点の記録

点を線で結べない男の雑記帳

『哲学用語図鑑』──哲学に興味を持てるかの基準はこの本で

 

哲学用語図鑑

哲学用語図鑑

 

「教養持つべし!」の風潮を感じると、哲学の道を志す人が現れる。僕だ。

なんか良いじゃん哲学。特に西洋哲学。なんか、昔の誰それはこういう事を言ってたしね~とか嫌味なく言うとさ、頭良く見えるじゃん。

あとは、哲学知識を前提とした本が結構ある。哲学知識が豊富な本は読んでいると躓く。読んでいて、いきなり「ヒュームが言ったように」とか言われてもピンと来ない。せっかくその著者の視点を獲得しようと思っても、前提知識に欠損があり、うまく腑に落ちないということは、読書をすればするほど出てくる。

哲学は金儲けにすぐに役に立つ情報ではない。さらにあなたを幸せにする方法論を説いているわけでもない。現世利益を与えてくれるか、定かではない。だから結構ないがしろにされるきらいがある。

哲学書は、私はこのようにして、この事象、この問に対して考えました!ということが書かれてある。歴史と同じで、なるほど昔の人は世界をそういうふうに見ていたのか!とか、ほうほうそういう世の中の味方もあるよな!といった楽しみ方が、学び始めの人たちには適している。すぐに使ってやろうだなんて思わないほうが良い。

そんな暇人向けの学問の入り口に、本書『哲学用語図鑑』は最適だと考える。まずこの平易な解説で、「面白い」と感じないようなら、今すぐに哲学を学ぶということは避けても良いかもしれない。「当たり前のことを疑う。それについて私はこう思う。」という側面を持った分野なので、「いやそれは……当たり前だから別によくね?」と思ってしまうならば、読むだけ損に感じてしまうかもしれない。それを本書の図解と解説を読んでみることで、自分にとって哲学が性に合っているかいないかを測定できる。

哲学というジャンルは面白いことに、「哲学をしたことを文章におこした本」という本物の哲学本よりも、「哲学入門書」の数が圧倒的に多い。それだけ哲学をすることは難しい、人の哲学を理解するのは難しい。それは仕方がない。その人くらいしか、そんなこと考えなかったんだから。その考えを、その人自身が平易な文章で残してくれなかった場合、理解に苦しむ。ヘーゲルとか、ヘーゲルとかね。ヘーゲル苦手。

たまに哲学入門書から読むのではなく、原典から読み進めなさいという哲学攻略法を聞く。なぜなら、飽和状態の哲学入門書の一冊一冊で、捉え方が違う可能性があるからだ。間違った前提から読んでしまっては、原典を曲解しがちになってしまうのだ、という。でもそれってあまり関係ないと思う。いきなり純粋理性批判読んで哲学っておもしれ~という人が現れたら、もう素質ありまくりで、それほど哲学を必要としない僕らのレベルを超え、マジモンの哲学者になったらいいよレベルだと考える。

僕らみたいに、「趣味で読書やってま~~す。読書楽しい~~」とか言っているうちは、自分の興味を持てる範囲のところから読んでいくのがよっぽど楽しい。むしろ一つの考え方からそれだけ色んな人に別々の視点を与えるのってすごくないか?ということで、入門本を読み漁っちゃうのもありなんじゃないか。そうやって入門本を読み漁っていると、絶対にここは皆こういうふうに書いてあるな、ということが分かる。で、ちょこちょこ違うものがでてきたら、原典を読んでみる。そのときに、自分は誰寄りの意見を持ったのかな?という整理の仕方でも全然いいんじゃないかって思うのだけど、どうなんでしょう。

兎にも角にも、もしあなたが、哲学の言葉の意味を手っ取り早く分かりやすい文章で理解したいというのであれば、本書は必ずや役に立つ。有名所を抑えてあるから、考え方や意味さえ覚えてしまえば、哲学知識前提の本を読んだとき、ネットコラム、ブログ記事を読んだときでも、「それわかりまっせ」アピールくらいできるレベルになると思う。

そして哲学とはどういう世界なのかということに少しでも興味があるなら、読んでみてほしい。自分は過去の西洋哲学を面白いと感じ取ることができるか?ということを試すことができる良書だ。

 

哲学入門

哲学入門

 
14歳からの哲学 考えるための教科書

14歳からの哲学 考えるための教科書

 
哲学入門 (ちくま学芸文庫)

哲学入門 (ちくま学芸文庫)

 

 

『絵はすぐに上手くならない』──上達の道は険しいという当たり前を説く

 

絵はすぐに上手くならない

絵はすぐに上手くならない

 

