棚に上げて感動していた。

最後に、宇部新川駅のホームで、父と母の分身であるカヲルとレイが、電車に乗ってどこかへ行くのを見送る。これで本当にお別れだ。そしてマリという共に生きる存在を得ることで、シンジは大人になった。

犠牲から補完へ

エヴァには、「何かを達成するには、何かを犠牲にしなければならない」という理屈が高頻度で登場する。エヴァパイロットの仕組みにしかり、TV版の綾波自爆にしかり、旧劇場版人類補完計画にしかり、シリーズを通したカヲルの末路しかり、シン・エヴァ作中のミサトの最期しかり。それはシンジが新しい世界を作る権利を握ったときもそうだった。

シン・エヴァ最終局面では、決死の作戦の結果、全てのエヴァンゲリオンと自分を生贄に捧げて、シンジはエヴァの無い世界を作ろうとした。すべてを終え、世界が色を失い無になろうとしたとき、真希波マリが世界に色をつけながら現れる。

岡田斗司夫に言わせると、あれは庵野監督にとっての妻、安野モヨコ夫人であるらしい。そのアイディアを借りるなら、シンジが燃え尽き症候群に陥ろうとしたところを、真希波に助け出されたと解釈したい。少し無理やりで、ありきたりかもしれないけれど。

人間には支え合う存在が必要だ。綺麗事で言っているのではない。本能レベルで人間は社会的動物である。孤独はヘビースモーキングと同等のストレスを生み出すことは知られている。支えるだけでも潰れてしまうし、支えられるだけでは申し訳なくなる。支え合う存在がいない(と思い込んでいる)人間は、生きることに難しさを感じる。

自我と他我の利害関係の調整によって、自我を蔑ろにして精神をすり減らすものもいれば、自我に固執して暴走するものもいる。つぶれかけた時に必要なのは、何者でもなくなりそうになったシンジの手を取りすくい上げ、どのような形であれ共に生きてくれるマリのような他者だ。

シンジの世界改変により、今まで犠牲になったものが完全にリセットされた場面は無かったと記憶している。なので犠牲の思想は完全に否定されてわけではないと考える。

だが人類は、ゲンドウの思い描いたような、身体を犠牲にして、完全なる意識無意識の結合をせずとも、お互いを補完し合いながら生きていける。艱難辛苦を越境するのに必要なのは、孤独や犠牲ではなく、自分がかけがえのないと思える存在による補完という選択肢もあり得る、という解釈も、アリかなーってね。

蛇足

僕は躁うつを拗らせたことで、迷惑をかけるくらいなら一人死にゆくのが良いと本気で思うことがある。勝手に孤独感を自己生成することがある。

たがシン・エヴァを見て、これは他人事ではないなぁと考えたくなった。

こんな自分にも、仲良くしてくれる友人や、ボロボロの状態で弱音を吐いていても家族でいてくれる人間がいることを思い出せた。いつか彼らが困ったとき、補い合える、支えになれる人間になりたい。そう思うと、目の前にそびえる分厚い壁である躁うつ病に向き合える力が出てくる。まさかエヴァで他者を想う重要さに目を向けさせられるとは思わなかった。

 

庵野監督、素敵な作品を本当にありがとうございました。シン・ウルトラマン、シン・仮面ライダーめちゃ期待してます。

『エノーラ・ホームズの事件簿』微ネタバレを添えて

Enola Holmes | Netflix Official Site

Netflix映画。原作はナンシー・スプリンガーのシャーロック・ホームズのスピンオフ作品、『エノーラ・ホームズの事件簿 - 消えた公爵家の子息』。日本では、原作小説が小学館のから出版されている。少女向けラノベ作品レーベルだったルルル文庫から出ている。

活発でお転婆な文武両道の少女が、兄たち顔負けの推理をしつつ冒険をする、フェミニズム全開な映画である。

あらすじ

主人公はシャーロック・ホームズの妹であるエノーラ・ホームズ(ミリー・ボビー・ブラウン)。エノーラ16歳の誕生日の日、ホームズ母が暗号を残して失踪。失踪を機に、兄のマイクロフト(サム・クラフリン)が後見人となると、花嫁学校に入学されそうになる。

縛られた生活が待っていると知ると、なんとかして入学を拒否しようとするエノーラ。次兄のシャーロック(ヘンリー・カヴィル)に頼るも、家族の問題への介入に非積極的で頼りにならず。エノーラは、一念発起し、入学前夜に生家から脱出。暗号を頼りに、一人で母を探すことに。

自転車を乗り捨て、最寄りの駅を避け、追っ手を撹乱するようにロンドンを目指す道中、乗り込んだ汽車の荷台に忍び込んだテュークスベリー子爵(ルイス・パートリッジ)との出会いにより、子爵を狙う勢力の存在解明と、母の行方を捜索するという2つの事件を同時に追うことになる……というのがあらすじ。

ここが良い

元がティーン向け小説のためか、話の流れがかなり分かりやすい。本格的サスペンスではなく、ファミリー向けの映画として、鑑賞者全員に理解できるような構造とトリックであった。軽い気持ちで観ることができる。2時間ある映画だが、それほど中だるみもなく、笑っちゃうようなご都合主義もあるが、さほど気にならない。テンポよく観ることができると思う。

ミステリーの妙よりも、ミリー・ボビー・ブラウンの初々しさ爆裂の活発な大活躍と、ヘンリー・カヴィルのイケメンすぎるホームズ、おどおどしながらも徐々に逞しくなってくるお坊ちゃん役のルイス・パートリッジに目が行く。カヴィルホームズ、絶対バリツ全振りだろ。服が筋肉でパツンパツンやぞ。

バーン・ゴーマン扮する殺し屋もしぶとくて好き。散々フェミニズム爆発させてたから、エノーラがとても強そうに思えるので、敵キャラクターもすぐにやられるのかと思いきや、終盤まで活躍する。

肝っ玉母ちゃんのヘレナ・ボナム=カーターは、後半のストーリー展開的に、ハマり役だったと思う。女性であっても強く卓越した人間であるべきだという教育方針を娘に対して行い、少なくとも娘にとっては良き母であった人物であるが、実は女性選挙権獲得のために、世の機運によっちゃあ同士とテロ行為を画策する人物でもあるという危うさを持った人物を、少ない出番で最大限演じていらっしゃると思います。

猛烈に話しかけてくるエノーラに耐えられるか

主人公がこちら側に語りかけてくる演出が散りばめられている。これが視聴者の対象年齢をぐんと下げており、子ども向けの色合いを強くしている。ただ僕がもし子どもだとしてもちょっとやりすぎな程にこちらに話しかけてくる。デッドプールのように自然に第四の壁を超えてくるのではなく、一度スイッチが入ると、猛烈に話しかけてくる。

個人的にはちょっと厳しかった。シーンによっては、エノーラ以外の登場人物がいるようなシーンでさえ、こちらに目配せをしてきたりするので、もう少し映画の世界の住人でいてほしい気がした。

もちろんいい部分もある。この語りかけのおかげで、回想シーンに入り、ホームズ母による奇抜なエピソードが挿入されて、映画の内容に飽きにくい作りにはなっているとは思うから。ただ、だいたいは、いかにエノーラと母ちゃんがパワフルであったかというエピソードなので、後半はちょっと飽きてくる。

ここを耐えることができれば、頭空っぽにして楽しめる冒険活劇映画だと思うので、肌に合う人は損しない作品だと思います。