点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

ブロガーの弱点

 それは校正がいないことである。

 いや、だからこそ、個人の特色が出るので、良い。という人もいるだろうけれど。

 やっぱり、お前の文章はここがダメであるということを言ってくれる人がいないと、どんどん腐って言ってしまいそうで不安である。

 ブログというのは公開自慰である!どこまで言っても自己満足の世界だ!しかし、どうせ見せるならキレイな自慰を見せたい。魅力的で、わかりやすく、好奇心を揺さぶり、読んだ人の心に刻み込まれるような、そんな文章が書けるようになりたいじゃんか。と、思ってはいたものの、もし、校正をしてくれる人が現れたとして、ボコボコに僕の文章に修正が入ったのを見たとき、果たして僕はそれに耐え、修正を加え、校正者の求める水準を超えるものを生み出すことができるのか?

 そういう想像をした途端、怖くなった。小心者もここまでくるとノーベル賞を貰っても良い気がする。ノーベル小心者賞はいかにして社会に有用であると認められるか。この小心者一人によって、世界に存在する多くの小心者が、そのレッテルを剥奪され、自己効力感の回復がのぞめる。我が心を見よ。アリの卵より、もう二回り分くらいの小ささである。果たしてこれが心であるかもわからない。

 ちなみに誇り、プライドなどは既に死に絶えた。もしあるとしても、荒涼とした砂地が広がっている世界に一粒のゴマみたいな、なんだかよく分からないものがあるなら、それが僕の誇りの大きさである。

 馬鹿なことを言ってないで話を戻す。何って、校正の話だよ。

 文章で飯を食っている作家にでさえ校正をする人がいるのだ。自分が書いたものを、他人に投げて、OKを貰った上でお披露目となる。ただしネット論文(TwitterFacebook、ブログなど)の場合は違う。もしかしたら、そういうセクションを設ける意識の高い方々もいるかも知れない。お金を払って、雇っているかもしれない。

 僕は、明日の生活もままならない、貧乏うつ病患者である。校正係を雇えるお金は無い。僕はブログに価値ある文章を書いているという自己暗示をかけながら書いているが、実際に必要とされる水準に達しているとは、残念ながら思ったことがない。いや、正確に言えば、これでどうでしょうか?のポーズを取りながら毎回投稿をしている。

 読み手、読者層のターゲットを決めてから文書を書けというライティングの教えがある。では、この手の文章の読み手とは、一体誰だろう。僕だ。そう、僕は書いているのと同時に読み、それによって悦に浸って、いつまで経っても上達しない文章と一緒に、ネットの海を漂っているのだ。そんな風に考えるのは、季節の変わり目だからか。はたまた、精神機関のバグが成せる認知バイアスの妙技か。

 改めてお願いしたい。

 できれば、お前の文章のここがダメという、そういう意見が欲しい。

 コンテンツの質でも良い。自己中心的であることは分かっているが、自分からそういうことをしてやってもよいという人を探し求める勇気が無いのだ。だから、気が向いたときでいい。数少ない『点の記録』読者には、ダメ出しをしてもらいたい。「主張が見えづらい」「段落分けがなってない」「そもそも議論しても仕方のない題材である」「単なる自虐に終始しており気持ちが悪い」など、もう、本当に何でも良い。僕のダメな所を突っつけるだけ突っついていてください。

 応えられるか分からないけれど、きっともっと良い自慰を見せるから……。