技術習得の際、効率の良い方法は無いものか?と方法論を知ることに躍起になる人がいる。

効率の良い練習方法を知ることは何も悪いことではない。むしろ、誤った努力をすることによって、せっかくの才能が無駄になってしまうパターンも考えられる。

しかし、知識偏重タイプの我々まよえる子羊は、方法論を知ることにとらわれがちである。この方法はどうだ?大変そう……あの方法はどうだ?これも自分に合わない……と、何か練習法に自分にとっての正解があるのだ!と右往左往する。すぐに上手くなる方法が、どこかに転がっていないものかと血眼になるのだ。

TwitterFacebookなどのSNSや、イラスト投稿サイトとして大成功しているPixivなどの登場と普及によって、個人の作品を世に知らしめるインフラが整った。僕がフォローしている人の中にも、絵を描くことが好きで、自分が描いたイラストをTwitterにアップロードしている人が何人かいる。

しかし、そのような今はまだ名も無き絵描きたちは、現実と理想とのギャップに苦しみもがき、「どうなったら絵が上手くなるのかわから~~ん!」という魂の叫びを日々不特定多数のフォロアーに向けて発信している。気持ちはわかる。

小学校の頃入っていた漫画クラブ、中学高校の美術の時間などの数少ない美術体験のさなかで、美術的センスの無さに愕然とした僕などは、「確かに絵がうまくなったらどんなに良いだろう。楽に、自分の思い通りに絵が描けるというのは、どんなに心地よいだろう」と妄想してしまう。その境地に到達したら、どんなに心地よいだろう。早く絵が上手くなりたい!そうすればこの地獄から開放されるのだ。

しかし、本当はそんなこと無い。

「上手にできる=苦労が少ない」というのは、卓越した名人芸を傍観する凡人が、思い描きがちなことである。

例えば野球などの好プレーを見るときなどはどうか。いとも簡単にやってのけているように見えているが、果たしてそうだろうか。彼らはピッチャーからボールが放たれる瞬間、バッターがボールを打つ瞬間、打たれたときのボールの行方などに猛烈な集中力を発揮して、自分のチームが優位に立つよう、瞬時に行動をしなければならない。テレビ画面で見ると楽そうに見えるが、実際はそんなこと無いはずだ。

ハイパフォーマンスをいつも引き出せるわけではない。楽にできないからこそ、日々練習するのだし、コンディションを整え、1試合1試合真剣に取り組むのである。

『絵はすぐに上手くならない』という著作は、こうした当たり前のことを、「絵を描く」という行為においても当てはまるのだ、と書いてくれている。

上手な人でも必至に形をとり、遠くから何度も眺めて形を直し、一心不乱に描き込み、ようやく絵が完成するのです。むしろ画家の大先生や有名なアーチストのほうが、命を削らんばかりに凄い形相で画面に向かっていることでしょう。ですから、誰しもが「最初から楽に描ける」わけはなく、「うまくなったら楽に描ける」こともないと思ってください。 

漠然と絵がうまくなりたい、と思っている人は、絵が上手くなるための練習期間や製作期間の苦しみに目を向けようとしない。

当たり前だけど、絵が上手い人というのは、少なくとも人並み以上に絵を描いているし、サヴァン症候群などの病気でなければ、「目で見たものをとっさに絵に描く」という芸当は、できるはずがないのだ。心のなかで「自分は天才だ!」と思うのはモチベーション維持の観点からすると大変宜しいが、そうは言ってもいきなり技術レベルが大天才になる方法は存在しない。

本書はこうした精神論的な主張や、迷える絵描きが一度は思う「あるある」に対して、著者なりの意見をしっかりと主張してくれている。

「絵が上手くなるのにデッサンは必要か?」
「絵が描けないのは身体のどこに問題があるのか?」
「どういったトレーニング方法が自分には合っているのか?」

ということなどにも、「こうしてみましょう」と優しく教えてくれる。

漠然と絵がうまくなりたいと思っている人、絵をはじめようにもなかなか気力が沸かない人などは、本書を読むことによって「絵を描くとはどういうことなのか」という奥深いテーマの一端を知ることができる。

読書ノートについて

読書ノートってどうしてるの?ということを聞かれたので、ちょっと書いときます。あまり参考にならないと思うけど、単なる読書好きの戯言として聞いていただければと思います。

Achelouの読書ノートに対する認識

基本的にAchelouは読書ノートを作ろうとしません。何故かと言うと、単純に、面倒くさいからです。ただし例外があって、これはぜひ血肉にしておきたい、というものに限っては読書で読んだものをノートにメモしたりします。読む本読む本すべてをノート化したり、全てに対してレビューをしていってしては、正直時間がいくつあっても足りません。それは老後の楽しみに取っておくとして、今はとにかく色んな本に目を通してみて、これは抑えておいたほうが良い知識、情報かもしれないというときや、この本はいい本かもしれないというときは、「なんでもノート」という大学ノートにきたな~くメモしたりしています。

 

読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]

読書は1冊のノートにまとめなさい[完全版]

 

 

引用するのがメイン

自分でまとめようとすると時間がかかるので、取る内容は殆ど引用です。見返したときに分からん……ということがありそう、あるいはもうちょっと纏めておきたいな、という場合に限って、コメントやメモに対する線引きで要約をします。本には昔書き込んだりしていましたが、読み返したときに、「何でこんなところにボールペンで線ひいてんの?」と不快感を覚えて以来は、なるべく本には書かないようにしています。

ただこれもなんとなくで、どうしてもここは重要そうだぞ?というところは、シャーペンでカギカッコをつけます。それを後で引用したり、しなかったりします。あと、どうしても反論したいぞ?というところには、シャーペンでコメントを付け加えたりします。

読書ノートの付け方に関しては色々参考にしていますが、元外交官である佐藤優さんの『読書の技法』という書籍を特に参考にしています。ずぼらな僕は彼のようなストイックさで読書ノートが作れません。しかし、なんでも一冊のノートに纏める、というテクニックは拝借させて頂きました。この点はズボラな自分の性にあってます。

 

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

 

 

でも忘れるもんは忘れる

ただ、そうやって読書ノートとして残したメモが記憶に定着したか?といえばそうではありません。読書で僕が最低限気をつけていることは、著者はなぜこの考えに至ったのか?著者の視点ってなんだ?ということです。この結論に至るまで、どのような考えに至ったのか?ということを、少なくとも大筋くらいは言えるようにしておこうよ、ということです。だから細かい所は忘れてしまいますし、乗り気じゃないけど重要だと書いてあるからそこをメモしたものなど、自分で選んでいないものに関しては、やっぱり忘れています。

記憶のメカニズムをわかりやすく解説してくれている著作に、池谷裕二さんの『記憶力を強くする』というロングセラーがあります。基本的に記憶は失敗の経験が無ければ覚えにくいということが言われています。

 

記憶力を強くする―最新脳科学が語る記憶のしくみと鍛え方 (ブルーバックス)
 

記憶の3箇条

1.何度も失敗を繰り返して覚えるべし

2.きちんと手順を踏んで覚えるべし

3.まずは大きく捉えるべし

(p.139)

生物は失敗から学び取ります。根拠として上げているのはエドワード・ソーンダイクやバラス・スキナーらが提唱した「オペラント学習」です。心理学本や記憶術本を読んでいる人ならお馴染みで、またかよ~という感じがしますかね。でも、結局これです。失敗を何度もすることによって、物事の因果関係を把握し、課題を解決するというマウスを使った実験が有名です。

そして「エビングハウス忘却曲線」も忘れてはなりません。失敗を繰り返すタイミングを、この忘却曲線が減少しきらないところで、もう一度復習する。すると何度か繰り返すことによって、時間が経過することで忘却する記憶の量が減ってくるというテクニックが紹介されています。(エビングハウス忘却曲線自体が、色々ツッコミどころも多いらしいので参考程度に。)

つまり読書ノートをつけていようが、つけていまいが、失敗を繰り返すこと、復習をすることを怠れば、忘れてしまうリスクが高まるということです。だから、読書ノートという方法は実は恐ろしい。書き写したところで、復習をしなかったり、見返して何か物事を考えたりしなければ、せっかく努力して作った読書ノートなのに、何も身につかなかった、というようなことに陥りやすいシステムなのです。

自分の性格と相談する

読書ノートを取るとき、自分のパーソナリティを見極めることが重要ではないかと考えます。だって記憶のメカニズムを真とするならば、復習しなければ意味が無いのだから。読書ノートを取ることが好き、むしろ、こういう方法でないと読書した気になれない!という方の場合は、大いに読書ノートを取るべきだと思います。

本の内容を覚えておきたいけど、ノートで復習するのなんて面倒くさい!という人は、読書ノートをとらずに何回も本を読んで、その都度「ほほーうなるほどな~」と感動できるようにしておくと良いかもしれません。大人になると、丸暗記よりもエピソード記憶として物事を記憶する能力が高くなるからです。面白い本が自然と記憶できるのも、そのためです。

また、エビングハウス忘却曲線によれば1時間で記憶したことの50%は無くなります。本なんて記憶しよう記憶しようと気張りながら読んでいませんから、1回で記憶できる量なんてせいぜい全体の1%くらいってところでしょうか。ちなみに僕は、何度も何度も再読をとにかくやる、というやり方のほうが性に合ってますので、メインはそうやって読書してます。自分で言うのもあれですが、一読目から読書ノートを取ってやめちゃう人よりは、記憶の3箇条の「3.まずは大きく捉えるべし」という要素を取り入れられているのかな、とも思っています。

なんにせよ、個人的な感覚としては、「こりゃあおもしれー!」と思ったことなら大概記憶できるし、忘れたとしてもすぐに調べたくなって、調べればまたすぐに長期記憶化される感覚というものがあるので、読書はやっぱり楽しいな、ということを大前提でやってます。

読書自体の楽しさのためにも、記憶への定着のためにも、何事にも感動できる大人でありたいものです。

 

achelou.hatenablog.com

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